インド1人旅 6

10時間のバスを経て早朝バラナシに到着。
着いた宿エイプス(適当)は市街地の喧騒は届かない路地裏にあったので見つけるのは大変だったがなんだか愛着の沸きそうな宿だ。
荷物を解き、少しゆっくりした後街に出て見ると、クラクションがひっきりなしに鳴らされ、一方通行の道なのにバイクは逆を走り、道路には牛が歩く。想像するようなインドだ。そこそこのスピードを出し自分のすれすれを走る車にも驚きもしないのはインドっていう文化も常識も違う国に体が馴染んだってことなんだろう。
ガンジス川のほうへ歩いてみると中心部の騒がしさはどこか離れていき、ただおだやかな空気が流れる悠久の河だった。

ハロー、ガンガー

母なる川の持つ力なのだろか、時間がゆっくりと進むのがわかる。数多くのバックパッカーがバラナシに沈没(1つの都市に長期間滞在すること)する意味が少しだけ肌感覚で理解できたかもしれない。

ホテルに戻りスタッフにサンライズをが見たいことを伝えてみると紙を取り出し、それにふさわしい一連のスケジュールをおすすめのローカルフードと共に分かりやすく書いてくれた。

優しいスタッフ



夜に見たガンジス川で毎夜行われる儀式。

圧巻だったけど、目を奪われたのは熱心に見つめるヒンドゥー教徒の人々の
信仰のまなざしだった。

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朝4時半ごろホテルをでると外は寒い。お昼は暖かいんだけど朝は特にフリースを着なきゃいけない気温だ。この気温差が俺は大の苦手だ。体にダイレクトに来る。これ以上体調崩さないように、睡眠と食べ物は心がけとこう。
ガンジス川にはガートとよばれる、池や川岸に設置された階段状の場所があり、そこで人々は炊事や洗濯をしたり、ヒンドゥー教徒の沐浴や葬礼の場として使う。ガンジス川には84のガートがあり、1番端のサンライズを祝福する儀式が行われるアッシーガートからスタートだ。
夜明け前の町は怖さを覚えるほどの静かさで、しばらく歩いて頭がスッキリし始めた時に、ジャイサルメールで言われた犬の存在を思い出した。なるべく大通りを通り、リキシャが多く待つ場所まで歩きリキシャをピックアップする

アッシーガードに着いたものの30ルピー(50円くらい)に対して俺は500ルピーの札しかなく、ドライバーは大声を出し始めた。
インドでは基本的におつりは最小限がマナーなので、チャイを買ったりする時大きな金額を渡すと普通に断られる。なので細かいお金を常に持っとくべきなんだけど、この日にかぎって忘れる。朝寒いのでリキシャの兄貴もだいぶイライラしてる。あとで支払わせるためにホテル名と連絡先をよこせって言われたので適当なホテルと電話番号を書いて渡しといたけど、さよならする直前で良心が働き、唯一持ってた10ルピー硬貨を彼の手に握らせた。
まだどこも閉まっているで仕方なく待つかと思ったら見かねたチャイのおっちゃんがお店を空けてくれた。(たぶん30分早く)
それでも500ルピーの札しかないのでチャイを買えずにいると、2人組の同じ年にみえる男がチャイをおごってくれた。たぶん金がないように見えたんだろうな。宿で会ったロシア人のルークは白人ゆえにここでは金持ちに見られるのが嫌だからわざとぼろぼろの服着てるって言ってたな。

寒い中であったかい飲み物を飲むとおいしく感じる。暑い中で食べるアイスもそうだ。
当たり前のことなんだけど、
それが愛おしく感じる瞬間がある。
なんかあたりまえのことっておもしろいな。

使いすての素焼きの器に入ったチャイを覗きなながらそんなことばかり考えているうちに、
ガートの近くにつくられたステージでは儀式が始まろうとしていた。儀式の内容は前日の夜に見たものとあまり変わらないが、
儀式で踊り、祈る聖職者の後ろに広がる夜空は黒から灰色、乳白色に変わっていく。
儀式が終わる頃には少し薄いオレンジが広がるシンフォニーを魅せ、新しく産声を上げる1日の始まりを教えてくれる。

