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ソ連製の古い電車に乗るためにカザフスタンに行った話

カザフスタンにあるステプノゴルスク(Степногорск)という街をご存知だろうか。
いや、一部のマニア以外はまず知らないような場所なはずである。

Google Mapより。アスタナの上にあるのがステプノゴルスク

ステプノゴルスクは、カザフスタンの首都・アスタナ(Астана)から200kmほど北方にある小さな街で、ソ連時代は核兵器・生物兵器を製造する工場が存在していたため、外部からの訪問が制限された「閉鎖都市」であったという。
現在は閉鎖都市ではなくなり外部からの訪問も可能になっているが、現在でもウラン燃料やベアリング等を製造する工場が多く所在し、市街地には工場やその関連で働く人々が暮らしているというやや特殊な街である。
日本にも茨城県鹿島市やJR鶴見線沿線のように工業が盛んな地域は存在する。しかし、日本のそういった地域との大きな違いとして、ステプノゴルスクはカザフスタンの広大な草原の中にポツンと所在しており、アスタナなどの周辺の他都市とは隔絶された環境にある点である。
まさに工場ありきで成り立っている不思議な街なのである。

そんなステプノゴルスクには、住宅街から工場地帯まで人々を輸送するための短い鉄道路線が存在しており、その路線ではソ連が1960年代に製造したER22という極めて古い電車が今でも現役で使われているという。
ソ連運輸省ER22形電車 - Wikipedia

元閉鎖都市というミステリアスな環境、ソ連製の古い電車…特に古い電車が大好きな自分にとって、これは気にならない訳がない。
じゃ、カザフスタンまで行ってみよう!!


2024/07/12

7月、仕事に少し余裕が生まれたタイミングがあり、祝日を使ってうまく5連休を練成出来たため、1週間前に急遽航空券を取って遠征決定。
このタイミングで行かないといつの間にかER22が消えてしまうのではないかと思うと心配になり、今行くしかないと決心したのであった。

日本からはアシアナ航空を利用し、仁川空港乗り継ぎでアルマトイ空港に着陸。仁川までは初めてA380に乗った。

21:18
アルマトイ(Алматы)に着くともう夜であった。入国審査で「なぜカザフスタンに来たの?」と聞かれ、「Sightseeing」と答えた。間違いではないはず。
ここからまずカザフスタンの首都・アスタナに向かうために国内線に乗りたいのだが、国内線ターミナルを探しても見当たらない。
インフォメーションカウンターで聞いたら、「ターミナルを出て左に歩いて」と言われ、その通りに出てみたら隣にもう1つターミナルがあった。

どうやら先ほど着いたのが新ターミナル、これから使うのが旧ターミナルらしかった。

旧ターミナルの中の土産物店には毛皮を使った不思議なグッズが売られていた。

2024/07/13 1:39
アスタナ行きのフライアリスタンの便はなぜか搭乗開始が少し遅れていた。

機体が動き出した頃にはもう日付を回って2時になっていて、すぐに寝込んでしまった。

3:43
目が覚めると、時計はまだ3時台を指しているにも関わらず、窓の外はすでに明るくなり始めていた。それもそのはず、この時期のカザフスタンは日照時間が約16時間半と非常に長いのである。

3:50
そして飛行機はアスタナに降り立った。機体が停止してアナウンスが流れた途端、乗客が一斉に拍手をし始めて少し驚いた。
後で知ったが、これは旧ソ連圏の風習?らしい。言われてみればそれっぽい。

さて、アスタナからステプノゴルスクへの行き方だが、何と鉄道はおろかバスも存在しない。
以前は1時間に1本程度はバスが運行されていたようだが、なぜかそれは全て廃止になってしまったのだという。
正確に言うと、アスタナ→ステプノゴルスクの乗合バスは今でも1日1本だけ運行されているが、ステプノゴルスク→アスタナのバスは運行されていないらしい。
というのも、ステプノゴルスク発のバスはアスタナまで行かず、その途中にあるアクコリ(Ақкөл)という所止まりなのだという。
これは一体どういうことなのか。ステプノゴルスクに行ったが最後、二度とステプノゴルスクから脱出出来ないということか。千と千尋に出てくる一方通行の電車じゃあるまいし。
つまる所、旅行者がアスタナとステプノゴルスクを行き来する方法は上記のバスを除けば実質タクシーしか存在しないのである。

