マンガで可視化される普通の「おじさん」の生態【#マンガの話がしたい】
イジワルでもなく、カッコよくも、金持ちでもない。そんな普通の「おじさん」には存在価値がない。
創作の世界では、「おじさん」の透明化現象がずっと続いてきた。気持ちはわかる。普通の「おじさん」の生態を見たって誰も得をしないからだ。
ではそうやって「おじさん」が透明になった穴は誰が生めているのかというと、まずはネコも杓子も女体化みたいな現象がおこり、「おじさん」の趣味だったはずのものは、次々と女子高生がやることになった。
結果としてヒットした作品が山ほど存在しているので戦略としては正しかったのだろう。
しかし最近、「おじさん」を良く見るような気がしてきている。
まあ、ただ残念ながら完全に「普通の……」というわけではない。時代遅れな物、ポンコツなもの、変われないもの、みたいなロートルな存在。いやある意味それこそが「普通」と言うべきだろうか。そういった「普通のおじさん」が可視化されてきているのだ。
まずはこちら『すこしだけ生き返る』という作品。
42歳の独身男性、間敏郎。
職業は弁護士と普通とは言えない。でも、この話の主眼はべつに弁護士業務ではない。年齢とともに衰える体の機能に対して、ストレッチなどをすることで「すこしだけ生き返る」感覚を楽しむマンガなのだ。
40代というよりは、50代くらいのほうが共感できる、という声も聴いたことがあるけれど、「身体の機能の衰えてきたおじさんがストレッチをする話」という企画が通っていることが驚きだ。しかも、これがなんだか面白いのだから世の中は広い。
この年代……というか、身体機能の衰えに共感する層が増えている、ということでもあるだろうし、ストレッチが実際に効果的というあたりも話題のひとつになっている。
ふたつめに紹介するのはシマ・シンヤ先生の新作『Daddy Steady Go!』だ。
こちらは幼馴染の3人の男性たちが、アラフォーになり、みんなそろってシングルファーザーになったというお話だ。シマ・シンヤ先生はいつもマイノリティに敏感な作品を作ってきた。今作ではシングルファーザーというテーマ。それも3人という塩梅だ。
3人集まれば文殊の知恵というけれど、これまでまともに家事の経験のないアラサーの男3人が集まったところで、生み出されえるものなんてたかが知れている。実際、雁首をそろえて右往左往することになるわけだ。
ここに女性が居れば、いろんな価値観をただし、正解を説いてくれるかもしれない。でも基本、男しかいないから、みずから体験し、失敗し、解を導き出すしかない。こり固まった「おじさん」ばかりが集まったがゆえに、「おじさん」が可視化され、そこから楽しさが生まれている作品だ。
そしてもうひとつ『ダンボールバチェラー』という作品も紹介しよう。
「バチェラー」というのは、ひとりの美しい女性をめぐって、何人ものイケメンとかお金のある男性が、あの手この手で気を引こうと頑張る人気の番組だ。
そこに「ダンボール」とついていることからも想像がつくように、今作の舞台はダンボールだらけの工場。カッコ良くもなければ、イケメンでもない。定職についているとも言いがたい。そんなカッコ悪い「おじさん」たちによる場末のバチェラーがくり広げられるお話だ。
おじさんたちは基本的にぜんぜんカッコよくはないのだけれど、抜群の演出力によって描き出されることにより、その情けないおじさんたちの姿が涙をうつ(こともある)。情けないおじさんだってここに存在しているんだ!と声高に叫んでいるように感じる(ときもある)。
今作では基本「おじさん」は、なさけないのだけれど、「おじさん」の本質なるものが描かれているような気がしておもしろい。上にも書いたように演出力抜群なので、見ごたえはたっぷりだ。
他にも『じゃあ、あんたが作ってみろよ』や、ドラマにもなった『おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!』など、現代の価値観にとり残されたおじさんが描きだされている作品なんかもたくさん生みだされている。
さて。
では、なぜここにきて「おじさん」が可視化されるようになってきたのか。このへん、もちろん共感する層が増えたということもあると思う。そして、これは多少無理やりではあるけれど、ある人気作品の存在が大きいのではないかと思っている。
『孤独のグルメ』だ。
単行本の1巻は初出1997年ながら、そこから期間をあけて2012年にドラマ化。そしてドラマが大ヒットして現在まで続く長編シリーズとなっている。
見ればすぐわかるように、『孤独のグルメ』の主人公、井之頭五郎はおじさんだ。まあ、体力とか胃袋の強さとかは常人離れしているとは思うけれど、おじさんであることは疑いない。いや、当時の「おじさん」だし、おじさんと見せかけて30代とかいう可能性もあるけれど、まあここではそういう可能性は置いておこう。
ちなみに、公式には「年齢は決まっていない」とのこと。
そんな『孤独のグルメ』。
おじさんが町をふらつき、飯を食う。というただそれだけのマンガであるにも関わらずなぜか面白い。あえて分析するのであれば、やはりあのしゃべり口調なのだろう。あれが、言い知れぬグルーブを生み、読者をひっぱってくれる。落語が、壇上の落語家がひとりただ滔々としゃべるだけで面白いのだから、そこに絵もついた今作が面白くたって不思議はない。
そして『孤独のグルメ』が人気作となったことで、もしかして主人公を無理やり女子高生にしなくてもいいんじゃないか……?と、世間に強烈なビンタをくらわせたのだ。いや、アームロックかな。
そんなこんな実際に、おじさんを主人公にすえてみると、ちゃんとその年代の人の共感を得ることができる。時代遅れとかポンコツっぷりもフックにななる。結果、おじさんの可視化現象というのが、もてはやされているのではないだろうか。
………ま、かといって世の中の人気コンテンツがおじさん一色になった世界は、さぞかししみったれた世界のような気もするので、あまりそんな世界にはなってほしくない気がするけれど。