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アナタの知らないセカイ

セカイ系という言葉を聞かなくなって久しい今日この頃。最近よく聞くのはなろう系ばかり。最近の若者にはセカイ系というジャンルを知らない人も多いのではないでしょうか。また、聞いたことはあってもぼんやりと分かるような分からないような、という程度の方もいらっしゃるかと思います。

というのも新海誠監督の最新作、天気の子を観ていて、私自身も忘れて久しかったセカイ系という単語が彷彿されたことがこの記事を書いたきっかけです。そう、天気の子を騙る上ではセカイ系は切っても切れないお話なのです。

見知らぬ、単語

調べてみるとセカイ系には色々な定義がありますが、私の中の解釈では、自分自身を取り巻く環境という名のセカイに対する姿勢(気持ちや言動)が、そのまま世界の危機と直結している物語、をセカイ系として認識しています。

具体的にどういうことか、作品を挙げて解説いたします。ここで取り挙げるのはセカイ系の始まりにして最高峰である、誰もが知る国民的アニメ(?)新世紀エヴァンゲリオンです。

主人公は中学2年生の碇シンジ。彼は、使徒と呼ばれる謎の生命体によって引き起こされるサードインパクト(世界崩壊級大災害)から、人類を守るために作られた人造人間エヴァンゲリオンを操縦することができる唯一無二の存在です。

普通のロボットアニメでは、自分しかやれないのなら、自分にできるのなら、この世界を守るんだ!!という命を懸けた熱い信念や使命感のもとで戦うパイロットが主人公だったりするのですが、この碇シンジは一味も二味も違います。まさに既存のロボットアニメの概念を覆す革命的な話だったと言えます。

彼は命を懸けて戦うのが怖いから逃げ出す、という実に人間らしい理由だけに飽き足らず、戦わない理由(というより寧ろ戦う理由そのもの)は周りの大人や自分の周囲を取り巻く人間関係などの環境(セカイ)に起因している、というのが大きな特徴です。

これは彼に限ったことではなく、年端のいかない子供にとっては、今目の前に見えている世界こそが自分にとっての全てであり、まさにそれこそがセカイそのものなのです。自分が戦わなければ世界が滅ぶ、それはそうなのでしょう。でも彼にとって大事なのは本当の意味での世界よりも、今自分の目の前にあるセカイなのです。

彼は本当の意味で世界を守るため、というよりも大人に、そして誰よりも父に認められたい、褒められたいという子供心によって自分のセカイを守るために戦っていくことになります。

この時彼が抱える様々な悩みは、パイロットとして世界を守ることへの責任感や重圧だけなどでは決してなく、父親との確執や片親による家庭環境の複雑性が招いた屈折した精神面による悩みや人間関係によるものが大半を占めています。

本来であればエヴァンゲリオンを操縦できるのは彼だけであり、彼のやる気一つで世界が崩壊に繋がる可能性があるにも関わらず、主眼となるのは戦うことの本質的な意味よりも、彼を取り巻くセカイに焦点が当たっているのです。

自身のセカイと本当の意味での世界の危機が直接結びついている、これこそがまさにセカイ系である、というのが私の解釈です。

このセカイ系には他にも私の大好きな小説ブギーポップや最終兵器彼女、ぼくらの、などが代表的な作品としてよく挙げられます。 いずれも自分を取り巻く環境というセカイがそのまま世界の崩壊へと繋がっているという話です。

正確にはブギーポップは少年少女の悩みが直接世界の崩壊に繋がっているわけでもないのですがこちらの解説はまた別の機会に。

新海誠監督を君の名は。で知った方は多いかと思いますが、彼のデビュー作であるほしのこえや2作目の雲のむこう、約束の場所は典型的なセカイ系作品です。こちらは本来書きたかった天気の子の感想記事にて改めて騙ろうと思います。

#新海誠 #天気の子 #セカイ系 #エヴァ #エヴァンゲリオン

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