1日1本のバスを待っていると時間を浪費してしまう。一方、空港からステプノゴルスクに直接向かえば、ステプノゴルスク駅7:26発の始発列車にワンチャン間に合うのではないか?という淡い期待があったので、今回は空港からタクシーで直接向かうことにした。

4:07
飛行機から降りて、早急にタクシー乗り場の方へと向かい、客待ちしていたドライバーを適当に捕まえて、「ステプノゴルスクに行きたい」と言ってみた所、「Степногорск!?」とかなり驚いた反応をされた。そりゃそうだ。アスタナからは200km離れているし、一般の観光客が行くような所ではないのだから。
そして運賃を聞いたら、なんと80,000テンゲなどと言い始めた。いやいや、Yandex GO(ロシア圏の配車アプリ)でも40,000テンゲくらいだぞ。空港の客待ちタクシーなんて多少ふっかけてくるだろうと思っていたが、流石にぼったくりすぎでは…と思い他のタクシーに声を掛けに行こうとしたら、ちょっと待て、やっぱり50,000テンゲで良いと言ってきた。自分が40,000テンゲで、とさらに値切りすると、なら45,000テンゲでどうだと彼は言った。
う〜ん。相場と比べたらこれでも高めだが、これで他のタクシーに声をかけていたら時間を食って始発電車
に間に合わなくなるかもしれない。そもそも、空港の客待ちタクシーなんて大なり小なりふっかけてくるのはあまり変わらないだろう。と思い、ここは妥協する事にした。

空港を出るとひたすら高速道路を走り始めた。とにかく道路は直線で交通量も少なく、130km/hくらいでかっ飛ばしていた。法定速度が何km/hなのかは知らない。
途中、「ステプノゴルスクは遠いから」という理由でガソリンスタンドに立ち寄って給油もした。

アクコリで高速道路から下道に移った。するとそこには、辺り一面ひたすら草原の風景が広がっていた。どこまでも草原が続いていて果てしない。カザフスタンという場所の広大さを実感させられた。
草原にはたまに牛や馬の群れもいた。野生なのか放牧なのかはよく分からない。

6:20
そんな所を走り続ける事2時間、交差点に「Степногорск」と書かれているモニュメントが現れた。どうやら本当にステプノゴルスクに着いたらしい。
ドライバーはステプノゴルスクに全く慣れていないらしく、どこに行けば良いのかと聞いてくるので、Станция(スタンシア、ロシア語で駅の事)に行ってくれと言って、自分のスマホに入れていたYandex mapsを見ながら指示を出した。まったく、45,000テンゲも出しているのだから客に案内させないで自力で行ってほしい所である。ステプノゴルスクに来た事がないのはこっちも一緒だ。

6:34
そしてついに、ステプノゴルスク駅に辿り着いた。
一見して、駅周辺には人が見当たらないように思えた。しかも駅舎のドアを開けようとしたら鍵が掛かっていた。おいおい、本当に電車は動いているのか……?
そう思って、ホームの方へと向かった。すると…

いた!!本物のER22だ!!
写真では何度か見ていたけど、本当にカザフスタンの辺境にそれは存在していた。
この時の感動はひとしおだった。
しかもパンタグラフを上げているから、まさにこれから運行しようとしている所という事だ。
つまり、自分は7:26発の始発列車に何とか間に合ったのだった。

7時を過ぎると、駅には少しずつ人が集まってきた。どうやら工場方面に通勤する人達のようだった。
駅には3本の電車が停まっているが、何番線の電車が何分発、という案内は全くない。ただ、ドアが開いていて周りの人達が乗り込んでいる列車が恐らくそれだろうと判断して乗るしかなかった。

