日報003 炎上の生き残り
外資IT営業の業務日報を書いていく。
よく言う「面構えが違う」というやつである。
炎上案件や炎上プロジェクトと呼ばれるところから生還した者は、文字通り、面構えが変わってくる。
炎上とは何か
SNSでいうところの炎上とは意味が違う。ここではプロジェクトなどが遅延し、リカバリー案も成立せず、追加の予算も獲得できないなどで、残されたリソースだけでプロジェクトを進行しているような状態を指す。
炎上が発生する理由は様々だが、代表的なものをいくつか挙げる。例えば、提案時のスコープが曖昧であったり、プロジェクト進行中に思わぬ課題が発生し、その課題に対処している間に、本来進めるはずだったタスクが遅延し始め、遅延の連鎖を生むなどである。
プロジェクトとは、当然終わりの期限が設定されており、期限が守れないと報告した瞬間に、責任の所在を明確にする必要が出てくる。責任を取りたくなかったり、炎上の雰囲気を察した者が徐々に何らかの理由をつけて、プロジェクトから抜けていく。そこに何も知らない新規のメンバーが加わり、遅延を取り戻すために、負荷の高い状態が継続する。そういった状態が慢性的になっていき、顧客からも常に文句を言われていると、精神を病むメンバーが出てくる。そこでまだ脱落者が続出する。精神的に病む者、肉体的限界を迎える者、思考が追いつかず放置される者。こうなると誰も自分以外の誰かをサポートしている余裕はない。そんな中で、気力と体力だけを頼りに最後の1人になっても立ち続けるやつが出てくる。
本格的な救済が始まる
炎上はいずれ鎮火する。だいたいどこにでも鎮火のために投入される人物がいる。もくもくと立ち上る炎上の煙の中で、唯一の生き残りに対し、外部から鎮火のためのリソースが投入され、本格的な鎮火が進められる。
基本的に、炎上もここまで行くと本来のゴールには辿り着けない状態になっている。そのため、鎮火の方法も限られる。一旦の仮のゴールを設定するか、すぐに中断するかのどちらかである。仮のゴールの場合は、これまでの論点や成果物などを整理し、プロジェクト開始時から現時点までの達成状況と未達事項を明らかにすることを求められることが多い。理由は簡単である。別の企業にプロジェクトの続きを任せるためである。
ここで、炎上の生き残りが活躍する場面が出てくる。プロジェクトの全容を知っているのは、この生き残りだけだからだ。鎮火のために投入された人物は、仮のゴール設定と、そこまでのマネジメントを任されており、実際のアウトプット及び、アウトプットの根拠となる情報は炎上の生き残りに集約されているのだ。
出口まで走りきった者
炎上中及び鎮火の最中は、常軌を逸した激務に陥る。業務時間帯は、顧客とのミーティング(怒号の嵐)が設定され、その中で出た結論、論点、ToDoをその日の夜のうちに整理、遂行し、翌朝の朝イチからまた顧客とのミーティングがスタートする。朝6時, 7時まで業務が続き、シャワーと着替えのために一時帰宅し、朝9時のミーティングがスタートする前には会議室に集まっている。こういった状態が2週間から1ヶ月間継続することになる。当然、こんな状態でも、アウトプットに関しては、顧客に提示可能な品質を求められるため、作業の速度と品質が、とてつもなく高速に高まっていく。これを出口までやりきった者は、これまでとは完全に別人になっている。
炎上は経験すべきか
自ら望んで炎上しているプロジェクトに参画したいと思う人はいないだろう。ただ、このとてつもない激務の中で、常に作業の締切に追われる中でも、自分のアウトプットの品質にこだわりながら業務を遂行した人間と、その経験がない人間とでは、もう言葉が噛み合わないぐらいに別人になってしまう。これは経験をした者にしか分からないことだろう。最も違和感を覚えるのは時間だろう。他の人とは異なる時間軸で物事を考えたり、進めるようになっているからだ。他の人の3倍の速度で、倍の品質のアウトプットができるようになっているため、他人の仕事がスローモーションになってしまう。「これだけ時間かけて、これだけ?」という感覚を持つことになる。これは自分の作業の標準の基準が、炎上によって強制的に引き上げられた状態だ。もうこうなってしまったら、通常のプロジェクトは、ぬるま湯と感じ、感覚的には、3割から5割程度の稼働で進めることができる。もし、そういった側になりたいと思っても、炎上の渦中に身を置けるかどうかは、自分ではコントロールできない。言えるのは、経験できるなら経験しておいても損はない。ただし、生き残れるかどうかの保証はない。
炎上の副作用
上述した通り、炎上の生き残りは、他人とは異なる時間軸を生きるようになる。そのため、他の人と会話をすることができなくなる。厳密には、自分の感覚を他人と同じ時間軸の感覚にチューニングすることで会話が可能となる。もう1つの副作用は、アウトプットの品質に対する目が良くなりすぎているため、自分の品質を他人に強要してしまうようになる。そうした結果、周囲の人間の仕事に対して、見切りが早くなったり、後進を育てるという感覚を失ってしまう。究極、自分1人ですべてやれてしまうという感覚を持ち、常に自分だけが忙しい状態に陥ってしまう。そう、最も大きな副作用は、自ら孤独になる道を歩んでしまうということだ。
生き残りたちの集い
最後に救いのある話をしておこう。炎上の生き残りは、そうでない人たちと会話ができなくなるが、逆に、生き残り同士は言葉を交わした瞬間に、お互いがそうであると感じ取ることができる。各々の炎上を生き抜いた者たちは、「面構えが違う」のである。この人たちとの仕事は抜群に楽しい。お互いが考えている品質やタスクの期限などが、面白いように一致するからである。また、生き残りたちは周囲に依存しない。生き残り立ちが集まったとしても、それは変わることはない。そのため、各々が各自のやることは勝手に進めつつも、周囲が動きやすいような配慮は欠かさない。すべてが気持ちよくつながり、ゴールに向かっている感覚が、とても心地よい。
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