自ら選び自らにより選ばれる自らであれ
自己紹介を簡潔に書くのが難しく、長文になると思いますが綴っていこうと思います。
前回の投稿ではとても堅苦しく書いてしまったのですが今回からラフに。
そう心がけながら自分のことを。
一人称に迷う事が多々あってフラフラしていましたがここでは「僕」と言わせて下さい。
僕は関西の中でも田舎に住む38歳、実家暮らしのニート。
性別に関しては真ん中と思っています。
体は女性だけど心は男性寄り…でも女性っぽい所も勿論あって。
それはとても中途半端でいい部分を掻い摘んでいるだけじゃないのかとも思います。
黒でも白でもない灰色の僕は物心ついた時から生きづらさを感じてきました。
幼稚園の頃には既に世界に馴染めず。
小学校、中学校、高校と病気を重ねながらも何とか卒業。
死というものに思いを馳せる気持ちはいつだって僕の身近にありました。
死にたがりの死に損ない。
子供の頃からずっとそう感じてきました。
人と同じようにできない。
みんなが当たり前のようにしている事ができない。
劣等感がひどく、自己肯定感もありません。
例えば算数。
今でも一桁の足し算が難しいです。
8+9など(僕にとって)数字が大きいもの同士の足し算は一人きりなら指を折って数えます。
逆に引き算は頭の中がフリーズして真っ白になってしまいます。
自分の体重を計算する事があるのですが、二桁の引き算はもうやり方が分かりません。
でもこの年齢になってそれを言えば
「冗談でしょ?」
と返されてしまいます。
だからあまり言わないし本当に計算をする時は電卓機能を使います。
僕自身が脳内で出した答えは何一つ信用できないからです。
極端に数字が嫌いというか苦手。
僕が子供の頃はその一言でしたが最近ではLD(学習機能障害)という名称がつきました。
多分それなんだなぁと思いますが計算ドリルにチャレンジする気はありません。
できるだけ避けて生きようとしているんだと思います。
でも唯一僕が得意なのは国語でした。
どんな時でも勉強せずに高得点。
国語は答えがないからいい。
算数は答えが一つしかないから。
そう思ってきましたが小さな頃から本を読んでいたわけではありません。
寧ろ本を読む事が嫌いで漫画ばかり。
でも高校を卒業した辺りから本の面白さにやっと気付いてどっぷりです。
物心ついた時から男性に惹かれる事がなく、女性に焦がれる思いを抱いていました。
生粋の女性好きです(言い方が嫌だなぁ笑)
男性から好意を抱かれる場面もそれなりにあったし告白もされた事はあるのですが、例えるとかけ違ったボタンというか裏表が逆のTシャツというか。
違和感ばかりが心の中に残りました。
それだけではなく、そういう対象に見られてるんだという個人的な絶望感。
車やバイク、若い頃はギターやラジコンも好きでしたがそういう会話をして盛り上がって遊んでを繰り返した後の好意。
性別を超えて友達になれた気がしたのにと思ったり(僕の一方的な気持ちです)しました。
実は今年の夏も同じ事が。
それも好意ではなく性対象として見られた事が何よりも悔しく悲しかったです。
決して男性嫌悪なんてなく、全然普通に話せるし楽な感じがします。
逆に女性と話す時は緊張…中身は思春期男子です。
恋愛に関しては学生時代、何度も密かに恋をして失恋。
高校生の頃初めて面と向かって告白をした経験があります。
嬉しいと言われましたが当然失恋しました。
様々な恋をしてそれなりに経験もして今は遠距離恋愛真っ最中。
なかなか会えない距離だけど彼女がいるから頑張れる、そんな日々です。
誰だって自分のためだけでは生きられない。
誰かのためなら一生懸命になれる、生きられる、踏ん張れると感じます。
僕に寄り添っているのは病気。
23歳の時突然出会ったバセドウ病。
仕事を休職して傷病手当をいただきながらの治療も虚しく薬に副作用があったりして神戸へ行きました。
放射線治療をした後、今度は甲状腺機能低下症となり現在。
これは死ぬまでのお付き合い。
もう一つは双極性障害。
診断を受けたのは25歳の時でしたが当時の主治医曰く
「幼い頃からそうだったのではないか」
ふんわりと言われました。
昔の言葉では躁鬱というものですが自殺率ナンバーワンらしい精神疾患。
鬱はイメージがしやすいと思います。
希死念慮、動けない、お風呂すら無理…。
その代わり躁状態は身近にいないと分からない方が多いのじゃないかと感じます。
僕の躁状態の代表格は「多弁」と「散財」です。
誰かと話したくて仕方ない。
友達との通話、配信アプリでひたすら話します。
一番ひどい時は外で全く知らない人に話しかけてしまう…その時は勢いやテンションの高さで周りなんて見えてません。
心も体もそわそわ、ウズウズ。
突飛なアイディアがいくつも浮かんで脳内は大忙し。
でも全く疲れる事がなくてやる気に満ち溢れていて眠るのも惜しい。
散財に関しては先ほども使用した言葉、勢いです。
欲しい!
これいいなぁ!
買おう!
