日報002 転職したら地獄だった件
外資IT営業の業務日報を書いていく。
今回は、過去記事をリライトする形でこちらにも残していく。
2017年 - 2018年の内容のため、一部現在とはそぐわない内容になっている部分があるが、当時の雰囲気を記録するため、そのまま記載する。
JTCの営業から完全未経験のコンサルタントに転職した最初の1年が地獄だった話だ。
日系の営業から全くの未経験でコンサルティングファームに転職した"後"の地獄の日々を書き連ねておく。
新卒で日系大手に入社し、法人営業としてキャリアをスタートした。
大学も文系の学部卒で、英語も話せないし、ITスキル(プログラミングとか、サーバー言語とか、ネットワーク構築とか)もない。
法人営業を6年経験して、そこそこ仕事もできるレベルになったと感じた。
齢30前後。まぁ調子に乗っていた時期である。
「1度、転職でもしてみるか。」
当時の転職へのモチベーションはこんな感じだった。
そこで、
多少忙しくても、自分に箔がつく仕事をしたい
世界でも有名な会社で働きたい
年収を上げたい
ということで、転職活動を始めた。
外資系のコンサルティングファームから、内定をもらうことができた。
外資コンサルとしてのキャリアをスタートさせる。
自信が崩れ落ちた3か月
転職した直後は、コンサルタントの働き方(プロジェクト制)、上司との距離感、仕事の進め方など全てが分からなかった。
前職時代には、自分の顧客からも良いフィードバックをもらうことが当然だった。
いわゆる、若気の至りというやつだ。
コンサルタントになった当初に作成したアウトプットは、ことごとく当時の上司に直された。
毎日、自分の仕事を罵倒されるため、当然ながら自信を失っていった。
これまで自分が信じていた"正しさ"が分からなくなっていた。
新入社員のように、「これで良いですか?」「この進め方で良いですか?」と何をするにしても上司に確認しながら仕事を進めるようになっていた。
当然、上司もそんな細かいことでいちいち聞いてくるなとなる。
話す度に罵倒される。
自分で進めるとまた修正が大きくなる。
だから事前に聞かないと…と悪循環に陥っていた。
今、思えば、社会人になってからこの頃が一番辛かったかもしれない。
自分が今、何の仕事をしていて、作成した資料が何のためになるのかも理解できていなかった。
打合せに出ても、打合せの内容が理解できない。
理解していたと思っていても、その理解が間違っていて、上司、同僚と話が通じない。
同じ日本語で会話しているはずなのに、自分だけが理解できていない。
そこでまた罵倒される。
その状態でタスクを振られる。
タスクの位置づけ、アウトプットの方向性などが合うはずがない。
もはや、上司や同僚に確認することも遠慮してしまう。
そのままタスクをこなす。
当然、ずれる。
また罵倒される。
その時にGoogleで調べていたのは、こんなキーワードだった。
この頃は、もう自分のことが本当に信じられない状態だった。
真剣に仕事に取り組み、本気で作った資料も、一瞬でなかったことになる。
社会人になってから、そんなことは一度もなかった。
「仕事ができる人」として社会人生活を送っていた。
そんな自分がこんなキーワードで検索していた。
特に病院などに行ったわけではないが、客観的に見ても、少しメンタルがおかしくなっていたのだと思う。
これで定時に仕事を終えていれば、精神状態もましだったのかもしれない。
だが、当然そんなことはなく、毎日家に帰るのは12時を過ぎていた。
終電で帰った後も、PCで作業をしつつ、上司や同僚とウェブ会議。
2時、3時まで作業が続くこともしばしば。
こんな状態が約半年続いた。
差し込む光明
こんな状態でもやってこれたのは、自分のメンタルの強さと、ここで負けると辛かったこと全てがなかったことになる、自分のキャリアに傷が付くといったプライドの高さもあった。
プライドは持っていた方が良い。
自分は今まで多少の困難も乗り越えてきた。
だから、ここで終わるはずがない。
これもまた、乗り越えられるはずだ、と言い聞かせていた。
6月に転職をし、12月も半ばを迎え、その日は突然やってきた。
いきなり、資料の作り方、資料のストーリーの組み立て方、打合せの目的、作業内容の先読みなど、様々なものが見えてくるようになった。
今でもこの衝撃は忘れられない。
この日を境に、自分のパフォーマンスは客観的に見ても、かなり高まった。
