カモメが飛んだ
割引あり
希望というものがあるなら、それは愛というものだ。
真理(まり)は小さなスナックを経営する32才の女だ。
東京から港町に引っ越して5年になる。
カモメが海と空をまたぐように一羽で飛んでいた。
真理は、ベランダの窓からそれを見ていた。
敬人(けいと)は、酒を飲まない客だった。
敬人のことは、まだ何も知らないと思う。
私は、その凜とした横顔に、触れることさえ許されていない。
「真理」、敬人が私を呼び、朝が始まる。牛乳に、トースト、敬人がいつも用意してくれる。敬人はアルバイターだ。今は、飲食店と、デリバリーで生計を立てている。
私は、敬人に触れられたことはない。
「敬人、今日は何時から?」
「ん、10時」
敬人は、私のベランダのサボテンに水をやりながら、答えた。
敬人の料理は、決しておいしいとは言えない。その代わり、薄味の、身体によさそうな食事がいつも食卓に並ぶ。
敬人に初めて触れたのは、敬人が「抱きしめて」と言ったから。
敬人の、危うさは、感情表現をしないところにあった。
私は、初めて、敬人の言葉を聞いたような気がした。
「うん」
私は敬人の肩に、そっと触れた。そして、ゆっくりと少し背の高い敬人を壊れないように、抱いてみた。
「ありがとう」
初めて、敬人に触れた私は、気がついたら泣いていた。
あれから、敬人とは会ってない。
私は、敬人と過ごした2カ月を後悔していない。
敬人は、あれから家にこなくなったけど、敬人は、自殺はしない。
どうして?ばかりが降り止まない夜もあった。
「あなたのこと、信じてる。」
end
カモメが飛んだ
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