7:26
そして、始発列車が発車。出発してすぐに車掌さんがやってきた。ロシア語かカザフ語で声を掛けられたが、自分はどちらも分からない。ただ恐らくどの駅まで行くのか、と聞かれている事は想像がついたので、終点のザヴォツコイと答えた。すると200テンゲの切符を渡されたので、200テンゲを支払った。
乗ってみて気づいた事だが、ステプノゴルスク鉄道の電車はかなり鈍足で、MAXでも40〜50km/h程度しか出さないようだった。
ER22の設計最高速度は130km/hらしいので、本来の性能をかなり持て余していることになる。

しばらくすると電車は工場地帯に突入した。周囲には何かの施設がひしめいているが、何を製造しているのかよく分からない。中には火力発電所のようなものもあった。
この辺りの駅で、乗客はちらほらと降りて行った。工場勤務へと向かうのだろう。
しかし乗ってみて気づいたが、ステプノゴルスク鉄道の駅には駅名標が一切設置されていない。どの駅がなんという駅名なのか、現地を見ただけでは全く判別できない。地図アプリと、先ほどステプノゴルスク駅で撮影した時刻表に書かれている発車時刻とを見比べながら、今電車がどの駅に着いているのかを推測するしかなかった。
よそ者に全く優しくない、というかよそ者がこの電車に乗る事を全く想定してないのだろう。

8:11
そして電車は終点のザヴォツコイ(Заводкой)に到着したようだった。заводとはロシア語で工場を意味するらしく、恐らく「工場地域」という感じの駅名なのだろう。
ここまで来ると乗客の大半は既に途中駅で降りていて、車内はガラガラだった。

折り返しの列車に乗った。始発のステプノゴルスク駅まで戻っても良かったが、途中下車をしてみたくなったので、草原の中にあるダーチ(Дачи)という駅で降りてみた。
もっとも駅名標が設置されていないので、Yandex Mapと時刻表を見比べて、多分この駅だろうと判断しているに過ぎないのだが。

9:52
ダーチ駅周辺には住宅地?と道路と草原が並んでいた。
一眼で写真を撮っていたら、地元のカザフ人3人組何やら声を掛けてきた。言葉の意味はわからないが、どうやら私が一眼を持っているのに気づいて、自分達の写真を撮ってほしいと言っているようだった。

という事でパシャリ。

10:02
さっき乗った電車がステプノゴルスク駅から折り返して来たので、それも撮影した。

さて、この後ダーチからステプノゴルスク駅に向かう列車は当分ない。だが、電車と並行して路線バスが走っているという情報を事前に聞いていて、実際電車の中からもそれらしいバスが走っているのが見えたので、それに乗ってみる事にした。

10:19
屋根があるバス停らしき所まで来たが、看板や時刻表などは全くない。本当にちゃんとバスが来るのか少し不安になるが、少し経つとバス停に地元の人達が続々と集まってきた。どうやらここがバス停で間違いないようだ。

10:52
40分弱ほど待って、ようやくバスがやってきた。事前情報ではこのバスは30分に1本と聞いていたのだが、今は1時間に1本程度の運行間隔になっているようだった。

車内は激混みだった。バスの車掌さんから話しかけられるが、無論何を言っているのか分からない。しばらく押し問答をしていたが埒が開かないので、Google翻訳アプリをロシア語に設定して話し掛けてもらうと、「あなたはどうやってダーチまで来たの?」「あなたは何をしに来たの?」「あなたはどこへ向かうの?」と書かれているようだった。どうやら言葉が通じない奇怪な外国人が途中の停留所からバスに乗り込んできた事に驚いている様子だった。
日本から来た、自分は旅行をしている、ステプノゴルスク駅の方に行きたい、と翻訳アプリを通して答えると、「ヤポーニャ!」と驚いていた。周りの乗客も口々に「ヤポーニャ、ヤポーニャ」と言い始めた。日本人はこの辺りでは相当珍しいのだろう。

しばらくすると席が1ヶ所空いた。車内には高齢の乗客も多かったのだが、車掌さんが「あんた、座りなさい」という様子で席に座るよう自分を促した。ロシア語が通じない奇怪な旅行者を労ってくれているようだった。

