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Old Indonesia Otakuとメタってイチャつくゲロ長クソ沼の推しつけオムニバス:『A Space for the Unbound 心に咲く花』体験記

 こんな長ぇタイトルと画像が意味不明な記事をクリックしやがってこの野郎。長ぇのはタイトルたけじゃねえ。意味不明なのは画像だけじゃあねえ。闇を恐れるな。闇の中にこそ光はある。心して心を燃やせ。読む気を消し炭にするまで吠えていくぞオラァ!(約9,000字)

このゲームには抑鬱、不安、自殺に関する、プレイヤーによっては刺激が強い恐れのある表現が含まれています。心の問題を抱えている方は、お近くの専門家にご相談ください。

『A Space for the Unbound 心に咲く花』
ゲーム開始時の警告文を転記。太字は筆者による。

0%:スタートアップ意味不明カオスヘッド


 Africa, Mexico, Sicily, Tiajuana. India, Osaka, Indonesia. Africa? Mexico? Sicily, Tiajuana. India...Osaka..Indonesia!! ヘイ・カモン!

 Mush-room hunti-n'────♪Mush-room hunti-n'────♫ イェイ! きのこマッシュルーム狩りハンティングの歌なのに────♪ 関係ないことしか歌ってなぁあい────♫ イェイ!

 聴いても意味不明だけど、聴けば意図はわかる。

 意味などないと!

 ふははバカめ。われわれがバカだということがわからんバカにはわからんのだ。バカでもわかる意図ノリというものは。そう、これは意味もなく踊りだしそうな印度製電子遊戯インディーゲームではなくて、意図だけがわかる小規模開発電子遊戯インディーゲームの話である。

 それにしても実に楽しそうなライブである。言われなければアニソンのライブだとわかるまい。インドネシアは "インドネ~ジア" と読む。The 意味不明 Song。意味不明な歌は意味不明だからすばらしい。意味不明ゆえに破滅させようもなく不滅。であえであえ、マッシュルーム狩りだ。おうやってみろ。狩るためには「意味明瞭な名前」が必要だろうがな! ハッハァ!

 では公式サイトを魔除けに貼って。

 まっとうなひとが回れ右するための非常口を用意して。


20%:イントロダクション狂気乱舞ブーストアップ


 そしてここからはわたしさんによるわたしさんのためのわたしさんの意味不明独自観点による異世界異常口。意味のわからなさに踊れ。そしてわれわれは日本語が不自由かわいい自由かわいいな最高きゃわわVTuberに、出会った──。

ゼア・コルネリア

略歴
インドネシアで活躍するNIJISANJI IDの一員。第1弾メンバー。2022/04/15よりにじさんじ所属。同期はTaka RadjimanTaka RadjimanとHana MacchiaHana Macchiaで、ユニット名は3setBBQ。

にじさんじ非公式wiki:プロフィールより転記

 は? 2023年1月19日に発売(※Switch版は遅い)したばかりのインドネシア・ネイティブのインディーゲームをインドネシア・ネイティブのVtuberがインドネシア・ネイティブ実況ライブ配信する……だと……!? ナンデ!? ニジサンジナンデ!?!? いやちょっとVTuber業界ホントすごすごのすごよ。なんぼパターンがわかりきっているとはいえ、カバー速度と範囲があまりにあんまりにおかしい。意味がわからないよ。

 うん、まあ、さすがになにを言ってるか意味不明。だけどやってることは一緒だっていう意図はわかるぞ。だからこそ意味がわかるコンテンツにもはや意味はねぇ! いつだって現在オレより意味不明な未来オレに会いにゆく。意味不明なカオス・ワールド。

 まずなによりすばらしいことがある。

 すべての登場人物が褐色キャラなのだ……。

 いいか大事なことなのでもう一度だけ言う…… "すべて" だ……すべてが褐色キャラなのだ……多様性のカケラもねぇ、モヒカン女もねぇ、ピュアにストレートに肌色褐色固定推定アジア人。老若男女褐色すべて。薄い本じゃあないんだぜ。同人的インディーゲームだけど。東南アジアの褐色は世界一だ。太陽に愛されし民たちを合法的に道徳的に十全に堪能できるのだ。

