韓国語学習者のモヤモヤ:先生との残念な会話編
学習者と先生の会話(その1)
教科書例文と実際の推しのトークには、かなりのギャップがありますね。文法概念、つまり活用の仕組みを理解したからといって、リアルな会話が聞き取れるようになるわけではありません。活用の仕組みや発音法則、一般的な単語の暗記など、基礎学習を積み重ねていけば、いつか推しの言うことがわかるようになる。これは、「いつかいつか詐欺」だと思っています。文法学習に意味がないのではありません。ただ、現在の教科書にある学習文法だけを積み重ねても、Kコンテンツが理解できるようにはならないでしょう。なぜなら推しのトークには、リアルな話し言葉、若者たちが使う語彙、芸能界の素養、韓国の時事や流行、韓国の文化的素養、さまざまな要素が詰まっているからです。教科書や検定対策本を最後まで極めるのも大変ながら、仮に極めたとしても、Kコンテンツに含まれる上記の情報が欠如しているために、教科書だけの学びでは、残念ながら推しのトークが理解できるようにならないのです。
私もときどき学生に言ってしまいますが、「基本が大事」「コツコツやれ」は、退屈な文法学習を動機付けるときに使われがちです。文法の習得にはコツコツと積み上げる学習が欠かせず、単語や語尾を覚えることは汎用性と体系性を与えてくれます。この方法で、頭の中が整理されて前に進める人は、どうぞ今の学びを続けてください。しかし、この基礎からのコツコツ積み上げ学習は、誰にでもフィットするとは言えないのです。「基礎からの積み上げ」が意味するのは、途中を飛ばしては次に進めないということです。文字を覚えられない人は、文字を暗記するまで次のステップはありません。基礎文法がマスターできない人は、万年初級を強いられます。つまり、異文化理解のためには言葉のマスターからだという順番の勉強だと、言葉も分からないあなたはKコンテンツを理解するなど、100年早い、となってしまうのです。コツコツ基礎から積み上げる学習は正攻法かもしれませんが、「推しの言うことが分かる」という目標までにはあまりに距離が遠く、多くの脱落者を出してしまいます。ですから、「推しの言うことが分かりたい」人の目標は、「韓国語をマスターすることではない」ことを考慮する必要を感じるのです。
学習者と先生の会話(その2)
ペラペラ話せるようになりたいというのは、外国語に興味を持った学習者全員の願望です。ですが、同じ会話でも、「私が話す」ということと、「相手の言っていることがわかる」というのは全く別ものです。私が言いたいことを一方的に言えたとしても、相手の言うことが分からなければ、コミュニケーションにはなりません。「私が話す」ことよりも、「推しが話していることがわかる」を目指したいときに、私が話すことを想定した会話学習は、残念ながらそれほど役立ちません。
「私が話す」ことを前提にした会話が推しの理解に役立たない理由の一つは、外国人が主役の会話に登場するシチュエーションなんてものは、空港、免税店、ホテル、飲食店、コンビニがせいぜいだからです。ドラマやVLIVEで繰り広げられるトークの幅とは比べものにならない、恐ろしいほどの幅の狭さ。「私が話す」を目指した会話練習は、一見価値があるように見えて、外国人である自分に限定した会話であるところに限界があるのです。
学習者と先生の会話(その3)
語学講師は、言葉の学習の先に、文化的な学びを想定するものです。しかし、韓国語を学び始めた学生は、ハングル文字や韓国語には食いついても、文化や歴史を遠いもののように感じ、興味を示さないことがあります。大きな書店に行くと、韓国の文化や歴史に関する分厚い本が並んでいます。でも語学書のように、初心者向け、中級者向け、上級者向けなどと分かりやすく表示されていないので、手に取りにくいのかもしれません。さらに語学講師は一般的に、文法に関しては体系的に教えられても、文化や歴史について体系だった知識を持つとは限りません。日本人だからといって、誰もが日本の文化や歴史を人に教えられないのと同じですね。
こうした先生と学習者のミスマッチを解決するのが、「言葉」と「文化」と「Kコンテンツ」の3つを組み合わせた学びではないかと思っています。「韓国語をマスターすること」ではなく、「推し活」を豊かにすることを目標にした学びを考えていきたいです。
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