マスクが予防しているのは「心の風邪」です、と6月14日の日記
ちょっとだけ、最近の「マスク考」を。
今週は、娘の幼稚園が再開したこともあり、送り迎えはじぶんの担当。
娘に小さめの「マスク」を持たせていて、幼稚園への行き帰りは暑いので、着いていってらっしゃいの時に「マスク」を着用させている。
先週の感じでは、指定のクラスごとに時差登園となっていたので、園内にも人が少なかったのだけど、今日はものすごいたくさんいた。「これは久々の密だ」と思った。
もしかすると、今週からは本格的なスタートで、お家のみなさんも様子見がてら、幼稚園にきていたのかもしれない。
そんな中、ぼくは先週の感覚で行っていたので、いつもの手作り「マスク」を持参しておらず、「しまった!」となった。
普段、飲食店とか、電車に乗る時だとか、こまめにつけたり外したりもして、じぶんと人とが「不快」にならないように気をつけている。
幼稚園の送り迎えにくるみなさんも、子供連れだからか、ほぼ9割くらいの方は「マスク」姿。
そんな中、「ノーマスク」で歩いているのは、かなり気になる。ボクシングの試合でノーガードで、ボコボコに打たれ続けているような気さえしてくる。
そういう時、常にパンチを繰り出してくるのは、「人の目」だ。
もちろん、人が密集しているので、「ああ、感染のリスク、高そうだなぁ」と思ったりもするのだけど、それ以上にじぶんに「なんかが足りてない感」がすごい。それは、パンツを履き忘れたとか、靴下片方ずつ違うの履いてしまった時とか、そのレベルでの違和感。
そして何より「このじぶんて、どう思われてるんだろう?」という人の目を異常に気にする感覚が、ものすごく強くなったのを感じる。ただ、これは仕方ない感覚でもあるし、気にしすぎでもある。
そういうとこ、すごく日本人なんだよなと、じぶんを振り返って思う。
これだけ暑い中でも、街中で「マスク」をしながらランニングをしたり、歩いたりしているのを見て、正直「まぁ、そういう時期だものね。」と思ったりしていた。
ただ、今という世界において「マスク」は、⑴感染するリスク、⑵感染させるリスクを軽減することに加えて、⑶変に思われないための予防措置、という意味合いがとても強くなってきたんじゃないかとも思う。
つまり、メンタル保護の目的。
むしろこちらの目的の方がメインな気さえする。
自分のため、他人のため、そして一周回って「自分の心」のため。
朝の幼稚園への送り時間という15分足らず。
とても短い時間ではあったのだけど、「マスク」を忘れたぼくの頭の中はこんなしょうもないようなことで、グルグル。
いろんなことを考えてしまった。
「マスク」をしないで外を歩く不健康さって、実はこういうことの方がでかい。
読んで字の如くの「不用意な外出」を経て、「よし、いついかなる時も、マスクを持参しよう!」と、変だよなぁとは思いつつも、心に誓う。
じぶんの「心」の健康のために。
*
6月14日(日)
朝、8時40分頃に起床して、ウォーキングへ。雨は降りそうで降らない、少し明るいくらいの空。
帰宅して、シャワー。ヨガをする元気はなかったし、家族もまだ寝ていたので、自分もリラックスしてKindle片手に横になる。昼から外出の予定なので、できるだけ体を休めておく。
いつの間にか寝てしまい、11時頃に起きる。休日の午前中は最近こんな感じが多くて、もう少し粘りたいところ。粘るってなんだ?まぁ、午前中に何か予定を入れると変わる気もする。それでなくても、気圧や天候、湿気の関係で体は疲れている感じがする。
起きて、ご飯と味噌汁、前の晩のおかずのトマト煮をいただき、出かける準備をする。
外出するというアクションが少し億劫になりつつあるなぁと感じて、気持ちを奮い立たせて目的地へ向かう。大体こういうのは、行ってしまえば楽しいものだ。
大江戸線で六本木駅へ。友人とサウナ「アダムとイブ」に待ち合わせ。
久しぶりのサウナでとてもいい汗をかいた。
その後のビールも美味しかった。やっぱり、動けば感情も変わる。天候とかで少し、気持ちが塞ぐ時間が多かったので、なんだかすごく助かった。
その後、恵比寿まで移動し、うどん屋へ。日曜の16時頃だったが、お客さんがいない。ほぼ貸し切り状態で、2時間くらい。瓶ビールとおつまみ、あとおすすめの日本酒を冷酒でいただいた。
最近アルコールにめっぽう弱くなっていたので、飲む機会も少なくしていて、久しぶりに結構な量を飲んだ。しばらくはまた飲まない時間が続きそう。
その後、猿田彦珈琲に久しぶりに行き、外のベンチで珈琲とハニーラテ。
薄明るい恵比寿の空が暗くなっていくのを見ながら、ゆっくり話をした。世界も刻一刻と変わり続けているし、自分たちもまた変わり続けている。
いろんな外の世界を久々に見て、歩いて、話して、いい1日でした!
それでは!