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『佐々田は友達』自分と他者の境界線をさぐる。誰にでも刺さりえる物語【#マンガの話がしたい】
『佐々田は友達』の完結となる3巻が先日発売されました。
とっても面白かったです。すごかった。
ああ、これは『佐々田は友達』についてなにか書かなければならない。でないとわたしの気がおさまらない。という謎の使命感によってこの記事は書かれております。
といってもnoueさんが、この記事を書いてくれたおかげで、だいたいもういいかなって気分に一度はなっていたのです。でも、いざ今月のまとめを書こうと思ったら、やはりどこかで語らないと落ちつかず、結局、筆を取っている次第です。
不愛想な、いわゆる陰キャの女の子で、自分の性自認に違和を感じている佐々田。陽キャギャルでコミュ力が高く、クラスでもヒエラルキーの上位にいる高橋。普通に考えたら接点のなさそうな、ふたりが絡むことによる「オタクにやさしいギャル」的ななごやかな雰囲気が、作品の色としては一番表に出ていたように思います。
LGBTQやオタクとギャルという要素だけなら最近はそれなりにあると言っていいかと思うのですが、本来、水と油のようなふたりが、互いの境界線をさぐるかのようにくり広げる、ごく繊細なやりとりの数々がとても刺激的でした。
2巻の最後のエピソードなのですが、「やっぱ佐々田も女の子なんじゃん」という高橋の何気ない一言をうけ、ガラッと空気が変わり、「そういうふうに言われるのやだ」と、普段あまり強く言わない佐々田が反論する。
それで決裂してしまうかと思いきや、意外とすぐに高橋があやまって、何事もなかったかのようにまた続いていく。ふたりの関係は、そうやってどこか危うさをはらんでいるからこそ、目が離せない強さをはらんでいるように感じます。
しかしですね。2巻まで読んだ段階では、これがなんの話でどう転がるの?という主題が掴みかねていたがゆえに、なんと評したらいいのかわからない状態でもあったのです。
そんな中で発売された第3巻。
これが完結巻ということで、物語として完結をみせます。そして、わたしとしてやっと腑に落ちたのです。ああこれは、先生の前作『女の体をゆるすまで』のカウンターとして生みだされた作品なのだと。
『女の体をゆるすまで』は先生の別名義、ペス山ポピー名義で出された作品です。過去に他の漫画家のアシスタントに行った先で、ひどいセクハラを受け、そのときのツライ経験を回顧しながら、自分自身の性自認について考察していく自伝的エッセイマンガになります。
最終的には、自分の性自認の位置を確認し、タイトルにあるように自分自身が持ってうまれた「女の体をゆるす」ことで終着をむかえます。
過去のイヤな体験に踏みこまなければなりませんし、この作品を形にするうえで、かなりの葛藤や悩みがあったのではないかと思わずにはいられません。しかし、そうやって『女の体をゆるすまで』を作りあげ、ひとつの「作品」として昇華したことで、「自分」という存在を初めて明確に客観視できたのではないでしょうか。
そして心機一転、名前を変え、自分という存在が理解できた強みを生かし、自分という存在を客体視し、コンテンツとして生みなおすことはできないだろうか。そんな意識によって生みだされたのが今作『佐々田は友達』なのではないかと感じたのです。
男性寄りの性自認をかかえる佐々田というキャラクターには、先生自身の経験や、感じてきたさまざまな思いなども投影されているのでしょう。だから「主人公は佐々田」となるほうが自然です。実際、一巻の冒頭はモノローグに続き、佐々田の絵からはじます。ところが、今作のタイトルは『佐々田は友達』であり、じつは高橋からの目線になっているのです。
『女の体をゆるすまで』で、自分を主人公にして、自分を見つめ、自分の思いを描いたのに対し、『佐々田は友達』では、自分自身に相当するであろうキャラクターを、他者の視点から描きだす。物語を見つめる視点の位置がまったくの逆で、ここがわたしがカウンターだと感じたポイントです。
つまり、今作がもっとも描きたかったのは佐々田自身というよりも、佐々田とその周り……、主に高橋との距離感や関係という部分。性自認に違和を感じる自分と、その周囲とのかかわりこそが、もっとも描きたかった部分なのではないでしょうか。
今作の終わりかたは、人によってさまざまな捉えかたができるかと思います。でも、描きたかったのがその「関係」や「距離感」であるのであれば、どのような結末になっていても、目的は十分達成されたとわたしは感じました。だからこうして大満足のうえ、文字数を費やしているわけですね(笑
自らの経験にもとづいたリアルで細やかな描写。そして、それを客体化し、第三者の視点から創作物として仕立てあげなおした強さ。それが『佐々田は友達』の魅力なのではないかと思います。
誰しも思春期に、自分の「存在」そのものについて、居心地の悪さを感じたことはあるのではないでしょうか。そんな、居心地の悪さを丁寧に描く今作は、「誰にでも刺さりえるマンガだ」と言うこともできるはずです。
ほんと、思わず語りたくなってしまうマンガに出会うことができるのは幸せなことですね。気になった方は、ぜひ、手にとっていただければ幸いです。
試し読みはこちらから
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