席につくと、自分の所に若い女性がやってきて、英語で「Where are you going to?」と聞いてきた。どうやらこの人は英語が話せるらしく、ロシア語が話せない外国人がいると他の乗客から聞いて自分のところにやってきてくれたようだ。
鉄道の駅の方に行きたい、と答えると、なら駅に着いたら私が教えてあげる、と言ってくれた。優しい。
そして話を聞いていると、この女性はステプノゴルスクに実家があるが普段はアスタナで暮らしていて、週末だけ親と過ごすためにステプノゴルスクに戻ってきているという事だった。
「アスタナとステプノゴルスクの間はどうやって行き来しているの?」と聞いてみると、InDriveという配車アプリを使って行き来していると教えてくれた。
ただ、実際InDriveをインストールしてみると、どうやらドライバーに直接電話をしてアポを取らないといけない仕様のようだ。
カザフの人達の事なので、まず英語は通じないだろう。これは困った。他の方法で手配できればいいのだけど。

11:11
ステプノゴルスク駅に戻ってきた。お姉さんとバスの車掌さんたちに別れを告げて、バスから降りた。

駅に戻ってきたのは、駅に隣接している市場が目当てだった。ここなら何かしらの飲食物は売っているだろうという目星をつけていた。
案の定市場にはいろいろなお店があったが、結局このときはパンだけで済ませる事にした。

市場を歩いていると、外の駐車場に停まっていたトラックのドライバーのお兄さんが「Chinese?」と聞いてきた。Japanese、と答えると、「Welcome to Kazakstan!」と言いながらポーズを決めてくれた。
さっきダーチで遭遇した人達もそうだが、何だかカザフスタンの人たちって陽気でフレンドリーだ。

ちなみに、市場に隣接するショッピングセンター?にはATMもあった。ステプノゴルスクとは一体どんな所なのだろうと出国前は思っていたが、市街地は思ったより普通の街だなと思った。

さて、ステプノゴルスクでクリアしなければいけないミッションの1つが宿探しである。日帰りでは忙しないのでステプノゴルスクに泊まりたいと思っていたのだが、あまりにもマニアックな場所すぎる故か、よくある予約サイトではステプノゴルスクの宿が全くヒットせず、ネットから予約する事が出来なかったのだ。つまり、現地突撃で宿泊交渉をするしかない。海外旅行者歴の浅い自分にとって現地突撃は初めての体験だった。

11:50
駅から10分ほど歩いて、事前に地図アプリで目星をつけていたМилаというホテルにやってきた。
https://maps.app.goo.gl/7TuzxZtEBH5NLo2z5

中に入りフロントにいたお姉さんに英語で声を掛けるが、案の定英語は全く分からない様子だったので翻訳アプリに切り替えて泊まらせてほしいと伝えると、朝食付きで29,000テンゲで泊まれると言われた。やや高めではあるが、自分はドミトリーがあまり好きではないので一応普通のホテルに泊まれるならその位は払っても良いだろうと思った。

もう一つ交渉しなければならないのが、帰りのタクシーの手配だ。アスタナまでのバスが存在しないので何らかの手段でタクシーを手配しなければいけないが、かといってロシア語を話せない自分にとってInDriveでタクシーを手配するのは難易度が高そうだったので、出来れば宿でタクシーを呼んでもらいたかった。
「明日の朝アスタナに行くタクシーを呼んでもらえないか」と聞いてみると、少し迷ったような反応をした後、分かったと答えてくれた。
よし、これでアスタナに戻れる!!

ホテルの部屋はかなり広々としていて、バルコニーまでついていた。高めなだけの事はある。
荷物を置いてシャワーを浴びた後、再び駅に戻って電車に乗った。

14:55
今回の目的地は途中駅のスプズ(СПЗ)という所だ。検札に来た車掌さんにスプズと伝えると、「СПЗ?」と聞き返されて、160テンゲの切符を渡された。区間運賃の設定があった事に少し驚きつつ支払った。

15:21
СПЗ駅で下車。СПЗとは「Степногорский подшипниковый завод(ステプノゴルスク ベアリング工場)」の頭文字を取った略語らしく、確かに駅前には工場施設があった。

