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『愛があるかどうか』は必ず伝わる
みなさんにも「好きな本屋」と「そうでもない本屋」があると思う。
今でこそ、電子書籍を利用することが多くなったし、通勤途中など、気軽に行ける本屋が無くなってしまったので、前のように日参することはなくなった。そんな今でも、たまに本屋に寄ればふらふらと色々見て回るし、「好きな本屋」というのが、やはりある。
私の中の「好きな本屋」の基準は非常に単純だ。
そこに『愛があるかどうか』。
これに尽きるのだ。
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何を抽象的なことを言い出しているのだ。と、お思いだろう。
一つ一つ細かく見ていけば、具体的なことの積み重ねなのだけれど、そういうものを包括して、余すところなく全てを良い方向に進めようと思うその広い心意気。
これは『愛』という表現が一番適格だと思うのだ。
私の好きな「東京トイボックス」という漫画に『魂はあっている!』というセリフが出てくるけれど、この『魂』という単語でもいいと思う。それは具体的何かを指すのではなくて、「姿勢の問題」だから形のない表現が似合う。
そして、偉そうな言い方に聞こえるかもしれないけれど、「愛があるかどうか」は、見ている人にちゃんと伝わるのだ。
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具体的でわかりやすいところで言うと、「POP」だろうか。
力作のPOPを作るには、それなりの労力がいる。もちろん業務命令でPOPを作っている場合も沢山あるだろうけれど、そこに熱がこもっているかどうかは、見ればわかる。
ただ来た新刊を並べているだけではなく、書店員さん自身がいいと思ったものを平済みにしたり、沢山入荷してみたり、フェアという形になっている場合もある。
単純に、「きれいに整頓されているかどうか」というのも大切だ。そんな、小さなことの積み重ねが、そこに『愛』を形作る。
もちろん、店舗面積や業務量、そしてそこに携わっている人の好みの問題も密接に関わってくると思うけれど、そういう諸所の問題を乗り越えて、愛を表そうと努めているものは、必ず伝わってくる。
見ている人にとっても、それは「自覚する」「自覚しない」にかかわらず、必ず感じられるものだと私は思っている。
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最近は、本屋自体が無くなってしまったり、普通の本屋だったのに、カフェ付の謎のオシャレ本屋になってしまったりすることも多い。
オシャレ本屋にはオシャレ本屋の価値があるし、そこにも愛の形はあるだろう。でも、店舗面積が削られたりして、本来の「本屋」としての愛の表し方はかなり難しくなったような気がしていて、一抹の寂しさを感じている。
そして、『愛』という形のないものは、もちろん本屋だけでなく、何事にも宿るもの。
それは具体的な何かの積み重ねであり、そういったものを包括した『姿勢』の呼び名なのだ。
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