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中国語学習うん十年でも、 なかなか超えられない「発音の壁」

AJ少年、中国語との出会い

中国語に最初に触れたのは中学生の頃だっただろうか。母親が学生の時に勉強したという古いぼろぼろのテキストがなぜか家にあり、当時の私にとっては”変な漢字”(簡体字)と不思議なローマ字の振り仮名、日本にはないタッチのイラストが、好奇心旺盛なAJ少年の心を妙にとらえた。

「放送」で中国語の音に馴染む

その後、中学生になってからは、今考えるとまさにシンパを増やすための「国策」放送だが、北京放送局の日本語での中国語講座をラジオで聞く機会があった。当時の私は短波で英語の勉強のために他の国々の放送も聞いたので、その一つぐらいの感覚でいたが、庶民の生活を題材にしたスキットは面白くためになった。

その後、NHKのラジオ・テレビ講座で勉強を続け、これまたテキストに載っている中国の普通の人たちの写真や各地の風景を見ながら色々想像を膨らませて勉強しているうちに、中国語の不思議な発音もだんだん聴き取れるように、そして自らも発音できるようになっていった。

また短波ラジオでは台湾の放送も聴けたが、台湾は漢字も変な簡体字ではなく、発音の表記(注音字母)も大陸とは全く違うことを知るなどして、中国を巡っては色々複雑な政治的・歴史的な事情があるのだなということも、子供ながらに感じ取り、ますます興味を持っていった。同級生にも華僑系の日本人がいたりして、中華圏関連の、複雑で奥深い世界を知ってみたいと、独学で言葉を学んだ。

「有気音」と「無気音」の区別

そんなこんなで、今は交流や仕事で中国語を使うようになったのだが、いまだに苦しめられるのが、発音、だ。

子供の頃に音に触れたから、大人になって始めた人よりも耳も、発音も良い方だと思うのだが、いまだに聞き間違えるし、発音してもネイティブに最初理解されず「ん?ああ、○○ね」と言い直されたりする。

そのひとつが、「有気音」と「無気音」だ。

語学の専門家ではなく理論はわからないので、自分の経験でごくごく簡単に書く。
学習者の方々はご存知のように、

「有気音」は、p, t, k, など、パッ!、トゥッ!、クッ!と唇を破裂させる音。
「無気音」は、b, d, g, など、破裂させない音のことだ。

何かのテキストに、「一枚の紙を上からぶら下げて、その前で発音してみて、紙が息で揺れるのが「有気音」で、「無気音」は揺れない、」と書かれていて、若い頃何度も練習したのを覚えている。」おおげさにパッ!と飛沫を飛ばして、「おお、紙が動いた」、逆に「無気音なのに、紙が動いちゃった」などと言いながら(笑)

しかし、ことはそう簡単ではなかった。

これは、有気音だと思って聴いたら、無気音だったり、その逆だったり。今ではほぼ正しくわかるが、時折聞き間違える。

勉強するうちにわかってきたのは・・・

「有気音」と「無気音」≠「清音」と「濁音」


・・・ということ。「pa」は「パ」、baは「バ」、ではないと。

たとえば、「北京(běijīng )」は、全く中国語を勉強したことがない日本人に聞かせて「どう聞こえたか、カタカナで書いてください」と言ったら、おそらくほとんどの人が「ベイジン」ではなく、「ペイチン」と書くだろう。

でも、日本人が向こうに言って、「ペイチン」と言ったら、四声(アクセント)が合っていても、通じない。「ベイジン」と言った方がはるかに通じやすいはず。
でも、日本語で言う「ベイジン」ではない。

ちなみに、台湾のローマ字表記は大陸とは違うが、「台北」は「Taipei」。
「北」は北京の「北」と同じだが、「bei」ではなく「pei」。ここからも、外国人が聴いたら「北」は、(実は破裂音じゃないけど)「ペイ」と聞こえる、ということを示している気がする。

「ま”だ”今度」

逆に、日本語が相当流暢な中国人でも、よく間違えるもののひとつが、「また」と「まだ」。

「また今度」という時の「また」の「た」は、どうも「da」と聞こえているようなのだ。なので、メールで書く時に「まだ今度」と書いたりする人も。

なぜそういうことが起きるのか。私たちも「また今度」と発音してみたら、その謎がわかる。

どうだろう。「また」の「た」は、中国語の有気音のように「タッ!」と破裂はさせていないことに気づく。きっと彼らは「mata」ではなくて、破裂させない「mada」に聞こえているのだ。

発音問題。お互い、大変だ。

「発音」の問題から、「世界平和」!?を考えた

じゃあ、私たち勉強ではどうしたらよいか。それはもう、ひたすら聴いて話すしかない。そしてその上で間違っても、中国語の表現を職業にしているプロ以外は、何の問題もない。

そうやって努力をして、外国語の発音の難しさ、限界を知り、壁にぶつかった人は、逆にさきほどの「また」と「まだ」の例のように、外国人が日本語を不正確な発音で話した時に、その人の気持ちも分かるはずだ。外国人のアクセントを笑ったり、茶化すなどという気には、到底ならないはずなのだ。

今世界中で「自国第一主義」が蔓延っている。それこそ今の大陸にもそれを感じることが多くなってきた。しかし日本もどうだろう。

こういう時こそ、「政治」から離れて、純粋に外国の文化に関心を持って言葉を学び、その言語で交流する人が増え、それが「相互に」行われるようになれば、何か良い変化につながると期待してしまう。

事はもちろん簡単ではないが、外国語を学ぶ意味はそこにもある。「有気音・無気音」の発音の小さな問題から、ここまで語るのは、ちょっと大げさで、私の悪い癖かもしれないけれど、そんな変な考えでもないはずだと信じている。



台北で見た鳥の群れ。雨上がりの市街を飛ぶのは・・トキ!? 


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きょうも最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
AJ 😀









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