サンライズ、儀式の後

砂漠でもサンライズは見たんだけど、ガンジス川のこの景色は、優しさと愛おしさを兼ね備えているようだった。

日常の中で忙しさの中にいると、淡々と数ある日々の一つとして一日が終わっていくのかもしれないけど、こんな朝焼けを見ると日々は違うということを実感せずにはいられない。
それと同時にいつもと違う空気の匂いが
なつかしかったような気もした。
この空気の匂いは、特別な日の朝に感じたものだったり、朝まで話をして通じ合えたあとの空気の匂いだったり、日本でも感じたことのあるやつなんじゃないかな、とも思った。
きっと日々あるその 瞬間 に気づくことができるか、どうかなんだろう。
朝焼けを見るためにボートを探す。プライベートとシェアの2種類があるのだが基本的にプライベートはホテルだったり、旅行店運営なので一人旅のタイプはボート場で適当な人数が集まってから乗り込むシェアが価格も安く、ベターだ。近くで朝焼けを見たああとに流す花を買った後、ボートステーションで待ってると、共に乗り込むオーストラリア人のサイモンと少し打ち解けた。
ボートに乗り込んでいるうちに朝焼けは水平線から太陽が顔を出し始め上り始めていた。まだ朝ではない生まれたばかりの紅い太陽が顔を出すと、空一面はぼんやりした色に覆われ、
ガンジス川はその景色を映し出し、印象派の世界に包まれているような感覚だった。モネもルノワールもきっとここでの景色は見たこと無いのに、自分は知っていることが嬉しい。
自分の記憶と今見ている景色が一つの線として繋がっている。
包み込まれながら溶けていくような感覚に包まれているうちに、太陽は赤からオレンジ色に姿を変えた。

ボートからみた印象派の世界
おはよう世界


ボートから降りた後、
花に願いを込めてガンジス川に流そうと思ったものの、もらったマッチがシケすぎてて全くつかないのを苦戦してると、日本人学生とインド人のその友達数人が助けてくれた。
その人達とマライヨという、この冬の時期でしか食べることのできない、新鮮な牛乳を使ったスイーツを食べた。

サフランを使っているので真っ黄色
ふわふわメレンゲ?みたいな感じでした

その後解散して、ひとりバラナシ滞在中には毎朝食べているマライトーストショップへ。

最終日は3回行った。ミルクフォームにザラメが乗った甘いパン、思い出のごはん。
またいつか食べたないな。


火葬場のマカニカルガートへ。ガートは炊事だったり沐浴や葬礼をする場所なのだがここマカニカルガートはガンジス川に点在する火葬場としては大きく、24時間休むことなく遺体を燃やし続けている。燃やした遺体は灰となり、聖なる河ガンガーに流される。綺麗な布は炎で無くなり、遺体が顔を出し燃えている。近くで歌う人、泣く人、祈る人、笑う近親者がいる。
インドでは死んだあとも金がつきまとう。金持ちは人を燃やすには十分な量のまき薪で燃やされ残された人間がそばで灰になるが、貧乏人はそうもいかない。身寄りもなく金を残さずに死んだ人間は、薪すら満足に買えず、火力が足りず灰になること出来なかった体は、焼け残る。それらを火葬場の男は焼け残った体をガンガーに放っていた。
すぐそばの遺灰が流される川では何人かの男が素もぐりをしている。きっと死者の身につけていた指輪や貴金属を拾い集めて金に変えるんだろう。インドでは金持ちが荼毘を纏う時は金品を見につけてるケースが多い。

インドは死という感覚が常に隣り合わせにある国だ。ここに来るまでにも、道ばたに死体が転がっているのを見かけた。珍しいことではない。普段生きている中で実感することは無いけど、もしかしたら自分は活かされているんじゃないのか、と感じる。ホテルの帰り道、運命について見つけ出そうと考えた。

でもやっぱり心に残るのは今自分の周りにあるものへの感謝と大切にしたいと思う気持ちだった。

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旅ではたくさんの人と出会い、会話を交わすんだけど、バラナシではこの旅の中で
1人、忘れられない人に出会った。
最後の朝食でのマライトーストを食べ終えた後、またお腹が減っていたのでサンドイッチ屋さんに寄り、おすすめされたサンドイッチを食べようと隣に置かれてたプラスチック椅子に座ってる時、
「どこから来たの?」
この屋台では不釣り合いな綺麗な格好をしたお年寄りのおばあさんが綺麗な発音の英語で話しかけてくれた。
(英語のネイティブさはきっと、教養と知性の高さを表している)
互いに椅子に座り、それなりに談笑をした後、
「そんな一ヶ月くらい旅するなら、あなたはヒンディーを習ったほうがいいわよ、」
「わかるといいんだけどね。
 おれは英語で精一杯だったよ。」
「いいかい、ナオキ。
何事も全部簡単よ、あなたがそうしたいなら」
と言ってくれた。
旅行中この言葉がずっと離れなかった。

「なんかヒンディーのクオート(ことわざ)教えてよ、あなたの言葉俺なんか好きなんだ」
「そしたら、勉強しなきゃね、ヒンディーを。
会えて良かったわ。残りの旅、楽しんで」
とにこやかに去っていった。

すべてを教えない線引きがある人は俺の中でとても素敵な人だ。まるで余白を残す様に言いきならない、想像する機会をくれる言葉を持つ人は魅力的だ。

訪れたホテルの壁に。
Don’t be pushed around by the fears in your mind. Be led by the dreams in your heart.

頭の中にある恐れに押しつぶされないで。
あなたの心にある夢に導かれるように。





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