他責思考からの脱却を体現した私 目指すのは「自分軸を持って堂々と生きられる人が増える世界」
2024年に活動15周年を迎えるAJO☆朝チア部。15周年の特別企画として、チア部で活動するメンバーひとりひとりのことを知ってもらうべく、個別インタビューを敢行。個性豊かなメンバーの人柄や価値観を語ってもらいました。
今回は、2022年に11期としてチア部に加入した南シーのインタビュー記事をお届け。チア部に入ってエネルギーを発散し続ける南シーはかつて、自分も他人も認めることができませんでした。そんな南シーが変わるきっかけとなった「環境」とは。
「有り余るエネルギーを発散したい!」チア部へ入部
ーーチア部に入ったきっかけを教えてください。
南シー:知人に誘われて、ある経営者の出版記念講演会に足を運んだんです。そのとき、受付にいたのがクミッチェルで、名刺交換をしました。名刺にはチア部の活動内容が書いてあって、興味が湧いて朝チアを見に行ったのがチア部との最初の出会いでした。
私はチア部以外の活動として、中小企業や個人事業主の共済事業を広めるためのサポートをする仕事をしています。共済事業は「相互扶助、助け合いの精神」をもって、より良い国を作ろうとしています。この精神が朝チアにもあって「この活動めちゃいいな」と思ったんです。
「みんなエネルギーを発散していてすごい!私もやってみたい!自分の殻を破ってみたい!」というのが最初の感想でした。
この頃、自分と向き合う時間が増えて「私はどこに向かっているんだろう。何がしたいんだろう」と3ヶ月くらい悩んでいたんです。
そんな時にクミッチェルと朝チア出会えたのは、まさに運命だなと。有り余っているエネルギーを発散させたい思いもあって、私はすぐに入部を希望して3週間後には朝チアデビューをしました。
チアの経験はありませんでしたけど、小学2年生から高校生まで新体操をやっていました。
体を動かすのは元々好きだったので、新体操をしているときの自分が一番自分らしくいられたし、社会人になってから体を動かす機会が欲しいなとずっと思っていました。朝チアでも自分らしくいられるよう、ダンスをたくさん練習してデビューに臨みました。
環境変えて実感「憧れられる人になりたい」
ーー「自分の殻」に閉じこもっていたときはどんな状態だったんですか?
南シー:紆余曲折があるんです(笑)。社会に出て会社勤めを始めたんですけど、「私には会社勤めはムリだな」と1年ちょっとで気づいてしまったんです。組織の歯車的な環境が苦手で、協調性も他の人より低くて、問題児扱いされてしまったこともありました。
学生時代までは「自分最強説」を唱えていたんですけど、社会に出てから「私って、そんなもんだったんだ」と思うようになっていきました。それから転職を経て、フリーターも2年くらいやってました。ライブや旅行に行きまくって「遊び尽くすぞ!」と決意した時期でした(笑)。
でも、20代後半になって「果たしてこのままでいいのか」と感じ始めて、その頃に知ったのが共済事業の仕事でした。この仕事が、自己成長につながったんです。
ーー自己成長した部分はなんだったんですか?
南シー:自己愛を取り戻したことです。私は学生時代から「優等生であらねばならない」という思考のクセを持っていたんです。だから「人からどう思われているのか」「正解って何かな」がベースにありました。「自分が認められない」「私ってダメなんだ」。そんな環境に身を置いていたんです。
自分が認められないと、他人も認められないんです。だから、すごく単一的な価値観で物事を判断していました。例えば「仕事ができない人=ダメな人」とか。
でも共済事業で関わる人たちは「助け合いの精神」が基本です。私という存在を認めてくれた上で話を聞いてくれる。私の可能性を信じてくれる人たちとの出会いがたくさんあって、その人たちはみんな私の憧れの人になりました。「私も憧れられる人になりたい」と強く思うようになっていきました。この環境に身を置いたのは大きかったですね。
あとは「ありがとう」と「ごめんなさい」とちゃんと言えるようになったのも、成長した部分です(笑)。
プラスにもマイナスも、全ては自分の解釈次第
ーーそれまでは言えなかったんですか?
南シー:物心ついたときから言えなかったんです。私は3人きょうだいの末っ子で愛されて育ったんですけど、かまってもらえない寂しさがあったんじゃないかと。家族に話を聞いてくれないと、拗ねちゃってたのは覚えています。自分で自分を満たしていなかったんでしょうね。
「ごめんなさい」が言えないということは、つまりは人のせいにしていたんです。そんな状態だと寄ってくる人も良い人じゃないし、当時はあまり良い人付き合いはしていませんでした。
フリーター時代、私の悪い部分を指摘されたとき、「なんでそんなこと言われないといけないの?」と受け入れることが出来ませんでした。私のことを娘のように可愛がってくれて、とてもお世話になっていて信頼していた方だったので、すごくショックで裏切られたとさえ思ってしまってました。
でも、振り返ると、このことがあったから変われるきっかけになったんだなとプラス思考に切り替えられるようになりました。
ーー環境は大切ですね。
南シー:どんな環境に身を置いて、その環境で誰と出会うか、自分がどんな考えでいられるかが大切だと思います。
世間には他責思考の人がたくさんいます。でも、今の自分がどんな環境に置かれていたとしても、それをプラスにもマイナスするのも自分の解釈次第なんです。他責思考だった私が環境が変わって、憧れるような人たちに出会えるようになった。私自身の体験を伝えながら、もっと自分の器を大きくしていきたいですね。誰かのきっかけになれる存在になりたいんです。
あらゆる人のきっかけになる活動を続けます
ーー今後の展望を教えてください。
南シー:私は「自分の軸を持って堂々と生きられる人が増えて、それぞれが価値観を尊重しあえる社会になれば、結果的に世界は良くなる」と思っています。それが結果的に応援だと感じています。
そのために、まずはAJOという組織を大きくしていきたいです。私や同期のパークがチア部に入ってきてから、クミッチェルが引っ張る形だけでなく、もっと組織的に運営していこうと仕組み作りに着手しています。AJOが掲げている応援学を通じて、学校などで講演もしてみたいです。
今後もあらゆる活動を通じて、あらゆる人のきっかけになる活動を続けていきます。