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「ありがとう」を皆さまへ 岡山尚幹さんを偲んで

 岡山さんに面接して頂いた1997年4月、オケ連の事務局は大久保駅より徒歩30秒、総武線の高架真横の1階が焼肉店の細いビル6階にありました。入るのを躊躇してしまうような小さなエレベーターで上がると、金山さん(当時東京交響楽団楽団長)と岡山さんが並んで迎えて下さったのでした。後に、岡山さんより「入ってきた瞬間に貴方だと決まったよ」と、素敵なお言葉を。その訳は「外国の方にもビビらなそう」だから、と拝聴したのが本当に昨日の事のようです(27年も前)。

 すぐに今の錦糸町事務局へ引っ越し、11月にはすみだトリフォニーホール開館記念事業とご一緒して「オーケストラ・サミット」(世界初となるアジア太平洋地域のオーケストラによる国際会議)、記念公演「MUSIC BEAM from JAPAN~現代日本オーケストラ作品の夕べ~」という大きな事業が待っ
ていました。

1997年 第1回オーケストラ・サミット・イン・ジャパン ※ 1
2002年 第1回アジア オーケストラ ウィーク ※ 2
2002年 日本オーケストラ連盟総会後の懇親会にて ※ 3
2006年 第7回現代日本オーケストラ名曲の夕べ ※ 4
アクロス福岡シンフォニーホール

 岡山さんは昔語りをあまりなさらない方でしたが、海軍兵学校で終戦を迎え、無蓋貨車にぎゅうぎゅうになって黒い雨の降る「なんにもなくなってしまった広島」を通って帰ってきたと伺ったことがあります。早稲田大学で合唱にハマり、修士修了後エンジニアとして文化放送に入るも、フジテレビ開局に際し音楽の仕事がしたいと移籍、長年にわたり音楽番組の制作を担当。1960年に日本フィル事務局へ派遣されるなどオーケストラとの関わりも深いものでした。テレビの輝かしき黎明期のこと、ニューヨークやパリで支局長を務められた華麗なる生活の断片も、時折、伺うことができました。「昭和一桁(1929年)生まれはしぶといですからネ、蛇年ですヨ」と笑顔で仰りながら、大小様々な障壁を、皆さんのご協力が自然に集まるように、何度も乗り越えて、オケ連の礎となる文化庁との連携や、ワークショップやマーケティングなど当時のオーケストラ界では初となる各種事業を次々と展開されました。

オーケストラ・プレイヤーによるワークショップ ※ 5
2008年第6回オーケストラ・サミット(上海) ※ 6

 僕の人生は音楽があるからこそ、と仰っていた岡山さん。オケ連のみならず、オーケストラ界へ多大なる貢献をされましたが、岡山さんは最後に、とにかくオーケストラの皆さまへお礼をお伝えしたい、と仰っていらしたことをご家族より承りました。

 ご葬儀から3ヶ月が経つ今でも岡山さんからお電話がかかってくるような気がしてなりません。日本人作曲家によるオーケストラ作品をもっと演奏し後世に渡す、オーケストラの力を社会に還元して国際平和に貢献する、という大きな使命を託されました。岡山さんに教えて頂いた音楽をわかちあう掛け替えのない人間らしさを、いつまでも大切に心に宿して参ります。本当にありがとうございました。これからも見守っていてください。

2024年オーケストラの日祝祭管弦楽団 東京文化会館 ※ 7

(オケ連 名倉 真紀)

※ 1
すみだトリフォニーホール小ホールにて開催。登壇者 原武(当時オケ
連専務理事、NHK交響楽団副理事長)
※ 2
フィリピン・フィル、クィーンズランド響の代表者と児玉幸治(現名誉会長)と共に
※ 3
左より名前(当時の役職): 金山茂人(東京交響楽団楽団長)、故長岡實(オケ連会長)、児玉幸治(オケ連理事長)、田辺稔(日本フィルハーモニー交響楽団専務理事)、岡山尚幹(オケ連常務理事・事務局長)
※ 4
2000年に迎えた日本オーケストラ連盟設立10周年を記念して、日本のオーケストラ作品再演のみで構成するコンサート「現代日本オーケストラ名曲の夕べ」を開催。設立20周年となる2010年まで全国各地で毎年開催し11回を重ねた。 
※ 5
2000年より開催。2006年には紀尾井ホールにて「子どものためのオーケストラ入門」開催。舞台上でリハーサルを行うマイク・スペンサー、故クマ原田、楽員とワークショップを重ねた小学生たち。
※ 6
アジアを代表するオーケストラが一堂に会し、気概に満ちた熱い議論が交わされた。
※ 7
3月31日はミミにいちばん!「オーケストラの日」オーケストラをもっと身近に楽しんで頂こうと2007年に始動。春休みのご家族連れで賑わう恒例行事に。

2024年7月31日発行
「日本オーケストラ連盟ニュース vol.114 40 ORCHESTRAS」より


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