少し歩いて目当ての場所に向かう。しもうささんのブログを拝読して目星をつけていた撮影地だ。

16:43
1時間ほど待っていると、先ほど乗っていた列車が折り返してやってきた。

個人的には満足のいく1枚が撮れたと感じる。カザフスタンに来て特に印象深いと感じた、広大な空と大地の風景を是非入れ込みたいと思っていた。

駅に戻って電車に乗り、再び終点のザヴォツコイに向かった。
下り列車の終電であったが、意外にもザヴォツコイで降りて行く人はけっこういた。工場しかない地帯なのかと思っていたが、何らかの居住空間も周辺のどこかにあるようだった。

20:43
日没をすぎると、異様に長かったカザフスタンの日中も終わりを告げて辺りが少しづつ暗くなり始めた。


ここへ来て、今まで真っ暗だった車内に最低限の明かりが点き始めた。どうやら日没をすぎると室内灯をつけるらしい。
外が薄暗い中、レトロな電車にぼうっと室内灯が点いている様は情緒に溢れていた。

21:10
上り最終列車がザヴォツコイを発車。辺りはすっかり暗くなっており、暗闇の工場地帯の中をガラガラの電車で通り抜ける光景はよく言えば味があって、悪く言えば少し不気味であった。
しかもどこか遠くの方でしきりに落雷が発生していた。それも不気味さを掻き立てていて印象的だった。

最初はガラガラの終電であったが、途中駅からちらほらと人が乗ってきた。工場勤務明けの労働者たちだろうか。

22:03
上り最終列車がステプノゴルスク駅に到着。日中とは打って変わって駅周辺は真っ暗であったが、あまり治安の悪そうな雰囲気は感じなかった。
工場ありきで成り立っている隔絶された小さな街なので、ガラの悪い人たちが居つくような場所が特にないのかもしれない。
とはいえこの時間にあまり外に長居したくはないので、さっさとホテルに戻ることにした。

ステプノゴルスクのER22、楽しい思い出をありがとう。

2024/07/14

翌朝、ホテルで朝食を食べた後、フロントのお姉さんが手配してくれたタクシーがホテル前に送迎に来てくれたので乗車。
これは乗り合い方式で、自分以外にも市内で2人の乗客を拾ってからステプノゴルスクを出発した。そのうち1人は大荷物を抱えた子連れの女性で、トランクに荷物を押し込むのが大変そうだった。
乗り合いなので運賃は5,000テンゲだった。行きと比べたら遥かに安い。
ただ3人乗り合いなので合計すると15,000テンゲ、またアスタナで我々を降ろした後にも別の乗客を乗せてからステプノゴルスクに戻ると考えると、自分だけのためにステプノゴルスクまで45,000テンゲで往復分走らせてくれた行きのタクシーもさほどぼったくりではないように思えた。

再び草原の中の道をひたすら走り、一路アスタナへと南下した。

途中、高速道路からカザフ国鉄の列車が走っているのが見えた。

12:13
アスタナ1駅で降ろしてもらった。ここはカザフ国鉄の長距離列車が発車する駅だ。
帰りの飛行機は翌日夜にアルマトイから出るので、アスタナからアルマトイまで移動しなければいけない。行きと同様飛行機もあるが、まだ一日以上あるのでここはやはり鉄道に乗って行きたい所だ。
しかし、旅行出発前にカザフ国鉄の予約サイトで検索してもこの日にアスタナを出る列車は一向にヒットしなかった。それはもう満席になってしまったという事なのか、あるいは何らかのシステムエラーか何かでヒットしないのか…よくわからないが、とりあえず現地の駅窓口で聞いてみればチケットを取れるのではないか。

そういう淡い期待を持ってアスタナ1駅の切符売り場に行ってアルマトイに行きたいと伝えると、「Нет(ない)」という答えが帰ってきた。どうやらもう売り切れてしまったようだ。
後で知った事だが、カザフ国鉄の列車は割安なのでかなり人気があるらしく、乗車予定日のかなり前から予約しておくか、もしくは毎日のようにこまめにキャンセル待ちを確認しないとなかなか取れないらしい。