 ここまで(ネットで)言ってしまった時点でナニカがうしなわれる気がするが、(リアルで)言わなければダイジョーブ。そもそも(ネットで)うしなう道徳性ライフはすでにゼロよ。こちとらメンがヘラなるときもヤンがデレなるときも黒と金色のコントラストを最優先で愛しますて人間やぞ。太陽王万歳。

 まっとうな野郎どもは'90年代後半のインドネシアでうんたらかんたらは冒頭に貼付オラオラしたまっとうな記事たちをゆっくりしていきゃあいいんだよ。それにしてもプレイすればわかる、その不思議な心地。開発者……貴様、同世代だなッ!? と言わしめる錯覚。実際はたぶん違う。同じ時代を生きた違う世代の香り。

 だけどおまえの「スキ」が、過ぎるんだよ。これはグレーなインディーゲーム界のグレーすぎるコピーライト・ロマンスグレーな灰かぶり姫の物語シンデレラ・ストーリーや~~~(彦摩呂師匠生きてるか~~~)。


40%:ダンシング万象矛盾リィンカーネーション


 だってよ。この絵柄やぞ。

公式サイトより引用。解像度に粗さはある。

 いやいつの時代やねんと。

同上。闇の中に光はある。


 この程度の絵柄、やろうと思えばTwitterランドのPixelアートマンズならみんなできる。ひとによりもっと高解像度にできる。だがしかし、ワザとそうしたい人々がいる。ファミコンではないがスーファミではない、PCエンジンとかPC-98という暗号めいたトニカクスゴイフルイゲーム黎明期のレヴェル。

上記ゲームで1996年12月26日発売らしい

 だが実際のところどうだろうか。そんな調子でこどもの描く絵に何も感じないかと言うとそうはならんやろ。芸術のえらいひともピカソの絵すごいってゆってる。じゃあもうええやろがい。すごく感じ入るものがありゃなんでもいい。それは祈りに過ぎないものだから。

 すごくないけどすごい。懐かしくないけど懐かしい。新しくないけど新しい。非写実的アンリアルなのに本質的な生き様リアルライフに見えてくる。電子的ロジックの上に成り立つ量子的ロジックすなわち感情の織り成す祈り。けれども現実と非現実の勘違いには御用心。

暗がりの背景にこそ明るい人物が映える。それってシンプルなこと。
『アンリアルライフ』公式サイトより引用

 その「ワザと」粗い絵柄に比して音楽は密度が高い。ガチだ。オープニングで唐突に登場するインドネシアの伝統民族音楽(?)Keroncong(ケロンチョン)。謎に癒し系である。ハワイアンな感じも漂うところは、さす南国仲間という風情。

 たったひとつの街のメインテーマが、通りをひとつまたぐごとにすこしずつ表情を変える。唐突にイベントで発生する生歌タイム。なぜかアトベンチャーゲーム(ADV)なのになぜかラスボスがおり──物語上のというだけなら珍しくもないがそうではなくてマジのバトルなやつで──そこでラスボスだぜェ~というBGMをちゃんとやっていて草&GJ。からのエピローグは「せやねん、エピローグはこうでなきゃだよ」というBGMがしっかりかかる。

 徹頭徹尾よい。プレイ時間は10時間前後ではなかろうか。2023年1月19日に発売したものを2023年1月27日現在で完全クリアしている。1week。短く濃厚ですべてのお約束を守護まもる。お約束を破るというお約束さえも。だがそれがいい。

 同時に、なんというかローカライズが超すごい。超すごいけど「これわ日本語だが日本語じゃないな」という言い回しがちょいちょいある。「それって最高」みたいな。言うけど言わない。言わないから言いたくなる。古い現代日本語あるいは英語でありがちな感じの。isn't it?

