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ドリアはグラタンだから、納豆キーマカレーもできるよ!
人生は、狂った者が勝つ──。
謎飯検定準1級、すべての神を亡き者にし、面倒くささに蓋をする者、メシマズテスター・クッキングバグとして、久しぶりにバグっていきたい。
しかしあなたがたは勘違いしてはならない。菓子は神の供物である。堕天した身ではあっても、チーズケーキはちゃんとkiriの神託に沿ってつくる。何事も用法容量を守ってただしくバグってほしい。
さて、ドリアはおいしい。これは人の世の真理とされている。しかし、しかしだ。「なぜ」ドリアがおいしいか、考えたことはあるだろうか? わたしもない。だが、かつてえらいシェフはこう考えたという──。
「グラタンはおいしい」
「ではマカロニを米にしてもおいしいのでは🤔」
現在知れ渡っているドリアの原型は、1930年頃横浜ホテルニューグランドの初代総料理長であったサリー・ワイルが、体調を崩した欧州の銀行家のために即興で提供した料理であると考えられている[2]。その時提供されたものは、バターライスに芝エビのクリーム煮とベシャメルソース(ホワイトソース)をかけ、オーブンで焼き上げたものである。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%AA%E3%82%A2
そう、どちらも炭水化物である。等価交換だ。しかし米を和風から洋風へクラスチェンジさせるにあたり、炎と鉄の錬金術師は米をバターで炒めたのだ。かくしてドリアが錬金されたのである。
わたしはこれを見ていたく感銘を受けた。この一年やってきたことは間違いではなかったのだと。ふりかえれば最初のnote記事の時点で納豆錬金を企んでおり、その後も納豆を洋風にしようとなんやかんやしていた事実がアオイトリ遺跡から多数発掘された。運命めいた偶然。
世界がちいさきものたちと戦っているとき。わたしもまたV.S. 納豆菌を連戦していた。わたしの思いは、世界の思いと重なっていたんだ。All for one. One for all. 対戦ありがとう。本当にありがとう。
謎飯の錬金術師に、素朴な思いがふつふつと湧いてくる。
なんかキーマカレーのキーマ、納豆と等価交換できそう。
だって×2、ひき肉ってまぢタンパク質だし?(脂質が多いぞ!)納豆もガチめにタンパク質だし?(それは脂質が少ないぞ!)ワンチャン、イケるんじゃね?(やめろ! あぶない!)
でもわたしは永遠の18歳。DKだから。止められない、この想い。うほうほ~!
ごはんをレンチンしつつ納豆2パックを開ける。スタンダードな粒タイプだ。そして和風の装いでたたずむお椀によそう。「大事なのはちゃんとお皿の上に載せたものを食べることなの。忙しくてお惣菜だけになってもそれだけは守りなさい」ってカーチャンは言ってた。お気に入りのやつは飴色の美濃焼でこんな感じのシュッとしたやつ。
非金属性のスプーンで混ぜる。できれば木製にしたかったところだ。箸のときより優しめに混ぜる。ごはんが温まってきたら別の椀によそう。そして好きなレトルトカレーを温める。なるべく焦げ茶色なもの。
トマトカレー(赤)はボルシチ化してしまう。グリーンカレー(緑)からはエイリアンが生まれてしまう。バターチキンカレー(黄)は……ひきわりと相性いいかもわからん。ミントカレー(青)は……そもそもないか。いや、なさすぎて作りたくなってきた。チョコミント=クランの血が騒ぐ。
カーチャン、ごめん。夕飯だけは何があっても彩りある食卓にしようって言ってたよね。でも、あっていい彩りと、あったらヤベー彩りってのがあってさ。これは超えちゃいけないラインなんだ。超えたからわかる。青いカレーとか。青いカレーなのにうまかったらウケるんじゃねとか。そういうの。
無心で混ぜ、無我の境地に達しているうちにカレーも温まる。納豆は修行。納豆は禅。ところで弊宅の納豆はタレ・からしなしである。だが、ついちゃってるみなさんは安心してほしい。入れよう。大体やったことある。
考えてもみたまえ。甘口カレーはうまい! みそ味のカレーもうまい! これらは実績解除済だ。ならば甘口醤油味のカレーもうまい! 嗜好の偏りというパラメータさえ除けば、安全は保証されているも同然では? ちなみにみそしるをカレー風味にしてもうまい。なるべく具材は洋風にするとよい。キャベツとかミックスベジタブルがおすすめだ。
ただ、隠し味は隠そう。とりわけ人前では。紳士淑女の諸君なら分かるはずだ。なんでもオープンにすればいいというものではない。それは悲劇を生む。世界はオープンになりすぎた。社会の窓、しまっていこう。
よし、イケるね。
うん、イケるね。
そういうことになった。
じゃあ……カレー、入れるね……。
茶色い器に茶色い豆。そこに茶色いルゥ! 日本人はみな知っている。茶色い弁当はうまいと。そして山椒だ。うな重みたいなパラッとした感じではダメだ。納豆海の水平線まで、山椒おがくずをうっすら敷くんだ。ここは牧場。失礼が見えてはならない。隠そう。
花山椒でも構わない。要は舌が無痛で痺れ、ピーマン的な苦みがあり、ハーブのような草属性でなく、ヒノキのような木属性の香りがほしいのだ。和の心を尊ぶために。むろん山椒味のカレーもうまい実績は解除済だ。約束された勝利に酔いしれろ。好みはある。
