逝く友に贈る音楽
先日、友達のサンドラが60代半ばで他界しました。
サンドラとは、ユースオーケストラのボランティア仲間として知り合いました。良く言えば和気藹々、悪く言うと地元の寄り合い的な排他性が感じられた集まりで、新参者の私を誰よりも気にかけてくれたのが、サンドラでした。可愛いものが大好きで、子供は二人とも男の子なのに、バッグの中には何故か、いつでもシール交換ができるといった要領で可愛いシールを常備していて、まだ小さかったうちの娘を見ると「可愛いねぇ」と目を細めて、好きなものを選ばせてくれたものでした。
ここ数年は会うことがありませんでしたが、夏の終わりにサンドラのご主人から、サンドラが床に伏していてみんなに会いたがっているので会いに来てください、との連絡がありました。音大でチェロを学んでいる娘も夏休みで家にいたので、とりあえずお見舞いのお花とチェロを持って行きました。
家に行くと、誕生日パーティーさながらに家の外に風船が飾ってありました。アメリカでは、パーティの目印として前庭に風船を飾る風習があります。玄関を入ると、来訪者のためのサイン帳があり、ケータリングの食べ物や飲み物が用意してありました。居間はボランティア仲間の同窓会のような状態になっており、キッチンやバックヤードから、家族や友達が談笑する賑やかな声が聞こえました。
サンドラの義姉が、5分刻みで2、3人ずつ来訪者をサンドラのベッドルームに案内しており、私と娘も順番を待って、チェロと共に入りました。風船やパーティフード、家族の笑い声とは裏腹に、サンドラは酸素チューブや点滴に絡まるようにして、力なくベッドに横たわってました。前もって病状など何も聞かされずに行ったので心の準備は全くできていなかったのですが、その時に悟りました。これは生前葬なのだと。
もともと典型的なアメリカ人体系のサンドラでしたが、皮肉にも、闘病が始まってからの食事制限と充分な睡眠のおかげか、肌艶がよく、見違えるほど綺麗になっていました。思わず「You look beautiful」と言ったら、嬉しそうにはにかんでいました。耳を近づけなければ聞こえないぐらいのか細い声ではありましたが、いたずらっぽい表情で冗談を言って、こんな状態でも、人を喜ばせるのが好きな人柄が変わっていないことに心を動かされました。一組5分と限られていたので、娘がバッハのチェロ組曲一番からプレリュードを弾きました。特にリクエストがなくて、ピアノ伴奏がない場合、娘は大概、この曲を弾きます。クラシック音楽に造詣がなくても心にスッと入ってくるような純度、そして、慶びの場にも悲しみの場にもふさわしいニュートラルさを持ち合わせた、数少ない曲の一つなのです。
ベッドの足元で娘が静かに弾き始めた途端、サンドラが急に、捕まるものを探すかのように手を伸ばしてきました。慌てて手を握ると私の手にしがみつき、それまで穏やかな顔をしていたのが、眉間に皺を寄せて涙を浮かべ、「I love this」と言いました。曲が終盤のクライマックスになると、手を握る力が強くなり、私は、彼女が苦しんでいるのではないかと心配になりました。弾き終わると、サンドラは娘に、「Youtubeにアップロードしてちょうだい。また聴きたいから」と言いました。私は、寝ながらスクリーンを見るのも疲れるだろうと思い、「またここに弾きに来るよ」と言って、彼女の元を離れました。多くの人と会って疲れたろうと思い、2、3日経ってから……と数日後に連絡をしたら、サンドラはすでに息を引き取っていました。
今だに、私の手にしがみついてきたサンドラの苦痛に満ちたような表情と、握る手の力が脳裏から離れません。死期を受け入れて、穏やかな凪のような気持ちでいた彼女の心をかき乱したのではないか。チェロの音、殊にバッハの音楽は、心の深いところに届き、個人的な感傷を呼び覚ますようなところがあります。この日のバッハが彼女の心にも働いていたのは確かなようでしたが、もしかしたら、既に悟りの境地に達していた彼女が、音楽によってこの世の美しい思い出に思いを馳せ、苦しくなってしまったのではないか。音楽のお見舞いは、彼女にとって良かったのか否か、私には分かりませんでした。
実は、死に向かっている友のために娘が演奏したのは、これが2度目でした。
コロナのロックダウンが始まる直前、娘のサンデースクールの先生だったミセス・ニシが、持ってあと1週間だろうとの知らせを受け、娘と毎日チェロを持って、ミセスの元へ通いました。ベッドの脇で娘が讃美歌を弾く度、彼女は本当に安らかな表情を浮かべ、「God is good. 神様のもとに行く用意ができました」と言いました。私はその時、人を安らかに天国に送ることができるのは、聖職者のほかに音楽家しかいないのではないかとさえ思いました。
サンドラもミセス・ニシのように、音楽で心が癒されたら……などと思っていたのは、私の自己満足だったのかどうか、分かりません。Youtubeでまた聴きたい、とサンドラが言ってくれたこと、そしてご家族が、お葬式で同じ曲を弾いて欲しいと言ってくださったことが、救いです。
サンドラのところから帰る時、娘が言いました。
「こういうことのために音楽はあるんだなと思った」
息子も娘も弦楽器奏者です。中学生ぐらいまではただただ新しい曲を習うのが楽しみで続けていたのが、音大受験やコンクール、音楽祭のオーディションなど、楽しいばかりではなくなり、以来、常に審査や競争にさらされている生活の中、「この世になぜ音楽があるのか」という本質を見失っていたのだと思います。サンドラのためにした演奏でしたが、彼女自身が大事なことを教えられたようです。
私自身はどうだろうか。天国に発つ前、好きな音楽を聴きたいだろうか。私はかねがね、「私が死ぬ時はバッハのシャコンヌを弾いてね!」などと子供らに言ってきました。短調から長調へと転調する時、昇天しそうな心境になるのです。でも、実際に死を目前にして、果たして同じように感じるのか分かりません。坂本龍一は亡くなる前の最期の日々、様々なことに思いを馳せて辛くなってしまうので、音楽は聴けないと言い、小さな鐘のような鈴を鳴らしてはその音に聞き入っていました。一音の響きに、教授は天国を見ていたのでしょうか。