トルコ・シリア大地震の被災地を想い、東京のモスクへ行ってみた
日本最大級のモスクへ
トルコ・シリアの国境地帯で起きた大地震の死者数が、ついに2万8千人を超えたたという。私の故郷神戸を襲った阪神淡路大震災や、東日本大震災をはるかに上回る犠牲者数に、あらためて胸が痛くなった。
今日の休みは特に予定はなかったのだが、先日、東京にある日本最大級のモスク「東京ジャーミイ」で募金活動をしているというニュースを見たのがずっと気になっていて、行ってみることにした。
小田急線の代々木上原駅を出て井の頭通りに出ると、すぐに高さ40メートルあるモスクの尖塔(ミナレット)が目に飛び込んでくる。
このモスクの歴史。1917年のロシア革命で迫害を受けて日本に逃れ定住したトルコ人たちが、イスラム教徒たちの心の拠り所を求め、1938年に日本政府の協力も得て「東京回教礼拝堂」を建設。1980年代に老朽化のため取り壊された後、2000年に東京ジャーミイそして、トルコ文化センターとして生まれ変わったという。
イスラム建築の美
精緻なイスラム紋様が、本当に美しい。
写真の真ん中の部分は、アラビア文字だと思うが、コーランの一節か何かだろうか。意味はわからないが、アートだ。
水道の蛇口ひとつとっても、この美しさ。
今回の地震の犠牲者を悼んで、トルコ国旗は半旗になっていた。
一般の見学者を歓迎
「見学はご自由です」の大きな垂れ幕。信者でなくとも、来る人は歓迎のようだ。
中へ入ってみると、びっくり!
なんと、ざっと数えて百人以上はいるだろうか。私と同じ日本人の一般の見学者と思われる人たちが、このモスクやイスラム教についての日本語での講話を聴いている。
私は途中からだったので、話を聴いてよいのか近くのスタッフと思われる方に聞いたところ「もちろんです!」と笑顔で綺麗な日本語が返ってきた。アラビアは数字をはじめとして豊かな文化を産んだこと、またイスラム教徒は食事などを人と分け合うことを大切にしているという話などを聴く。
若いカップルから年配の人まで。恐らく多くの人が地震をきっかけに訪れたのだろう。私は何年か前に一度だけふらっと来たことがあったが、もちろんこんなに見学者はいなかった。
礼拝堂へ
二階の礼拝堂へ行ってみよう。
入り口には、服装の規定などが書かれている。
さあ、中へ! そこは・・・
美しく高いドームを頂いた、異空間が広がっていた!
なんと形容すればよいだろうか、涼しく、広々とした空間を静寂が支配していた。
皆、床の絨毯の上に座り、思い思いに静かに時を過ごしている。私はイスラム教徒でも何でもないのに、心がスーッと軽くなるような不思議な感覚を覚えた。そして、その場ですぐに床に座って目を閉じたくなる感覚といおうか。例えがよいかわからないが、大きな仏教寺院の本堂に入った時の感じに似ているような気がした。
女性は日本人でもみなヘッドスカーフをかぶっていた。持っていない人はここで借りる。
2階は女性専用の礼拝スペースになっていた。男は入れない。
静けさの中で、しばらく装飾の美しさに見惚れてしまう。
このシャンデリアのような灯りも、アラビア文字になっているようにみえる。
窓際に置かれているのは、コーラン(クルアーン)だろうか。
一日に三回あるお祈りの時間がやってきた。
信者の人たちが集まり、聖職者が朗唱をするのだが、荘厳で、どこまでも伸びるような声が礼拝堂いっぱいに響き渡る。全く意味がわからないのだが、純粋に声として、音として心地よい。心のデトックスができるような声なのだ。
この聖職者の方は、地震の被災地のことについても触れられたのだろうか。私は静かに被災地の人たちを想像して祈った。また、ウクライナやミャンマーや、アフガニスタンや、その他の世界中で苦しみ心が潰されそうになっている人のことも考えた。
宗教に関しては、何の知識もない私は軽々しくものが言えない。ただ、思ったのは、お寺でも神社でも感じたことのあるような、心が落ち着く感覚、自分の内面を見つめる時間が、ここにもあるということだ。きっと人間に必要不可欠な空間なのだろう。
中東の食品なら何でも揃う、コンビニ!?
さて、礼拝堂で心を落ち着かせた後、建物の中に戻る。階段を降りると、コンビニのような売店があった。
食料品を中心に、土産物まであり、充実した品揃えだ。
ひとつだけ、笑ったのは、これ!
日式カレー!?忍者に芸者に、日の丸のカップ麺。原産地をみたらシンガポール。味は如何に!?
その他、スイーツも充実。これは、エジプト風ライスプリン。
そして、これはトルコのスイーツ。カダイフというらしい。ひとつ買った。
モスク内は結構広い。後少し回って、帰ることにしよう。
こちらは、イスラム教関連の本を集めた図書スペース。
「お浄め」という発想
最後にお手洗いに失礼することに。
すると、表示は「お浄め所」。
「お浄め」とは。
それは、トイレのすぐ横のこの空間を見れば、わかる。
礼拝の際に手や顔や足などを洗って、身体を浄める場所だ。思えば、神社で参拝前に手や口を浄めるが、それと同じ発想のように思う。
訪れたのが、午後3時前。気がつけば二時間以上が経過している。全く時間を感じさせない見学だった。
助け、助けられ・・・
帰り道、上品ではないが、歩きながら。買ったスイーツ「カダイフ」を食べる。甘ーい!甘党の私もびっくりする甘さだが、心のデトックスをした後のスイーツで、日々の疲れが吹き飛んだ気がした。
肝心の地震。トルコだけでなく、シリアも被災地。そしてシリアといえば内戦中で物資が届かない被災地があると聞く。どうすれば、そういう場所にも届く支援ができるのだろうか。国連やNGOへの寄付でも、そういう場所に届くのだろうか。
自分の実家も崩れた神戸の地震、街が消え去った東北の被災地、地図の海岸線が変わってしまったインドネシアアチェの津波被災地・・・トルコとシリアは行ったことはないが、これまでに見てきた各地の被災地から現状に想像を膨らませる。
そして、なぜこれほどまでに他国の地震の被災地に気持ちが向かうか。そのもうひとつの理由は、もうじきこの日本にも必ずやってくると、心の底でずっと心配していて他人事じゃないからだ。助けたり、いつか助けられたり。
きょうモスクで見たあのたくさんの人たちも、同じような気持ちだっただろうか。
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きょうも最後までお読みいただき、ありがとうございました。
AJ 😀