そしてわたしは粉チーズも入れた。理由はない。推しを推すのに理由がいるか。いやない。ひき肉-脂肪=納豆。納豆+チーズ=ひき肉。カロリーにも慈悲はない。十字を切って祈れ。贅肉を愛して踊れ。踊れるDeBuは久しからず。
そしてまた、禅の時間――。精神と納豆の撹拌。
かの哲学者メフィストフェレスは考えた。論理、情熱、粘着質。あまりのキモさに「あ~キモいキモいキモいキモい! もういいから! わかったから!(わかってない)」と根負けさせる弁論術の三要素である。そして深淵より来る者は、契約者から魂を得ること叶わなかったという。
※本稿に登場する人物、団体はすべてフィクションです※
歴史はいつだって悪のラベルの売れ行きがいい。それはよく売れる。なぜなら貼ったらすぐ剥がされるからだ。無限に売れるファスト・ファッションである。ゴミはどこに捨てられたか知る由もない。されど拾う神あり。正義様は悪に告らせたい。勝利の女神はわたしだけにチューをする。宇宙は末永く爆発し、永遠に冷えてゆく。熟年宇宙は諸行無常。
そうだ。読めない空気など空気ではない。期待は裏切るためにある。ドリアはグラタンからできたのだから、納豆でキーマカレーもできるよ。納豆は人類の味方。安くて臭くて健康にいい。人により旨い。しかし、いかな美食も三日で飽きてしまうのもまた人の常。
だが同志諸君、考えてもみたまえ──キモさは永遠に失われない。それは減るどころか、全人類にひとしく老いと共に降り注ぎ、増大し続ける。このパゥワーは永遠! ダイヤモンドは砕けない。暗黒面のパワーはすばらしい。納豆よ、和洋の壁を崩壊させてしまえ。自由だ。立てよキモメン。堂々としろ。人間よりゴキブリの方が数に勝る。キモいは不滅にして偏在。恐れるな。
におう、におうぞ……長男じゃないけど勝ち筋の糸が見える。
ふとスプーンですくえば、ルゥにきらりと光る涙ひとすじ。いや糸。
納豆菌とは枯草菌の一種で、非常に生命力が強く、過酷な環境下でも生き延びることができます。100℃で滅菌すると多くの細菌が死滅しますが、納豆菌は死滅しません。納豆菌を死滅させるためには、120℃の温度が必要です。また、低温にも強くマイナス100℃でも死滅しません。
「だいずまんの秘密」より引用
http://itousyokuhin.co.jp/himitu.html
食べるか。納豆キーマカレー。
やってしまったものは仕方ない。あれこれ考えるより、食べた方が早いのだ。据え膳食わぬは漢の恥。覚悟をキメろ。愛を叫べ。恋人から家族への階段を昇れ。好きを超えて愛に至れ。納豆愛。貴様の推しへの愛はそんなもんか。違うだろ。
おもむろにルゥをご飯の器に覆いかぶせるのは子供のすることだ。大人として、ご飯をすくって、しゃなり、しゃなりとルゥの大海に漕ぎだそう。お米の嫁入りである。外は雨。わたしの涙。
だが海の中では異なる戦いがあった。納豆の風味、いいところを小麦粉とスパイスの暴力でわからせる。暴力…圧倒的暴力…! オラァ! ネチョついてんじゃねえ! テメーの所為で嫌いなもの:アイツに食わされた納豆とかいう格闘家がいんだよ! それでも漢か? あぁん!? んだよ、跳んでこいや!
うまい うまい うまい――(エコー)。
納豆。お前はやっぱりタンパク質だよ。やればできる子なんだよ。なんかニュ~~~っとしてるけど。きっとチーズと小麦粉がトロッとしてるだけ。インドとかスリランカらへんでは液体じゃないカレーあるし。あれだよあれ。ピザと一緒だよ。ドリアとグラタンも一緒だよ。
地味に満足感も高い。びーがずむに達してるみなさん。これはいいぞ。わたしは納豆キーマカレー。敵ではない。おなかがすいて泣いているのかい……? わたしのネチョスをお食べ。大丈夫だよ。ストリートファイターⅡはマジ神ゲーだよ。一緒に、強い奴に会いにいこうね……ッ!
いやはや、これまでも「お味はイケるが見た目は吐瀉物」というアンブレラ社もびっくりの研究成果に心が折れかけていたが、肉斬骨断。彩りを捨てて茶色に振り切ればイージーだ。Curry is Justice. 終わってみれば、答えは得てしてシンプルということだな。グッジョブ。
やはり山椒はいいぞ。ドリアが米をバターでごまかしたように、納豆を優しい噓でコーディングしてくれる。ネチョスじゃないよ、和洋折衷だよって。概念としての蕎麦屋のカレー。
器を和風の椀にした点と、納豆のタレを入れてもいいと思っているのは、ここに由来する。和の概念礼装。同様にネギ類等、薬味系野菜はイケそうだ。彼らは元々納豆に入れてもいいことになっている。ご先祖様の経験に裏打ちされたLOVEがそこにある。科学はそれを後付けで証明しているに過ぎない。人間は結論から過程を導く。その応用が別の遊びを創る。
一方で通常のカレーの具はエンドコンテンツと言えよう。お茄子は大丈夫か……? あれは存在が和風なので。あとなんか軟体になるし。精神力次第で生理的にリムらず食べることができるかもしれない。これも運命の選択。
そう、わたしはマッド・サイエンティスト。
怠惰と暴食の科学者。
安全装置というガラスの壁をぶち破る者。計量に伴う認知リソースを節約する自由と引き換えに、絶望の責任を負う者。認知許容範囲の谷を越えんとし、最後に残った希望の道を歩む者。だが繰り返す。お菓子はマジで計ろう。おじさんとの約束だ。
やめて! なんかシュッてしないで! わるい菌じゃないよ!
(ジャンル:イチャラブお料理サイコホラー)
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