「教養」は、知識×経験×時間(熟成)の結果である、と9月10日の日記
昨日、電車でYouTubeを観ていて、『HORIE ONE(by NewsPicks)』を眺めていたのですが、『教養』について話されていました。
掻い摘んでいくと、
押し並べて、『教養』が不足している。
『教養』というバックグラウンドがないから、同じ視座で情報を共有できずに、理解に差が出る。
相当な積み重ねが必要。
前提として、ぼくはホリエモンとか、イケハヤさんとか、はあちゅうさんとか、いわゆるたまに炎上したりするインフルエンサー的な人たちって、正直とてもまともなことを言ってると思っています。
好きか嫌いかはひとまず置いておいて。
総じて、筋がいい人たちだと思っています。
あの人たちって、全然変わったことを言っていない。
これは、擁護しているわけでもなく、むしろ正論を堂々を言っていることで、気持ちがスッとする人、反対する人を生み出しているんだと思っています。
これってなんでなんだろう?
情報の受け手側との圧倒的な『知識差』があるのかもなぁと思っていたら、もしかするとそれは、『教養』という言葉に置き換えられるのかもしれないと思いました。
『教養』について、ホリエモンが言うには、“一朝一夕で身につくものでもない”し、何か本を読んだからと言ってどうなるものでもない。
むしろ、インプットだけでは何にもならないとぼくも思っています。
なんかこう、インプットとアウトプットを積み重ねた上で、それを期間熟成させたようなもの(表現が雑ですいません笑)なのだなと思いました。そしてそれを継続的に積み上げていくもの。現在進行形のもの。
何か塊(パッケージ)としての『教養』があるのではなくて、世の中の事象に自分の得た知識、経験をぶつけて、そのフィードバックを栄養にまた思考を進めていく。その繰り返し。ああ、果てしないけど、面白い。
何かを一面的に理解したり、思考したりするんじゃなくて、多面的に把握して、それについて思考するベース。それが『教養』なんじゃないかと。
“文脈として物事を把握し、思考する力。”
人生の中での編集作業みたいなものなんだろうな、と思いました。
(なんか少しだけ、コルクラボでの話に通じる部分が見えた気がした。)
動画、もし気になる方は、動画で9'30~のところご参照くださいね。
個人的に好きなのは、編集長の佐々木さん(左の司会的な人)が、「教養ってどうやったら身につきますか?」みたいな、“おバカな人代表”的な質問をいつもしてくれて、なんだか“道化に徹している”感じが、とても面白いなと思いました。
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あともう一つ、お風呂に入りながらタイムフリーで聴き直していたラジオ『SWITCH』(毎週土曜23時〜)にて、とてもとても観たい映画を見つけたので、ここに貼っておきます。
オダギリジョー監督の長編作品『ある船頭の話』という映画なのですが、今週13日(金)からの公開。制作秘話のような部分に触れると、作品というもの一つがいろんな感情や人のドラマ上に出来上がっていることに改めて感じ入ります。
しかも、オダギリジョーさんと、SWITCHの新井編集長との話の速度がとてもゆったりと、噛みしめるように言葉が流れていくのでとても心地よかった。
平日なので、一人でゆっくりと観に行こうと思います。
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9月10日(火)
朝、最後に残っていたニカラグアで珈琲を淹れて、妻のポットに入れて渡す。noteをアップした上で、娘を起こしつつ、そのまま着替えさせる。
無事登園。
昼、家に余っていたおにぎりと、アマタケのハーブチキンを持ってきていたため、お昼はスープを買って、早めに昼食。その後、夜の珈琲の豆や道具を買いに『猿田彦珈琲』へ出かける。
水出し珈琲の道具を購入。気になっていたので、ちょうどよかった。
夜の仕込みを15分ほどで済ませて、午後の仕事をこなす。忙しくはない時期だけど、これからに向けてやることを整理している段階です。
夜、恒例の社内の珈琲の部活動『カフェドクマ』を実施。今月も活動できた。今回も、10名以上の参加者がいて、なかなか手が足りなくなってきた。ここからが場作りの真骨頂だと思うので、人と空気を醸成していこうと思っています。
それでは今日も暑さに負けずに頑張ります!