
手間がかかるといいこともある、と5月14日の日記
先日届いたラジカセで、今週はずっとカセットテープをBGMにしながら過ごしているんですが、最高です。
(まだ、テープが3本しかないのですが、楽しく聴いています。)
もちろん、Spotifyも有料ユーザーだし、手軽に聴きたい音楽を聴けることのメリットってすごくあると思うんです。
ただやっぱり、音楽や動画、その他のコンテンツがこれほどまでに多くサブスクなどで出回るようになると、本来好きなモノなのにも関わらず、その一番好きな部分の「選ぶ」って行為をお粗末にしてないかなと思ったり。
Spotifyも、そのまま流し続けていれば、自分にとって良さそうな音楽が次々と流れていきますよね。
それはそれで心地いい体験ではあるのだけど、その分「選ぶ」という手間を、ぼくらはどこかで求めていくようになるんじゃないかと思ってます。
CDやレコードでもいいし、ぼくの場合はたまたま好きで見ていたコーヒー屋さんがカセットテープを全力で取り扱っていたので、そこに興味を持ったという感じです。
アーティスト宮内優里と共作したカセット音源と、それをイメージしたブレンド豆を購入しました。今日あたり届くかと思うのですが、たのしみですね。
前回買ったものの第二弾です。さっそくですが。
日々、「日記」をつけたり、「カセットテープ」を流したりしていると、アナログな物の中にある「手間」というものについて考えざるを得ないなぁと思います。
物事の「間」にある「手(労力)」について、です。
ちなみに、「手間」を検索してみたところ、このような結果が出ました。
あまりいい意味で使われてはいないこの言葉。
それでも、この「手間」のような考えが、これから大事にされてくるような気がしています。
アナログな道具を使ってみると、余計に「実感」として。
いろんなものが自動化されて、便利になっていけばいくほど、省かれたり、不要とされたりする部分ですが、感情や意思を持って、好きなものを選択していくという行為が、むしろ「贅沢」なものになっているような、そんな感じがします。
周りを見渡しても、「なんだかいいなぁ」と思える物って、ちょっと前時代的であったり、アナログな要素があったり、ノスタルジーを感じたりする物が多い。
人が「手間」をかけて選んだり、揃えたり、整えたり、拵えたりするものに対して、ぼくらは対価を払っていく。
最近、「手間」をかけているもの、ありますか?
*
5月14日(木)
朝、6時ちょっと過ぎに起床し、いつものウォーキングへ。
途中、6時半にラジオ体操の時間になると公園の人たちがわらわら集まりだすので、ぼくも端で参加し、ラジオ体操第一を。
全身を動かすと、やっぱり気持ちがいい。
帰宅後は、朝ヨガ、シャワーを済ませて、土鍋でお米を炊きました。
ちょうど冷凍ご飯もなくなっていたのと、朝は「お米が食べたい」と思ったので、お腹に素直に。
炊きながら、日記をつけたり、本を読んだりする。およそ20分ほど。
ご飯の炊き上がりに合わせて、前日のおかずの中華サラダと、あおさのスープを温め直して、一緒にいただく。
娘が起き出してきたので、おにぎりを握り、朝食を済ませる。
午前中の始業に合わせて、娘にアマゾンプライムビデオ「しまじろう」を観る。ぼくはリビングでミーティングと、作業。
お昼は、近所の中華屋さんでランチに、焼売4つを加えて娘と。
食べ終わると、公園で遊ぶ。自転車と、たんぽぽ探し。
午後のミーティングをして、週末の選考準備を。今週は土曜日に学生の選考があり、恵比寿に久しぶりに出社します。
最終打ち合わせをリモートで済ませて、その後は少し作業をするものの、今週は娘の運動量が少ないと感じていたので、夕方1時間ほど公園へ連れ出す。
ちょうど、帰宅の妻と合流し、昼とは別の中華屋さんで夕飯をとり、帰宅。
お腹いっぱい食べたこともあり、本を読みながらソファで寝落ちしそうになったので、入浴し、ヨガをやって、就寝しました。
天気もよく、よく眠れたいい1日でした!
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