私に多くの罵声を浴びせてきた上司も「覚醒したな」と言っていた。
この日以来、上司との関係も回復し、建設的なディスカッションができるようになった。
光明が差し込んだ要因は、大きく2つある。
営業からコンサルタントとしての思考に切り替わった
表現のテンプレートが蓄積された
営業からコンサルタントとしての思考に切り替わった
営業時代は、八方美人の仕事をしていた。
顧客からの要望、上司(会社)の要望、社内(SEや商品企画側など)からの要望を、全て調整しながら、最終的に良い塩梅の内容にして、顧客に持っていくというスタイルだった。
顧客からするとベンダー(業務委託先)の営業なので、基本的には顧客からの要望を叶えることが、営業の役割である。
御用聞き営業と揶揄されるかもしれないが、大手のITベンダーの営業は、顧客からの要望に対し、ベンダー側の意思を優先して対応することは(ほぼ)できない。
これは営業能力の有無ではなく、役割である。
顧客(社外)と社内の”落としどころ”(それぞれの要望をある程度叶えることができる提案)を自分で探りながら、そこに向けて調整していくという思考回路が醸成されていった。
これが八方美人の仕事のやり方だ。
しかし、コンサルタントになってからは、この思考回路は使えない。
それに気付くまでが一番辛かった。
コンサルタントに必要な思考回路は、八方美人ではなかった。
顧客へ示唆を提示することが、最も重要な能力だった。
コンサルタントに求められる能力は、コンサルタントの意見(示唆)だ。
「現状」と「顧客が求める姿」の間を埋めるために、どのようにすべきか(自分の意思)を提示することが求められる。
営業時代に、自分の意思ではなく"落としどころ"を探るために使っていた脳の回路とは、全く別の回路を構築しないと対応できなかった。
この回路ができるまでに6か月かかった。
表現のテンプレートが蓄積
表現のテンプレートとは、パワーポイントでの表現の仕方を指す。
テンプレートが蓄積されたとは、自分が言いたい事を表現できる方法が、自分の中に複数存在する状態だ。
コンサルタントの成果物は、ほとんどがパワーポイントである。
成果物といっても多岐にわたる。
プロジェクトの進捗資料、検討資料、関係者への説明資料など、場面や目的によって作るべき資料も様々である。
当時は、コンサルタントが作る資料の構成や表現方法が全く分かっていなかった。
構成と表現のパターンが、自分の中にストックされ、自分の好きなときに引き出すことが出来るようになって初めて、スムーズに資料を作成することができるようになった。
資料を作成する時間が短くなると、その分「思考」と「レビュー」に時間を使うことができ、さらにアウトプットの質が高まる。
資料を作成するための最低限のテンプレートが、自分の中にストックされるのにも、約半年の時間を費やした。
コンサルタントとしての考え方(思考)とテンプレートの地盤が構築されてからは、本当に見える世界が変わった。
打合せの目的や論点も理解でき、今後のアクションを見通すことができる。
そのために今、作成すべき資料を作ることができる。
正直、パフォーマンスが上がってきたのはここからだった。
最初の半年は、ぎりぎり標準の評価でなんとか保っていた。
後半の半年は、良い評価をもらうことができ、最終的な評価時期には、最高評価を得ていた。
ここまで来るのに転職して1年かかっている。
コンサル未経験者が最初の1年を生き残るために必要なこと
コンサル未経験者が最初にすべきことは以下の2つ。
コンサルに求められる考え方(思考)を鍛えること
自分なりのアウトプットのテンプレートを蓄積すること
どちらが先ということはない。
必死で走りながら身に付けるしかない。
何千枚という電子ゴミスライドを作り、罵倒された上に身につくものである。
この2つが身につけば、なんとかコンサルタントを続けることができる。
コンサルへの転職を試みている人や、現に苦しんでいる人の気分転換に使ってもらえれば幸いである。
最後に1点だけ伝える。
自分の年齢がどれだけシニアだろうが、年収が高かろうが、未経験でコンサルに転職するなら、アソシエイト(一番下の)タイトルから入ることをおすすめする。
全くの未経験にも関わらず、シニアコンサルもしくはマネージャー以上のタイトルで入社する人が数多くいるが、彼らの末路は目も当てられない。
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