インド1人旅 4
ジョードプルはブルーシティとも呼ばれており、街の一部が青色の塗装が施されている。
予約してたドミトリーも、内装は青を基調としており、共有スペースには寝っ転がれる場所、ギター、上を登ればハンモックのあるバルコニーが広がっており、ヒッピーな雰囲気だった。
ジョードプルから次の行き先アグラはチケットが取れず、ホテルの人と元にバスチケットをゲットする。コミッションフィー(手数料)は取られず優しかった。
宿に着いて早々シャワーを浴びたんだけど、
しっかりと湯圧のあるあったかいシャワーだった。ぐぁーーー体が喜んでる。ジャイサルメールもジャイプールも寒い季節の割にはぬるま湯とはいえない温度でさらにらじょうろみたいな量しか出てこなかったので、ろくに浴びてなかった。安い宿はそうだ。あぁ、髪の毛しっかり切ってくればよかったな、あと2週間もすれば邪魔になるだろう。
街を散策して丘を登る。
街全体は青くはない。
街の中心部、ここはワンピースのアラバスタのモデルになった時計台がある。
このマーケットの喧騒は砂漠地帯から帰ってきた俺にとっては少し新鮮に感じる。
この時計台の近くに有名なオムレツ屋さんがあると言うので、(といってもお腹はまだ調子が悪く、食欲もほとんどない)行ってみると
韓国人のジェイクが背もたれのないプラスチックの椅子に行儀よく食べていた。
「何たのんだの?」
「おれもう3回連続くらい来てて、今回はマサラ頼んだけど、普通のやつもおいしいよ」
「じゃあ俺初めてだけど同じやつの辛さ控えめにするよ」
ジェイクは同い年で、就職する前に世界一周をしていることがわかった。期間と場所は違うけど目的はなんとなく一緒なんだな。
オムレツを食べた後、近くのクーラーの効いたヨーロッパ人向けのダイニングでコーヒーを飲んだ。
ジェイクとは他の旅行者と違ってすんなり話をすることができた。多分、彼のまっすぐな人柄だろう。
(結局次の日もオムレツを一緒に食べた。)
オムレツはなんとか食べれたものの、久しぶりのマトモな食事で胃がびっくりしてもたついて気持ち悪さが残る。体がリカバーするのはもう少し先だな。時刻はまだ夕方前だったけど、明日も移動するしホテルに帰って休もう。
「日本人か?」
ドミトリーの下の段で荷物を開いてると向かいのベッドのインド人のルーク(仮名)が懐かしそうな顔でこっちをみてきた。
この旅の道中のことを話してると、
何かを思い出して嬉しそうな表情をしていた。
「おれは日本人が好きなんだ。7年前くらいかな?ここじゃないとこでホテルで泊まってたら
夜、隣の部屋の日本人3人のナオキと同い年くらいの奴らの部屋の鍵が壊れちゃって立ち尽くしてたんだ。だから俺が治してあげたんだよ。
そしたら次の日ホテルを出ると、ドアの前にカップラーメンが置いてあって、丁寧な手紙が添えられてたんだ。手紙には今日朝の飛行機に乗らなきゃいけないことと、直接お礼が言いたかったことが書いてあったよ。おれは感動したよ。あの男の子達、日本人はこんなに優しいのかって。だからそのラーメンと手紙は今でも家の見えるところに飾ってるんだ。」
ルークの落ち着きながらも話してるその表情は時を戻してあの時の気持ちと共に伝えてくれているようだった。
多分、バックパッカーとか、海外に旅行を言ったり外国人の人と話したりする機会がある人は「日本人は優しいね。」って言葉を聞いたことはあると思う。でも、それはもしかしたら、
彼らが自分らにとって知らない人であるから生まれる優しさであって、(ルークの話も含めてこれは世界に誇る日本の本当に素晴らしいこと)
思ったことを言わなかったり、空気を読む感覚は彼らの知ってる優しさではないとも思う。
もちろん、それは時折自分も人を傷つけたくない時にしてしまう。
でも、この時は
「そうだね、優しいよね。優しさは廻るから、そんな人を見かけたら迷わず助けたいと思ってるよ」
本心で、そう言った。
ルークはチョコレートをくれた。
寝るはずだったけど、上の風の当たるバルコニーに登って、もらったチョコを舐めながら優しさについてちょっとだけ考えた。
あの時素直に受け入れられなかったのは、
体調が悪いからなのか、
自分のこころの声がそう言ったのか。
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ジェイクと再会しオムレツ屋さんへ。
フレンチトーストを2人で仲良く食べた後、まだお腹が減ってるみたいなので、安宿の上に併設されてるカフェテリアへ。頼んだピザは正直不味かった。
お互いの旅の健闘を祈りあい、それぞれ違う目的地へ。旅人同士の、出会って、サクッとご飯を食べて、じゃあなっていうさっぱりした距離感がおれは好きだ。バスの発着所まで歩いて1時間程。体にバックパックが食い込む感覚が、旅の実感を与えてくれる。
夜なのに近くの子供達は元気に走り回る。
自由と孤独は裏表だ。