日米協会100年の歴史「日本で最も歴史と伝統のある日米民間交流団体」
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一般社団法人日米協会は、1917年(大正6年)激動する国際情勢の中、日米両国の有識者たちによって創立された日本で最も歴史と伝統のある日米民間交流団体です。
以来一世紀にわたり、日米両国および世界の平和と安定を願いより良い二国間関係を築いていくために、互いの歴史、文化、慣習、国民性などを尊重しながら、教育・文化交流、人物交流、知的交流などの活動を行ってきました。
◆日米協会の歩み◆
1.日米協会の創設
第一次世界大戦がはじまった頃から、中国大陸における日米両国の利権問題やアメリカ国内での排日運動の動きなど、日米間には緊張した空気が流れていました。そうした中で、明治の頃にアメリカ留学の経験のある人たち、両国間の友好関係を強く望む有識者たち、さらには東京在住の知日派のアメリカ人たちの間で民間レベルでの日米交流団体を立ち上げようという動きが起こりました。
1917年(大正6年)の4月、日米両国人が互いに親しく交流し、相互理解を促進することを誓って日米協会は産声をあげました。
初代会長にはハーバード大学を卒業、大日本帝国憲法の起草にも関わった金子堅太郎、名誉会長には時のアメリカ大使ローランド・モーリスが就任、名誉副会長には徳川家達、渋沢栄一、高橋是清、高嶺譲吉など、執行委員には新渡戸稲造、団琢磨、井上準之助など時の政財界や学界を代表する人達が名を連ねました。
1917年4月13日
華族会館にて開催された第一回日米協会総会の議事録
1929年2月19日
第3回リンカーンエッセイコンテスト表彰式
(中央に第2代会長徳川家達、右端に第3代会長樺山愛輔)
日本が太平洋戦争に突入するまで協会は日米友好の促進という創立者たちの遺志を受け継ぎ、アメリカから来日する要人たちの講演会開催、英文広報誌の発刊、スポーツ、文化、教育交流など活発な活動を展開してきました。
例えば、新しく就任する米国駐日大使の就任歓迎午餐会は必ず協会が主催し、関東大震災直後には、被災しながらも協会はアメリカの「ヘルプ・ジャパン」の呼びかけのもとに、アメリカからの多額の義援金の受取窓口となり、救援物資や医師、看護婦の派遣受け入れに尽力しました。また、初めて大西洋無着陸飛行に成功し世界的な英雄となったリンドバーグが来日した時、滞在中の世話をしたのも日米協会でした。
1931年8月29日
徳川会長よりリンドバーグ夫妻に記念品贈呈
1937年4月18日
ヘレン・ケラー女史来日歓迎晩餐会
2.戦後の復興への道
戦時中は当局の要請で協会の活動は停止されましたが、終戦の翌年には占領下にあったとはいえはやくも事務局は再開されたのです。戦後の混乱期から経済復興を成し遂げるまでの数十年間、日本には日米協会以外にアメリカの要人や賓客を受け入れ英語で講演会を主催できる団体や組織は少なく、協会での講演会がアメリカの対日政策を発表する場となることも度々ありました。来日したアメリカの副大統領ニクソンが日米協会の午餐会で行った日本に再軍備を求めた講演は大きな話題となりました。
戦前から引き継いできた教育・文化交流の分野でも協会の果たした役割は多々あり、日本文化をこよなく愛したロックフェラー3世の強い要望で、戦後まもなくニューヨークの近代美術館の庭に造られた「松風荘」は、日本の伝統的建築技法を駆使した書院作りで、当時のアメリカ人に大きな感銘を与えました。このプロジェクトは、日米協会が官界、財界に呼びかけ多額の寄付金を集めて実現しました。
1953年11月19日
ニクソン副大統領歓迎午餐会
1954年2月26日
松風荘模型を前に三笠宮同妃両殿下と歓談する
ロックフェラー3世夫妻
3.新たな発展へ向けて
