インド1人旅 7
10時間半の夜行バスの予定が19時間の大幅遅れでコルカタに到着。
狭い場所でずっといるのは疲れるな。
コルカタ郊外からメトロを乗り継いで市街地へ。バラナシから来たからか、やけに整っているインフラに少し違和感を覚える。
ホテルにチェックインし、大急ぎでマザーテレサハウスの登録会へ。時間は過ぎていたが、ご厚意で明日からボランティアできることになった。コルカタに来た理由はこれだ。
マザーテレサは裕福な家庭に生まれたものの、
自分の使命を見出し、貧しい人々の救済に生涯を捧げた。その活動の中心地がコルカタにあり、その施設では今でもボランティア活動が行われており、世界中から参加者が後を絶たない。
路面電車を眺めながらホテルに帰ると
「ナオキじゃないか、やっぱり同じだね」
バラナシで出会ったサイモンがニコニコにしている。同じ日にバラナシに行くとは聞いていて、ホテルもここだとは聞いてたけど、まさか本当に一緒になるなんて。
「タトゥー思いの外時間かかったけど、メシ奢ってくれたんだ、優しかったぜ。痛かったけど」
ふくらはぎには大きくいれたてのトライバル柄のタトゥーがはいっていた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
朝6時半にホテルを出る、
ここのゲストハウスは飲食店のバックヤードの隣のビルにあるために、大きなネズミとご対面。やぁ、おはよう。向こうに気づかれないようにささっと通り抜ける。
やっぱり夜とは街の雰囲気が違うなぁ。
マザーテレサハウスに集合し、ミサを終えた参加者と顔合わせ。一緒に朝食を近くのホテルで食べる。
ボランティアの期間は自由に決めることができ、2週間の人もいれば6ヶ月参加する人もいる。それぞれが目的を持って、さらには意味を探しに来たりする。そんな素晴らしい人達と出会い、話を聞くのはとても興味深い。やっぱり、午前中に同じチームになったマルク(仮名です)はこの秋大学を卒業して、ギャップイヤーで4ヶ月滞在するそうだ。そんな風に数ある選択肢があればあるだけいいな、と思う。
シスターの計らいで午前中と午後違う施設でボランティアをさせて頂いた。
4つボランティア施設があり、男女、そして大人と子供とおおきく分かれている。
マルクとアメリカ人パイロットのジョシュアと向かったのはダヤダン(男の子の重度のハンディキャップを持つ子たちの施設)
施設のスタッフが笑顔で迎えてくれた、
ここでは、朝子供達が寝ていたシーツと枕カバーを取り換え、ご飯を食べるのを手伝ってあげ、洗濯をする。
体に重度の障害が残る子供達のため、1人で食べることができない。なので、ボランティアスタッフが一人一人の前に座り、スプーンを使って上手に口に運ぶ。
手伝っては見たものの、もちろん、綺麗に全部は食べてくれずに、口に入れたものをほとんど出してしまったり、途中でじっとできずに暴れ出してしまったり、涎掛けがメチャメチャになり、お皿に入ったおかゆを食べ終わるのに40分くらいはかかる。それでも、この施設には暖かな空気が流れていて、食べさせ方を優しく教えてくれたシスターは、子供が口に運ぶのをみるたびに伝えることのできない暖かな眼差しで子供ひとりひとりを見守っていた。
ご飯を食べさせ終え汚れに汚れた涎掛けと自分の手を洗った後、1人、全盲の男の子のギーク(仮名です)の手を握って座らせないように、とシスターに言われた。
この施設に来た時から1人よく笑う子がいて、既に来ていたジョシュアとマルクもこの子の頭を撫でてあげていた。その子がギークだ。
ギークは嬉しそうな顔を浮かべるとずっと飛び跳ねている。でも、座った途端、または何かに寄りかかったりすると、頭に地面を打ちつけてしまうようだ。(ある日スタッフが目を離した隙にギークの頭は打ちどころが悪く、血だらけになったらしい)
なので、散歩やご飯を食べさせた後は誰かが手を繋いで、立たせていなければならない。それ以外は背もたれのない、赤ちゃん用の椅子に座らせて腰にタオルを巻いて動かないように体を固定しなければならない。
ギークは繋いだ自分の手の感触を確かめるように握った。名前を呼んであたまを撫でると、やっぱり飛び跳ねていた。彼含め基本的にこの施設にいる子達は話すことができない。彼なりに嬉しいや楽しい、という感情を表すのが飛び跳ねることなのかな。以前、自閉症の男の子が出版したエッセイで、その子が空を見た時にその青さと広さに吸い込まれたい気持ちになって、ずっと飛び跳ねているんだ。というのを思い出した。きっとたくさんのものや、感情を知るということはそれだけ、理解をすることができる瞬間を作る引き出しが増えることなんだろうな。
午後はバスを乗り継いで、リルマルヒルダイへ。
この施設は身寄りのないお年寄りで、且つ重い病気などで、あまり、余命が長くない男性女性の方々が分かれて、住んでいる。
ここは別名死を待つ人の家とも呼ばれている。
施設に入ってみると、少し塩素の匂いがした。
ものすごい量の洗濯物を参加者で屋上で干し、シスターが仕分けた薬を飲ませてあげ、
その後ご飯を配膳していく。
ニコニコしながら食べるおっちゃんに服を引っ張られ、何かと思ったら、慣れた手つきのボランティアスタッフのジョン(適当)を指して
「あのマスターについていけよ」
気付いたジョンは
「うるせーなー、はやくご飯食べ終われ!」
こんな風に、長い間一つの施設にいると、ボランティアと人との間で繋がりが生まれてくる。
でも、ある時まで元気だった人が次の日亡くなってしまっている。なんてこともザラにある。ジョンはもうすでに半年ここでボランティア活動をしているが、仲良くなった人が先日、旅立ってしまった。
少なからず、死を待つ人の家とは聞いていたけど、施設の中は、想像よりも暖かくてゆっくりとした時間が流れていた。
ボランティアの活動中、人の作業を手伝う場面はたくさんあり補助をするのだが、その中でも自分の感覚としては 教えてもらっている ような感覚が自分の中に残る。
自分が隣にいたいからいるのに、
隣にいてくれている気がしたり、
許したのに許されたような気分になったり、
その逆もあったり。
この言葉にできない感覚の正体はいったいなんなんだろう。
マザーテレサは人それぞれに役割がある、って言ってたけど、もしかしたらギークも、手伝った老人も、そのことを俺に教えてくれる役割を持っていたのかな。
そしたら俺の役割は何なんだろう。
最後イタリア人のアレサンドロと配膳を片付けて洗い物をしている時、なんとなく来た理由を聞いてみた。
「自分のconfort zone(普段生きている、居心地の良いと感じる場所)から飛び出してみたくて、仕事を辞めて来た」
ボランティアがおわり、ホテルに戻った後
サイモンとその友達5人ほどでご飯を食べに行った。