後先を考えない怖さ。
一歩立ち止まって本当に必要なものなのか。
ずっと使い続けるものなのか。
そんな事はできず衝動買い。
でも今はそれだけはしないというよりできないようにしています。
例えばスマホ決済などの金額を設定しておくとか。
こまめに来月の支払いをチェックして現実を見るとか。
そのおかげでここ数年は大きな散財をしていません。
ちなみに一番ひどかった散財は当時乗っていた車内の音響を良くしたくて5.1chという空間を作った事。
スピーカー(センターとセパレート)やウーハー、その当時最新だったナビ…結果40万くらい。
後になってとんでもない事をした!と勿論後悔しました。
危なかった時はいくらでもあります。
突然新車が欲しくなって車屋さんに行った事、カタログや見積もりまでしてもらった事など。
振り返ると躁の時の方が危険。
行動力や発想力に溢れて何でもできる、怖くないと思うからです。
薬を服用していますが気分の波は今でも上下します。
この病気も死ぬまでのお付き合い。
でもどちらの病気も10年以上になるので向き合い方や付き合い方は自分がよく分かっています。
好きなものは音楽、写真、ドラマ。
音楽は基本的に何でも聴きます。
昭和のフォークが好き。
吉田拓郎や松山千春、風や猫にNSPなど…中島みゆきや五輪真弓も大好き。
あとは浜田省吾…一時狂ったように毎晩聴きながら寝てました。
最近の方々なら緑黄色社会が熱い。
でも韓国の方々や日本?韓国?と迷うような方々は聴きません。
男性なら渋くて低い声が好き。
(最近のお気に入りは柳ジョージさん)
女性なら声量と迫力のある声が好き。
あいみょんも好きだしすぱふらいもYUKIちゃんも好き。
でも唯一つ、aikoだけは僕の中で特別。
好きを超えたものがあるならそれだと思います。
今の時代なら神と表現するのかもしれないけど言いたくありません、安っぽくて軽いから。
そんなレベルじゃないんだ、僕のaikoへの思いは!といつか情熱を綴りたいです。
写真はバセドウ病になってから始めました。
何か秀でるものが自分に欲しい、取り柄が欲しいと思って。
でも上手くいかずに今改めて勉強中。
これまで風景を撮影してきましたが今は街並み撮影に夢中です。
気分がいい日は散歩をしながら気になったものを撮る、そんな事をしています。
今見ている景色がずっと変わらずにあるとは限らない。
少しずつ便利になったり綺麗になったりする。
それはありがたい事だけど少し寂しい気持ちもあって。
今のうちに撮影しておこうと思ってます。
年齢を積み重ねたから思う事なのかもしれません。
(歳をとるのも悪くないですね)
ドラマに関しては気に入ったものを延々と繰り返し見ます。
何十回何百回見ても飽きない、寧ろ安心感がある。
新しいものを見る事がちょっと苦手です。
先が分からないって怖いし踏ん張らないと見れない…サクッと見れるようになりたい。
今年一番ハマったドラマは団地のふたり。
一年の間でこれしかドラマは見てないんですが終わった後、完全にロスでした。
今でも繰り返し見ています。
ほんわか日常ドラマが好きで昭和ドラマは特別に好きです。
ありがとうは第一から第三までしっかり見ました。
今BSで大好きな第二シリーズを放送しているので楽しみながら見ています。
平岩弓枝さんの特別な事件など起こらずあの時代の日常を楽しく描いてくれる所が好きです。
昭和のドラマの良さは綺麗な言葉遣い、慎ましくて丁寧な暮らし、お節介な方々…魅力が満載。
台詞をしっかり聞きたいし理解したいからハマった当初はメモ書きしてました。
海外ドラマはアガサ・クリスティのミス・マープルとエルキュール・ポワロ(ポアロが正解なのだろうか?)
ポワロさんは好きすぎて今封印中。
何故ならAXNミステリーというチャンネルで26日から一挙放送が始まるからです。
その時まで我慢をしてワクワク感を高めておきたいという考え…笑。
何度も見てるくせに見始めるといつだって新しい気持ちで見れます。
あと23日に録画しているポワロのクリスマスという作品を見る事も楽しみにしています(これも50回くらいは見ているのですが)
ポワロさんと一緒にクリスマス気分を味わうんだ!とこれもワクワク。
その時、少しいいチョコレートを用意しようかなぁなんてそんな事まで考えています。
…自己紹介でこんなにも書いていいのだろうかと思いつつ。
前回の記事で父親の介護について書いたし今回は僕の事ばかり書きました。
今度があるなら僕の家族を紹介したいと思います。
ちなみに僕が男性として生きるとかそういう決意ができなかった一つの理由は両親です。
ひょんな切欠でカミングアウトをした時、二人は泣きました。
母は僕に
「あたしがどんな気持ちか分かるか?死にたいと思ったわ!」
そう泣きながら叫ばれたあの日を忘れません。
受け入れてとは思わないけど理解してほしかったかなぁ。
あの日、何度ごめんなさいと言ったのか更には死のうと決意したのか分かりません。
体は変えない。
これは母との約束です。
でも僕は両親を尊敬しているし大好きです。
だからこそもっと辛いです。
いっそ嫌いになれたら。
そう思う時も多々ありましたが、何不自由なく育ててくれて甘やかしてくれて安らげる家を保ってくれている事に対してありがとうしか浮かびません。
だから僕は母との約束を守るしセクシャルマイノリティであるともう口にしません。
僕の事で両親の心が二度と傷つかないように生を全うします。
昨今LGBTの話題や同性婚についての報道がありますが、あの瞬間は一番気まずい…笑。
そしてまた心の中で言うのです、ごめんなさいと。
とりあえずこの辺りでやめておきます。
長い長い自己紹介を読んでいただいた方がいらっしゃるのか分かりませんがありがとうございました。
これからは書きたい時に書く、そんなラフさでやっていきたいと思います。
おおきよ。
僕の地元の言い方で感謝。
…でもこれはじいちゃんばあちゃんしか使わない笑。