さてどうしようか…と思っていると、たまたま隣の窓口にいた男性が、翻訳アプリを通して「あっちにバスターミナルがある。そこからバスに乗ればいい」と自分に教えてくれた。
なるほど、バスという選択肢もあったか。飛行機よりはバスの方が安いだろうし、帰りの飛行機までに間に合えばそれで構わない。
そう思って、バスターミナルに行ってみた。さっきの男性がバスターミナルまだ案内してくれて、「Good luck」的な事を言い残して去っていった。

13:21
バスターミナルに入り、チケット売り場で「アルマトイに行きたい」と翻訳アプリを通して伝えた。今日出て明日アルマトイに着くバスがいい、という当たり前の事でも翻訳アプリを通すとあまり上手く伝わらなくてすこし苦労した。やはり自分でその土地の言葉を話せれば一番便利なのだが。
四苦八苦した末、何とかチケットを発見してもらえた。アスタナを19:40に出て、アルマトイには翌日16:00に着くバスだった。飛行機はアルマトイ国際空港22:00発なので、アルマトイに着いてからタクシーか何かで移動すれば間に合うだろうと踏んだ。
この判断が後々大問題に発展するとも知らずに…。

バスが出るまで数時間余裕があったので、アスタナ市内散策をして時間を潰す事にした。

アスタナのシンボルとされるバイテレクという塔?を見に行ったり、ショッピングモールのレストランでカザフ料理を食べたりした。

20:13
時間が潰れたのでバスターミナルに戻り、アルマトイ行きのバスに乗車。他のバスも色々いてどれがアルマトイ行きなのかややこしかったが、係の人が「Алматы〜!」と言っていたので辛うじて乗車出来た。
座ってみると足元がかなり狭く、これは中々キツそうだと感じた。

バスターミナルを出た途端、バスのエンジンが止まった。何事?と思っていたらエンジンを再始動して再び動き出した。このバスは大丈夫なのか。
途中、トイレ休憩で一度停まっていたが、畑か何か(暗くてよく分からない)の中にある小屋のようなトイレだった上に雨が降っていて行くのを諦めた。
そしていつの間にか寝てしまった。

どれくらい時間が経っただろうか、何だか車内が騒がしい気がして目が覚めた。
朝日が辺りをほのかに照らす中、荒野のど真ん中でバスは止まっていた。
他の乗客達はバスの外に出ていた。自分も外に出てみて、一体何が起きたのかを理解した。

2024/07/15 3:50

バスはエンジン故障で止まってしまった。運転士がエンジンルームを開けて何やら様子を見ている。その周囲に乗客達が集まって、ただ呆然としていた。
こんな荒野のど真ん中で立ち往生して、一体どうやって解決するのだろうか。果たして自分達はアルマトイに辿り着けるのか。多分この場にいた誰しもがそう思っていたはずである。

しかし、改めてこの時の写真を見てみると、絶望的な状況の割にはずいぶん美しい景色である。

自分が目が覚めてから小一時間くらい経った頃、運転士が何かを言って乗客達が車内に戻り始めたので自分も戻った。

4:45
バスが動き出して、超ノロノロ運転をし始めた。どうやら応急処置をしたのでノロノロ運転なら辛うじて動かせるようになったようだ。
そして眠かったので再び寝てしまった。

6:27
再び目が覚めると時刻は朝6時を回り、バスはどこかの街中に止まっていた。またしても他の乗客は外に出ていた。
ここはどこかの街のバスターミナルらしかった。

Google Mapsより

地図アプリを見て、ここはカザフスタンのバルハシュ(Балхаш)という所だと知った。
今更だが、今回の旅行は急遽休暇が取れそうになったので出発1週間前に行く事を決めた弾丸旅行だったので、カザフスタン国内の地理に関する予習が甘かったとつくづく思った。

バスターミナルに放り出されたはいいが、ロシア語が分からないのでいまいち状況が掴みきれない。
翻訳アプリを使って周囲の人と会話を試みようとした所、一人の青年が自分に英語で話しかけてくれた。
聞いてみると、彼はMadierという名前の18歳の青年で、高校で英語を勉強したので少し話せるという。
彼はアルマトイに住んでいるのだが、人生初の一人旅でアスタナに行き、その帰途でこのバスに乗り合わせたらしい。

