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師匠の「17回忌ライブ」から考えたこと。

師匠「フジムラはん」のこと

フジムラはんと出会ったのは、大学の1回生の頃。「カヤックをしたい。」と友人に連れて行ってもらったのがフジムラはんのところでした。フジムラはんに、いろんなところに連れてってもらって、たくさんお酒も飲ませてもらって、何度も何度も焚火を囲んでいながらいろんな話をして、何から何まで教えてもらった師匠です。

17年前の夏、ボクの師匠のフジムラはんは、一緒に行くはずだったカナダのユーコン川への旅の1週間前に打ち合わせをした翌日に突然倒れて、そのまま2週間入院して亡くなってしまいました。

師匠は音楽が好きで、家でよくライブをしてくれてました。そのライブのことをボクらは「フジムライブ」って呼んでました。ボクは音楽なんて全く関係なく大人になったのですが、フジムラはんに誘ってもらって、フジムライブで音楽を始めました。フジムラはんが亡くなってしまってからのフジムライブでは、フジムラはんのことを歌にしたオリジナル曲も演奏するようになりました。

香川に来てからは参加できていなかったし、コロナもあってフジムライブ自体が開催されていなかったのですが、17回忌ということで思い切って参加させてもらいました。

出会った友人だけでなく、来れなかった友人とも久々に話しました…。

17回忌に思い切って参加したことで、そこに集まっていた友人と久々に話しました。本当に久々でした。17年前の夏のこと、みんなといろいろ話しました。うちの息子たちは、おそらくそんな夏のことは知らないし、フジムラはんのことも知らないけれど、おそらくこうやってフジムラはんのことを思って集まっているみんなの雰囲気は、間違いなくしっかり肌で感じたと思います。

参加した友人はもちろん、参加できなかった友人ともやりとりをしました。あの夏にあったことを改めてやりとりしたり、今のボクらのことをフジムラはんはどう思っているかな…って話をしたりしました。いろいろあるけど、思い切って参加してよかったな…と心から思っています。

「17回忌ライブ」があったからこそ…

改めて「17回忌ライブ」をやってくださったからこそ、そこに思い切って参加したからこそ感じられたことがたくさんありました。ボクはフジムラはんのことを大切に思っているし、普段からことあるごとに思い出していました。だけど、やっぱり改めてこうして友人と出会って話をしたり、お互いその空気を感じたりすることでしか感じられないことがあるな…と思いました。まだうまく言葉になりませんが…。

ボク自身は、この「17回忌ライブ」のために前に作った曲を練習して初めて歌ったり、息子と一緒に練習して歌を歌ったりしました。思い切って演奏したことで、自分自身も何か少し空気が変わった気がしています。

もしもこういった機会がないと、自分1人だけで考えたり、しんどすぎて考えられなかったりすると思います。ただただ時間が経つだけで、あまり何も変わらない感じがあります。友人とも話していたのですが、もう17年も経ったんやなぁ…と思う反面、まだ17年しか経っていないんやなぁ…と。ボク自身も全く同じ思いでした。

たぶん、時間は経ったけれど、自分だけで思っていても何も変わっていないんだと思うんです。だけど、こうやって集まる場所があって、集まる機会があったことで、また新たな区切りというか、新たな意味づけが始まっていくのかもしれないな…と思いました。

これからやりたいこと、作りたい場所。

フジムラはんが健在だった時、「フジムライブ」という場所を作ってくれたことで、本当にいろんなことを経験させてもらったし、音楽とも出会うことができました。フジムラはんが作った「フジムライブ」という場所は、フジムラはんが亡くなってしまった後も、ボクにいろんなことをもたらしてくれる場所でした。

ボク自身も、みんなが集まれる「フジムライブ」のような、みんなが楽しみながら、新たなことにチャレンジできる場所をいつか作ってみたいと思っています。

庵治石細目「松原等石材店」 3代目 森重裕二


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