これからの時代
私の知っている限り、
日本語はあとにくる。
よって、日本語は在るものを示す意外に、使い道はない。
だから、現在ある日本語の意味に忠実に話すことを行うことは、ないものを在るとして話していることに過ぎない。
だから、今までの日本語の意味を知ることは、物を知ることであると思う。
しかし、文章は違う。文章になって日本語は初めて本当の意味を持つと思う。意味とは、それが指し示す内容のことだと思う。
日本語の意味の変化を私が肯定するのは、環境と時代によって、私たちに在るものがちがうからだ。
だけど、だからこそ、環境に依存しない不滅の言葉は必要だ。
そのために、本当ならば、私たちは[環境]と[時代]を排した、全ての作品に触れなければならない。
作品が、環境や、時代の中の物であってはならない理由は、上に述べた通りである。
しかし、そのような作品が、もしないとしたならば、私たちは、それを可能にすることから、はじめなければならない。
2人いればそれは始まり、
3人いれば、対立を起こすだろう。
そして、4人で初めて、できるだろう。
そして6人で、形になるだろう。
それは1つの日本語について
成り立ちを考えることから始まる気もする。
1部首の意味を突き詰めていく
2組み合わせの意図を知る
そうして、完全なる日本語はできあがるはずだと思う。
しかし、漢字の失敗は
難しいところだ。
ひらがなは、にほんごをくずさずに、いみをしめすことができる、とてもべんりなことばだ。
ただしよみずらい。
51おんのくみあわせで、たようなへんかをする。
あお にはなんこかの漢字があるが、あおいろ と、いろをつけたせば、あおが、なんのあお、をしめしているのか、わかる。
襖という漢字も、あおと読む。
この読み方は、もういらない。
私がしていることは、制限の中で、意味を生み出すことであり、それが新たな価値を超えた生きていく意味に繋がる、と言いたいのだ。
私の文章が完璧じゃなくともこれを是非理解してほしい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?