彼はロシア語がわからない自分にとても親切にしてくれて、今このバスはエンジンが故障して止まっている事、代わりのバスがやってくるのでこの場で待たされている事、しかし代わりのバスはどこから何時間くらいでやってくるのかはわからない事を運転手から聞き取って自分に教えてくれた。

さらに、彼も自分もどのみち待ちぼうけでやる事がないので、英語で色々会話をした。
彼は日本のアニメが好きらしく、ナルトや鬼滅の刃を知っていた。さらに最近は「ロシア語でデレる隣のアーニャさん」なるアニメを見ていると教えてくれた。

恥ずかしながら自分はアニメに詳しくないので「ロシア語でデレる隣のアーニャさん」を知らなかったのだが、調べてみると今年の夏から放送開始したばかりのアニメらしい。そんなアニメを旧ソ連圏のロシア語話者が見ているというのは正直驚いた。日本のアニメの影響力って凄い。
そして彼は「日本のアニメが好きなので、いつか日本に行ってみたい」と言っていた。じゃあ、もしいつか日本に来てくれたら自分が日本の観光案内をするよ、と彼に伝えた。

彼が朝飯を買いに行こうというので、近くのグローサリーのような所に行ってパンを買った。彼の分は自分が出した。

しかし何時間待ってもバスはやってこなかった。時刻は11時を過ぎ、もはや代わりのバスがやってきたとしても予約しているアルマトイ発の飛行機に乗れるか非常に怪しくなり始めた。
この有様では購入済の航空券は無駄になるし、何より帰国が遅れるので勤務先に詫びなければ行けなかった。さて、一体何と謝ったら良いだろうか。というか、神様でも仏様でも良いから、何とかこの状況を打開してくれはしないだろうか……

そんな絶望的な心境に陥っていた時、Twitterを開くとフォロワーからメッセージが来ていた。
それは「バルハシュからアルマトイまで1日1便飛行機が出ていて、それに乗れば予定通りのアルマトイ発の飛行機に乗れるのではないか」という内容だった。
急いで確認してみた所、サザンスカイ航空というカザフスタンのローカルな航空会社が運行している路線で、何とサザンスカイ航空の公式サイトにはロシア語とカザフ語のページしかなく英語版がない。しかもこのバルハシュ~アルマイトの路線はスカイスキャナーの検索でもひっかからないという超マニアックな代物だった。
そしてそのフライトに乗れば、遅れなければの話であるが、確かに予定通りの便に間に合うらしかった。

こんな朗報があって良いのだろうか。というか、ここまでマニアックな航空路線を知っているフォロワーも強者である。Twitterのマニア達は伊達じゃない。
そしてもう、この飛行機に乗るしか選択肢はなかった。
サザンスカイ航空のロシア語のサイトを機械翻訳しながらあの手この手で予約を完了させた。そしてさっきの青年に、「帰りの飛行機に間に合わせるために、バルハシュから飛行機でアルマトイに向かう事にした」と伝えた。
すると彼はバスターミナルにいたタクシーの所に行って何やら会話した後、「このタクシーの運転手に空港に行くよう伝えたから、これで行って」と自分に伝えてくれた。
この時ばかりは、偶然出会ったこの青年も日本にいるフォロワーも、みんなが自分の背中を押してくれてような気がした。

ここまで自分に親切にしてくれた青年に感謝の気持ちと、いつかまたカザフスタンに来るのでその時は是非また会おうという事、そして彼が日本に来てくれる時を楽しみにしているという事を伝え、彼とインスタを交換して、タクシーに乗り込んでバスターミナルを離れた。

バスターミナルからバルハシュ空港はあまり離れていなかった。

11:20
バルハシュ空港に着いてみると、空港というよりは完全に飛行場という雰囲気で非常にこじんまりとした建物だった。
というか建物だけ見たら飛行場にすら思えないような外観だが、「АЭРОПОРТ」の文字が自身が空港であることを主張していた。
フォロワーによるとこれはかなりソ連時代の雰囲気を留めた建物らしかった。

