毎日の「お参り」がボクにもたらしてくれていること。
ボクはここ数年、毎日仕事を始める前の朝イチに「お参り」に行っています。「お参り」をするようになったのは、石屋になって、リスペクトする先輩の方々と出会ったことがキッカケでした。
その先輩方は、とても「お参り」を大切にされている方々でした。「お墓さん」のこと、「お参り」のことを語っておられる姿は本当にかっこよかったし、毎日「お参り」をしておられる…という話を教えてもらって、石の仕事に関わり始めて、分からないことばかりだったボクは、先輩がやっておられたのを真似、毎日やってみることにしました。
初めは素直に心を向けることさえできず…
毎日「お参り」に行っている間に、自分自身の中で変化が起こっていることに気がついています。おそらく、見た目には何も変化はないと思うのですが、心の中で思い浮かぶ言葉とか心持ちは全く変わってきています。
始めた頃は手を合わせても、心の中で何を言えばいいのか、どんな気持ちで参ればいいのか、正直ちょっと分かりませんでした。毎日毎日、氏神様とお墓さんの前で、どんな気持ちでどう向かい合えばいいのか…ということを自問する日々でした。
でも、助かったのは「やることが決まっていること」でした。
氏神様では「二礼二拍手一礼」、お墓さんでは、掃除をしたり、草取りをしたりした後、水を水鉢に入れて、ろうそくに火をつけて線香をあげる…。まずは「お参り」に行って、その手順をこなしていく…という日々でした。だけど、心の中では、なかなか素直に心を向けられず、何を話していいのか、どう向かい合えばいいのか…ということを自問していました。とりあえずは、「自分の頑張っている仕事や活動がうまくいくように応援してください…。」といった感じで、お願いをすることを続けていました。
「お参り」をする時に考えることを学ぶ。
そんな気持ちで、毎日とりあえず形をやることを続けていました。相変わらず、心の中ははっきりしない感じでしたが…。約1年続けた頃、参加した勉強会で先輩の方が話されていることが心に突き刺さりました。
「『お墓参り』の時間が自分にとってとても大切です。お墓の前で、ご先祖さまの幸せを願う。ただそれだけ…。その時間がとても尊いんです。」
その話を聞いて、自分とのあまりの違いに愕然としました。ボクは自分のお願いをしてばかりだったのに、先輩はご先祖さまの幸せを願って自分のことを話さない…。自分自身との違いと至らなさになんだか半泣きになりました。
その後、さらに勉強をしていると「お墓は『しあわせの交換』をする場所」だということを教えていただきました。ボクらが「ご先祖さまの幸せ」を願うと、「ご先祖さま」はボクらに幸せをもたらしてくれる…ということだそうです。
思ったこともなかった発想でした。自分がこれまで間違っていたことを先輩に相談すると、
「ご先祖さまは、そんなに心の狭い存在ではなく大きな存在で、少々間違えてても心を向けているから分かってくれているし、これから考えれば大丈夫!」
ということを教えてくださいました。
ご先祖さまの幸せを願いつつ、日々の生活を振り返る大切な時間になる。
それから、先輩を見習って、それからの「お参り」はただただ「”ご先祖さまへの感謝”と、”ご先祖さまが幸せに過ごされること”を願う時間」にすることにしました。手を合わせている姿を見て、ご先祖さまはボクらに幸せを返してくれるという「しあわせの交換」…ってことは、一体どんな感じなのか…。自分の心境の変化や状況を見つめながら、日々「お参り」を続けました。
ただ、「お参り」の時間は「”ご先祖さまへの感謝”と”ご先祖さまが幸せに過ごされること”を願う時間」にしようと思っていたのですが、現実はそうはなりませんでした。「お参り」をしながら、しょうもないことですが、時には、妻との意見の違いのことでちょっとイライラしていたり、息子たちのことで悩むことがあったりしている自分の中にあることが頭に浮かんできました。他にも、仕事のことで焦っていたり、普段がんばっている「子どもたちにライジャケを!」の活動が進まずに泣きそうになっていたり…と「ご先祖さま」のことを思っている自分とのギャップを感じるようになりました。
「ちゃんとしてほしい。」「なんでうまくいかないんだろう。」など自分のことで思っていることがたくさんあると、「お参り」に行き始めた頃のことが重なってきました。「お参り」に行き始めた頃、自分のことばかりを考えていたけれど、先輩が「ご先祖さま」の幸せを願っていたことに愕然とした…ということです。周りに求めるばかりでイライラしている自分がそこにいたことに気づきました。
ご先祖さま、そして家族への感謝と幸せを願う時間としての「お参り」
そのことに気づいてからは、「”ご先祖さまへの感謝”と”ご先祖さまが幸せに過ごされること”を願う時間」に加えて、「”家族のへの感謝”と”元気で幸せに過ごせること”を願う時間」、そして「自分に関わるみなさんの幸せを願う時間」としてみました。すると、すぐに心境が変化しました。毎日短時間ではありますが、今までとは違う気持ちが湧いてきたことを感じました。
「お参り」の時間っていうのは、形どおりに「お参り」をすることを通して、結局自分と向き合う時間になるんだ…ということを心から感じるようになってきました。そして、そう思って形を決めて「お参り」をするようになってからは、「お参り」をすればするほど、なんだか温かな気持ちになったり、家族や周りの方々に対してこれまでできていなかったことにも心が向くようになってきました。
もしかしたら、「お参り」を始めた頃は、自分自身のことをしっかりと見つめられていなかったから、なんだか心が向かない感じがしていたのかも知れません。はっきりとその頃とは違った感覚が自分の中にあることを感じています。
当たり前ですが、だからといって全部がうまくいくか…というとそんな訳はなく、いろいろうまくいかないことも、失敗してしまうこともあります。イライラすることもあるし、焦ることもいっぱいです。
だけど、朝の「お参り」の時間が、自分自身の気持ちを振り返ったり、確認したりする大切な時間になっています。先輩に教えていただいた「お参り」の習慣がボク自身を支える大切なベースになっているような気がしています。先輩には本当に感謝です。
これからも自分自身はもちろん、息子たちや妻も一緒に「ご先祖さま」を思う「お参り」の時間を大切にしていけたら…と思っています。
庵治石細目「松原等石材店」3代目・森重裕二
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