【短編】きらきら
不毛だ。
2年前、自覚した時に同時に思った。不思議と悔いることはなかったし、それ以上を望むこともなかった。
ただ、今の距離を保っていられるなら、それだけで良いのだ。
会社の西側にある倉庫の奥の方。
午後4時頃になると、金色の西日がきらきらして、とてもきれい。私は休憩がてら、丁度日の差し込む窓のそばに腰を下ろす。倉庫だから、誰も来ない。週末に倉庫整理と称して小一時間休んでいることは、秘密である。
だから彼がそこに現れたことは、本当に驚いた。
「なるほどな、こうやって毎日サボってたわけだ?」
いつものこの時間、悠生さんは事務所で伝票整理をしているはずなのに。何でここに来てるのよ。
「違います、サボってません、倉庫整理です、今は休憩してただけです」
「嘘はお見通しじゃ越後屋!」
「嘘じゃないし越後屋じゃなくて八谷ですハチヤ」
さっさとどっか行けよ。
そう思って早口になる。
あ~私の秘密の場所がぁああ。
「まぁな、オレも若い頃よくここでサボってたよ」
「えっ」
「だってダリーもんよ、そう思うべ? ハチ」「なんだ、悠生さんもサボってたんだ」
「やっぱサボってたのかよ」
ちっ。
口車に乗ってしまった。
悠生さんは私の左側に腰を下ろす。
「あのさー……ちょっと、オレの話聞いてくんね?」
「嫌ですけど」
「恋愛の話なんだけどさ」
右手で後頭部をガシガシかきながら、私の返事をシカトして話し始めた。
恋愛の話? ますます嫌なんだけど。
「……オレをさ、好きでいてくれてる女の子が居るみたいなんだよね」
「はぁ」
「オレが気付いてからさ、半年は経ってるわけね」
「はぁ」
「その子には何も言ってないんだけど、でも、言わなきゃいけないと思ってさ」
「……はぁ」
イヤ ナ ヨカン ガ スル。
「……ハチ」
悠生さんの声が、全てを含んでいる。のが、よく分かった。悲しげで、でも優しくて、傷つけないようにって考えて出したような声。
あぁ。
もう、生返事で流せないじゃない。
言わなくて良いよ、知ってるから。最初から、いや、始まる前から知ってた。だから、不毛だって思ったのよ。
「……ハチ、オレさ」
悠生さんが私の方を向く。西日に照らされた彼の髪が、きらきらしてきれいだった。でも苦しそうな顔をしている。眉をひそめて、今にも泣きそうで切ない表情。
「……半年しか気付いていてやれなかったけど、嬉しかったよ。オレのこと、好きになってくれる女の子が居たんだって、マジで嬉しかった」
“嬉しかった”なんて、何で過去形なの。
言わないでよ、それ以上。
触れないで、私の気持ちに。
居心地の良い距離が、それが無くなるのが怖いから、だから言わないって決めていた。だってあなたには、いちばんの人が居る――……。
「気づかないふりして、何もなかったように接していようか迷ったんだ。でも気づかなかった頃には戻れないし、お前の気持ち、勝手に無かったもんにするようなことは出来ねぇしさ」
どうして気付いたの?
どうして、触れてくるの?
流して良いのに。
あなたの特別な隣が欲しかったんじゃない。
ただ、あなたを想っていたかった。
「……星加、泣かないで……」
「泣いてません」
どうしてこんな時だけ名前を呼ぶの。どうしてこんな時だけ優しく頬を撫でるの。
泣いていることさえ分からなかった。自分の思いを抑えることで必死だった。
「星加のこと、好きだけど、恋は出来ない。オレにはいちばんが居るから」
「知ってますよ? 私、何も言ってないじゃないですか」
「……うん、そうだよな」
彼の手が、涙で濡れた私の頬から私の頭へ移った。ゆっくりと、温度が伝わってくるように何度も撫でた。私は自然と俯いた。
「オレな、彼女と結婚するんだ。だから、その前に、星加とはきちんと話したかったんだ。きちんと伝えたかった、好きになってくれてありがとう、って」
先を望んでいなかったなら、どうして彼の声に、言葉に、泣いたりするんだろう。彼に自分の思いに触れられて、むしろ嬉しいんじゃないのか。
私、本当はいちばんが欲しかった……?
「……そんなわけない」
「え?」
私は必死に早口で喋った。
「悠生さん、自意識過剰もいいとこですね。さっきも言いましたけど、私何も言ってませんからね? なんか、私の話のように聞こえますけど、この話は悠生さんの相談話ですからね? 私はお相手の方の名前も知らないし、もちろん私じゃないし、ただ、悠生さんがどうしたら良いかってことを考えればいいんでしょう? だったら答えは簡単ですよ」
「……え、何、どうすんの」
「何も言わないで、これまで通りに接することです。変にその子の思いに触れたら、その子が火傷して苦しくなるんですからね」
彼女が居ることも、結婚が近いことも知っていた。
なめんなよ。
どれだけあなたを見てきたと思ってんのよ。
これ以上触れられないように。
これ以上泣かないように。
震えた声を、どうか止めないで。
「……星加」
「あーもうやめてくださいよ、普段名前で呼ばない人に呼ばれると鳥肌立っちゃう! しかもそんなニュアンスでさー」
西日が少しずつ細くなって、悠生さんのきらきらした髪の色が落ち着いていく。
明るさが暗闇に吸い取られて、それと同時に私の涙も吸い取られるようだった。
「ハ・チ! 私にハチってあだ名を付けてくれたのは悠生さんでしょう?」
「……」
「もう悲しい顔しないでください。悠生さんの相談の答えも出たし、そろそろ事務所戻りましょ? もう定時過ぎてますよ」
「え?! マジで?! もうそんな時間?!」
薄暗い中にボンヤリ浮かぶ時計を指差すと、悠生さんは目を丸くして驚いた。
「やべぇなー、課長に睨まれるよ。……ハチ、オレ、先に戻る……よ?」
「はい、どうぞ。私は戸締り確認してから戻ります」
「分かった。……お疲れ」
「……お疲れ様です」
心配そうに私をジッと見つめてから、悠生さんは倉庫を出た。
西日はもう窓の外にも無くて、暗くなった倉庫の奥、紺色に染まっていく窓の外を見ながら、私は最後に思い切り泣くことにした。これで、本当に終わろう。終わらせるんだから。
ありがとう、悠生さん。
きちんと向き合ってくれて、ありがとう。
どうか、あなたがいつも幸せでありますように。
おわり
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