妄想
新年あけましておめでとうございます。
年末年始をかけて感じたのは、物価がじわじわ高くなってきてるなーということ。そして前は値段が安いことを当たり前と感じていたのに、今は値段が上がることが当たり前に感じること。
ただ人件費の上昇で上がっているわけではなく、物価の上昇に合わせて上がっていることに不安を感じます。
理想と現実の差を感じて30年間所得が上がっていなかった日本の人々は今後どうなるんだろうという妄想を素人がここに書きたいと思います。
今までは先進国の国内で貧富の差が急激に増えていたけれど、これが世界規模で起こる気がしています。
アメリカのGAFAや中国のBATHみたいな企業を持つことは国力として有益のようだし、EUのようにチームを組んで戦う国もあります。
一方で日本は島国で国独自の武器もなく、安定思考が強く変化のスピードもゆっくり。今のスピードが求められる現代でも世代交代もできず対応は難しい。
結局世代交代が進むまでこの国は変わらないし、現状だととっくに
始まっていたレースに日本が今更乗るだけの体力はないように思います。
企業の全盛期が長く続かないように、国も当たり前だけれどそうなのだと考えると、今後の日本のあり方は強国に追いつけではなく、日本より過去に全盛期を築いた国にヒントがあるように思うのだけれどどうなんだろう。
年末年始に神社に行くと(年間を通してよく行くのですが)神社の森はむろができている古い木が多く、枯れ木も目立ちました。
でも実質は穴だらけの古い木が空を覆っていて、今力を伸ばしているのは外来種の成長がとても早いトウネズミモチでした。トウネズミモチは成長が早く、一年で何メートルにも育ちます。
近年森や林の木々がトウネズミモチの仲間にどんどんとって変わられているを知っているでしょうか。きっとほとんどの人が知らないと思います。
ぱっと見るとそれは同じ自然です。
でもトウネズミモチの仲間が雑木を淘汰していき、その結果色んな生物が生きていけず姿を見なくなっていく現状を聞くと大抵の人は自然を守りたいと感じるでしょう。
でも実際のところ
森、国、世界、色んなところで同じことが起きている。スピードが早いもの繁殖力が強いものには敵わないというだけにも思えます。
人間がこれだけグローバル化し世界規模で色んなものを共有する時代がきていて、自然だけそうじゃない理由はないんだなと。
みんな色んなものをバラバラに捉えているように思う。
多様化の時代といいつつ、結果スピードについてこられる生き物、社会が生き残る環境になりつつあるのかもしれない。
でもきっと森の生き物はその環境下で気がつかないうちに色んなものが絶滅して生き残れるものがまた発展していくと思いたい。
生命が維持されるために必要な量の確保と、古き良きものを保護する視点を別にした時、量を確保するのは人間にも必要と考えると責務。
多様性は自然を信頼して任せるという選択もありなのかもしれません。
その考えを自然ではなく人や国に当てはめた時、同じように言えるのかもしれません。
新しいものを受け入れて、新しい価値観の中で生存する道を探す。
それができるか今、問われているように勝手に妄想しています。
ただ我が子と恐竜の世界を覗いていると、強者が生き残るとは限らないと思うと運も大事だなぁと。
今後の世界はどうなっていくのだろう。
ドラえもんの道具で未来を覗いてみたいなぁ。
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