何回か死んだつもりだから自分は二の次 死と生を見つめた私が「応援」を続けるワケ
2024年に活動15周年を迎えるAJO☆朝チア部。15周年の特別企画として、チア部で活動するメンバーひとりひとりのことを知ってもらうべく、個別インタビューを敢行。個性豊かなメンバーの人柄や価値観を語ってもらいました。
今回は2022年に11期としてチア部に加入したパークのインタビュー記事をお届け。負の体験から人間嫌いになり、「人間に生れたのは何かの罰」とさえ思った少女時代。警察官として死に向き合い、今は人生設計のプロとして「生」に向き合うパークにとっての「応援」とは。(インタビュー 木村公洋)
存在を知ってから10年余り 運命だったチア部との出会い
ーーチア部に入ったきっかけを教えてください。
パーク:チア部の出張チアが私の会社に来てパフォーマンスをしていたんです。
私は高校卒業後、警察官になるために入った専門学校でチアダンスを始めました。警察官になってすぐにチア部の存在を知って興味を持ったんです。でも、警察官なのでチア部の活動はできません。それなら作ってしまおうと、所属する神奈川県警の中で「Smilings(スマイリングス)」というチアリーディング部を結成して活動していました。
自分たちで活動していたので、AJO☆朝チア部の活動は追っていなかったんです。その後、警察官をやめて転職した会社でまさかチア部を目の当たりにすることになるとは夢にも思いませんでした。パフォーマンスを見て「この人たち、まだいたんだ!?」と驚きを隠せず、爆笑してしまいました。そのときはクミッチェルとかもんぬ、砂叶がいて、私も応援されたんですけど、応援を倍返ししました(笑)。
その数日後、神奈川での朝チアを見に行くと、かなぶんとなっつぅがいました。私はその場ですぐに参加して、2人を圧倒するパフォーマンスをしたんです。2人とも驚いていたのが印象的でした(笑)。こうした出来事が重ねって、チア部に入りました。
ーーなかなかインパクトのあるきっかけですね(笑)
パーク:運命だと思っています。会うべくして会った、みたいな感覚ですね。でも、クミッチェルと話をして一度は入部をお断りしたんです。警察官時代で活動もやり切った思いもあったし、年齢的にもどうかなと考えていたんですけど、クミッチェルのほうが年齢が上だったので、断る理由がないなと(笑)。「もう一度やってみるか!」という気持ちで入部しました。
ーーそもそも、なぜチアを始めたのですか?
パーク:女性しかいない環境が苦手で、それを克服するためです。
警察官になるには警察学校に入って集団生活を送るんですけど、女性24人の教場で10か月缶詰になる環境なんです。「女性しかいない環境が苦手なままだと大変なことになるぞ」と思い、専門学校では敢えて女性しかいない部活を選んだんです。だから、チアを始めたのは嫌々だったんです(笑)。専門学校は警察官や自衛官を目指す人が入るので、ダンス部というよりは応援団みたいな活動をしていましたね。
私の負の経験を価値にする、10歳の時に決めた警察官へ道のり
ーー苦手な環境を克服してまで警察官になりたかったんですか?
パーク:これは私の家庭環境に起因します。私は2歳から母子家庭で育っていて、母はいわゆる「銀座のママ」で夜のお店を切り盛りしていました。私も母に連れられてお店で過ごすことが多かったんですけど、お客さんを見ていると「大人って弱い生き物なんだな」と感じてしまったんです。平気で嘘もつくし、子どもと同じじゃん、と。
私が10歳のとき、母に恋人ができたんですけど、母に暴力を振るっていたんです。好きな人に暴力を振るうっていったいどういうことなんだろうと疑問でした。その人に殺意が芽生えたこともありました。そうした男女のやり取りも見ると、「人間ってなんて汚い生き物なんだ。私は人間として生まれてきてバチが当たったんだ」と思うようになって、どんどん人が嫌いになっていきました。人が嫌いすぎて、動物とコミュニケーションを取った時期もありました。
死んでもいいかなとすら思っていました。でも死ぬのは簡単で、むしろ生きるほうが大変です。そんな状態のとき、母からもらった一冊の本を読んで、「私は自分が好きじゃないんだな」と初めて知ったんです。
人を好きになるためには、自分を好きにならないといけません。じゃあ、自分を好きになるためにはどうすればいいのか。まず誰かの役に立てればいいのではないかと思いました。私が役に立てる場所はどこだろうと考えた末に出てきたのが「最も不幸なことが起きる場所」でした。私の負の経験を価値にして不幸になってしまった人に寄り添える仕事、それが警察官でした。
「死」から「生」への関心 警察官から人生を創る仕事への転身
こんな流れで、私は10歳のときに警察官になろうと決めて、ライフプランを40歳まで立てたんです。警察官は20年は続けようと決めていました。
ーー本当に20年続けたんですか?
パーク:実際は17年やりました。私は定期的にライフプランを立てるんですけど、40歳で辞めるとなると、私の3人の子どもがそれぞれ高1・中1・小1とみんな新しい環境に飛び込む状態になるとわかったんです。これに加え、私が40歳で警察官を辞めて新しい環境になるのは子どもたちにとって良くないかもしれないと思ったんです。
ライフプランには私なりの極意があります。「学びも行動も、人より3年早く動く」。次の10年・20年を見据えて今を生きる、この考えを持って行動するとより豊かな人生を送れます。私は迷わず警察官を辞めました。次の仕事として選んだのが、人の人生をたくさん聞ける仕事です。人生設計や家族計画、ヒプノバース出産や性教育といった「生」に特化した仕事をしています。
警察官には「死」を知るためになり、充分知ることができました、次は「生」を知りたい。死を受け入れた人ほど生が強く生きるんです。人の人生を深く聞いて、その人に合ったライフプランを提示する。これができるだけでとても充実した人生を送っています。
応援は「無償の愛」。命を削って幸せを提供する
ーーパークはチア部の10年・20年先をどう見据えていますか?
パーク:結成10周年くらいまではクミッチェルがリーダーシップを取って引っ張ってきましたけど、今はほかのメンバーもそれぞれの役割を持って活動をしています。将来的にはきちんとした組織を構築して経済的にも成り立つような組織にしていきたいです。
講演活動も今はクミッチェルが主ですけど、メンバーにはそれぞれのバックボーンがあるので、それを活かした講演もできると思うんです。私やいのぱんのように子育てしながら活動するメンバーなら「ママさん×応援」で講演するとか、可能性はどんどん広がるはずです。
ーーパークにとっての「応援」とはなんでしょうか?
パーク:無償の愛です。目の前にいる人をどれだけ幸せにするために自分は何ができるのかを、ずっと考え続けています。私は何回か死んだつもりで生きているので、自分は二の次なんです。欲なんてなくて、今ある命を削って周りの人にたくさんの幸せを提供して、死なせていただくために生きている感覚です。
でも、「与えるだけで幸せ」が難しいと感じる人もいると思うんです。やっぱり自分が大切だし、傷つきたくないし、見返りを求める人もいる。でも、応援する人は応援される人にもなるんです。
応援は社会をより良くする力があります。チア部を通して応援の素晴らしさをもっと広めていきます。