日本が戦後の復興を成し遂げ、経済大国としての地位をゆるぎないものとすると、国として国民として積極的な国際貢献や国際交流が求められるようになりました。国内には協会以外にも同じような使命を持つ民間交流団体が数多く誕生すると、戦前、戦後を通じて日米民間交流の中心的な役割を果たしてきた日米協会の存在意義は変容し、新たな路線を模索することが求められるようになりました。それまで日本各地で独自に活動を行っていた地方の日米協会は、全国日米協会連合会として組織化され、東京の日米協会に事務局が置かれ、各地の日米協会との多彩な交流プログラムが企画されました。また、アメリカ国内の日米協会とも全米日米協会連合を通して交流の輪を拡げていきました。今まで少数派であった若者、女性、米国人などの会員を増やす努力を続け、活動内容も協会単独ではなく他の団体との共催で交流プログラムが多数開催されるようになりました。
2001年9年26日
日本国政府と共催による9.11米国被害者追悼・お見舞の会
2015年2年27日
米国大使公邸 雛祭りパーティ
日米協会は2012年5月1日に一般社団法人として新定款を採用しました。2017年の4月13日には創立100周年を迎えました。協会はつぎの100年への出発を機に「100年基金」を設立しました。この基金の趣旨は、次世代を担う日米両国の若者たちの交流が深まることを願い、教育、文化、人物交流などを通して知的水準の高い活動を継続して行く事です。
2017年4月13日
日米協会創立100周年記念式典・レセプションを帝国ホテルで開催。
式典レセプションには天皇・皇后両陛下、安倍総理夫妻他600名が参加
これからも協会は、創立時の協会の理念を受け継ぎながら、世界の平和と繁栄を願い、日米両国の歴史・文化・国民性を尊重しながら相互の理解と友好親善を促進することを目指します。
◆歴代会長◆
初代会長 (1917年就任) 金子 堅太郎
2代会長 (1924年就任) 徳川 家達
3代会長 (1941年就任) 樺山 愛輔
4代会長 (1950年就任) 小松 隆
5代会長 (1960年就任) 吉田 茂
6代会長 (1968年就任) 岸 信介
7代会長 (1984年就任) 福田 赳夫
8代会長 (1995年就任) 大河原 良雄
9代会長 (2013年就任) 藤崎 一郎
◆会長あいさつ◆
一般社団法人日米協会第9代会長 藤崎一郎
マンスフィールド大使の有名な言葉“Japan-US relationship is the most important bilateral relationship bar none(日米関係は世界で一番大事な関係だ)”があります。最初、聞いた時はちょっと大げさだなと内心思いました。駐日米国大使なので立場上そう言われたのだろうと思ったものです。
しかし、いま本当にそうかもしれないと思いはじめています。中東の混乱、欧州の不安定さ、中ロによる力の誇示などが起こっています。日米というまったく違った歴史の二つの国がこれほど安定的な友好関係を築いてきたのは世界への大きな貢献です。
日米経済関係は多くの摩擦を経験してきたし、政治的にもつれた時期もありました。その間、両国関係を支えてきたのは国民レベルの友情です。双方の文化、国民性についての相互理解を高める努力をたゆまず積み重ねてきたことが大きな役割を果たしてきました。
日米協会は、日米民間交流のほぼ唯一のチャネルだった時期もあります。今は多くの団体がありますが、その中で協会の特徴は三つです。
一つ目は歴史です。1917年に設立され、金子堅太郎伯が初代会長に就任しました。戦後は、吉田茂、岸信介、福田赳夫など歴代の総理経験者なども会長として協会を引っ張ってきました。
二つ目は横のつながりです。全米に37、全国に30の姉妹協会があり、二年に一度合同の集まりがあります。こういう幅広いネットワークは他に例がありません。
三つ目は現在の活動です。時宜に応じた著名ゲストをよんで講演会でなく質疑応答を行う月例会、駐日米国大使公邸での新年会、在日米軍基地見学など盛りだくさんです。常に改善し、マンネリに堕さないよう努力しています。月例会に来て見てください。面白いですよ。これらの特徴もあり、メンバーは着実に増えています。特に若い人、女性、米国人は大歓迎です。
2017年4月には天皇・皇后両陛下のご来臨を仰ぎ創立100周年を祝いました。ぜひこの機会に会員になりませんか。
◆会員になるには◆
会員の種類
・法人会員(ゴールド・シルバー・ブロンズ)
・個人会員(個人維持会員・個人正会員・準会員・学生会員・海外会員)
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