中に入ると、自分が知っている空港とはまるで違う異質な空間が広がっていた。ただシステムは通常と同じで、チェックインカウンターで先ほど手配した予約票のPDFを見せて搭乗券を発券してもらった。
預入荷物も受け入れているようで、自分が荷物を預けると一応重さを測ってから(持込み制限は何キロまでなのかよく分からなかった)、係員が手で荷物を運んで行った。
どうやらこの空港にはアルマトイ行き・アスタナ行きの飛行機が1日1往復ずつ、つまり1日4便だけ発着するらしかった。しかもこの便は隔日運行で、この日たまたまこれに乗れたのは運が良かったようだ。

出発までかなり時間があったのでベンチに横になって暇を潰した後、荷物検査が始まり、奥の待合室に通された。荷物検査も通常の検査と一応同じプロセスを踏んでいた。
待合室で待っているとトイレに行きたくなってきたので申し出た所、荷物検査前にいたメインの建物のトイレに案内された。これでは検査の意味がない気がするけど良いのだろうか。

17:36
出発予定時刻の17:30を少し過ぎた頃になって、ようやく搭乗口に向かうためのバスに案内された。どうやらアスタナ発バルハシュ着のフライトが遅れていたらしい。さすがカザフスタン、ここまで来てもただでは日本に帰してくれないようだ。果たして予約しているアルマトイ発の便に間に合うのか。

17:41
いすゞ製の小さいバスに乗って向かった先に、飛行機が停まっていた。
自分はこの時初めて存在を知ったが、この時乗ったのはソ連製のAn-24(アントノフ-24)という50年以上前の非常に古い、世界的に見ても貴重な機種らしい。このAn-24に乗るためにわざわざこのカザフスタンのバルハシュまでやってくる熱心な航空機マニアもいるのだという。
まさか、ソ連製の古い電車に乗るためにカザフスタンにやって来たらソ連製の古い飛行機にも乗る事になるとは。全く予想外すぎる展開である。

機内は完全に古の雰囲気そのものだった。小型機で乗客は20人強程度であったがほぼ満席であった。
乗客が乗り込むと飛行機はすぐに動き出し、滑走路まで移動してすぐに離陸した。飛行機も飛行場も小さいのでとにかくこの一連の流れが早かった。
実はこれが人生初のプロペラ機のフライトで、航空機マニアでない自分でもその音と振動とレトロな雰囲気はなかなか感動的だと思った。

バルハュの南にあるバルハシュ湖の上空を通過したのち、あっという間にアルマトイ国際空港に着いた。

19:22
アルマトイ国際空港の駐機場所の隣にはもう1機An-24がいた。

預け入れた荷物を回収して、すぐに国際線ターミナルに移動し、アシアナ航空のカウンターへと向かった。そして無事に搭乗券を発券してもらえた。良かった、これで予定通り日本に帰国できる!!

インスタを交換したので、さっきの青年にDMしてみた所、例のバスは結局代車が来なかったのか?ノロノロ運転で走り続けててまだアルマトイに着いていないとの事。飛行機に切り替えて大正解だった。

20:16
出国時の荷物検査を終えた時、係員のお兄さんから「Thank you!日本語で"Thank you"はなんと言うのか教えて!」と聞かれた、「ありがとう」と答えたら「アリガトウ!!!」と全力で言ってくれた。
カザフの人たちは全体的に陽気で優しかった。Twitterのフォロワーもそうだけど、今回の旅行は人の優しさに救われた所が多分にあったと思う。ここまで自分の背中を押してくれた全ての人に感謝。

21:43
青年に「そのうちまたカザフスタンに来るからまた会おう」と約束したので、来年か再来年にはまたカザフスタンに来ようと決心して、仁川行きの飛行機に乗り込みカザフスタンを後にした。


以上、「ソ連製の古い電車に乗るためにカザフスタンに行ったら、いつのまにかソ連製の古い飛行機に乗っていた話」でした。
なお、ステプノゴルスクで電車の写真を撮っていると警察に連行される事があるらしいので、この記事を読んでステプノゴルスクに行ってみようと思い立つ奇怪な方がいたら、くれぐれも自己責任でお願いします。

拙い長文でしたが、ここまでお読み頂いてありがとうございました。




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