 一方で「キモヲタ」という言葉が出るなど、いずれもたいへん自然な日本語であるのでどうやら「ワザと」っぽい。しつこいようだがこのゲームは闇属性だ。闇の心にダイヴし、光の心を取り返すゲームだ。ワザと自然にするところとワザと不自然にするところ。それも訳者のウデの見せ所。訳者も役者。

 さてここまで読んでるヤツは、だいたいプレイする気はないヤツだ。あるいはどこまで読んでも絶対にプレイするヤツだ。そう信じる。だからあえて言おう。そろそろネタバレの時が近い。ストーリーの核心については何も言っていないのに、実質ゲームの核心についてナニカ言ってしまった感じになる。

 おまえが寿司派なら引き返せ。それは鮮度が命。

 おまえがクロワッサン派ならウェルカムだ。それは焼き直せる。


60%:ストーリーライン約束集合フォーマット


 理解あるボーイ・ミーツ・メンヘラガール。そう見えて実際はセルフカウンセリングからのセルフケア自立っていうフィクション自助努力。できるひとはできるけどできないひとはできない。インターネットの深淵でわたしさんはそれをいつも見ている。

 バカで弱くても素直なひとだけができる。

 バカで強がる賢しらなひとだけができない。

 どうしようもなさを愛するとか、平凡な幸せとか、それをベタだと言いつつ肯定せざるを得ないということをメタる感じとか。ベタに闇。メタに光。誰だってどうしようもないことは普通に分かる。わかったフリして心の底に引きこもっていても、いつまでも笑いは起きない。

 そんなベタすぎるほどにダサくてキモくてブサイクでかわいげのない自分をメタに見る。んで笑う。あまりにもあんまりにバカがすぎる。それって最高にアホ。それこそ闇の中の光。絶望を笑う希望のはじまり。

 そうして絶望の闇をくぐりプロローグに戻ってくると「あっ!?」という仕掛けもある。イベントはとくにないが「あっ……ずっと……そんな……!」となる(きもちネタバレ防止のため語彙力が消失しています)。シュタインズ・ゲートはそこにある。

 なお途中、謎解きで「なにかミスったらしい。(現在の仕掛けの)最初に戻ろう」という主人公のメタガイド・セリフが生じるのだが、これを「レトロゲームのノリならば……これわ……」と深読みし過ぎてマジのガチでゲームの最初に戻ったことで気づいたって次第。

 うるせえ収集要素ミスってたから運命の導きなんだよ。

 そうして闇の帳をかき分けて虎穴ラスダンに入れば。え? あ~はいはい……よき……おぉ!? まだ? まだやる? もしかしてすべての闇の伏線回収するやーつ?? ちゃんとやりきる? 自分の影と戦いきる? もしや "我は汝で汝は我" やる!? やった! えらい! 登場人物ペルソナとスタッフみんなえらい!! となることウケあいである。

 ADVあるあるメタトリックの数々が、もはやネタバレしつくされてシェアされきった世の中でメインコンテンツにはなりえないから。スパイスとしてのお約束となっている。カレーは飲み物。いととうとし。いとおしや。そうなんだよ、気づかずにスルーしたら気づかないけど、気づいたらそうじゃなくなってる……! アッ……アァァ~~~えらい!! ってなる。だいたいの文脈さえわかるなら。

 これらを期待せずに「何してくれるやろか?」と自然体で温泉に身を委ねるがごとき浸かりの時、その心のほっこりが魂でもっこりよ。いかにネタバレしなくてもこのゲームの内的宇宙を、このゲームの外宇宙のネタを用いて外郭輪郭をなぞってしまうこと。それ自体がどうしようもない演出のネタバレで。

 意味不明である方がネタバレしない。

 意図がわかるとネタバレする。

 ごめんよ。パンはパンでも、クロワッサンだってバレちゃう。ベターなバターの多層構造パン物語。そのカロリーが「おいしい」ってことが。ほっぺが落ちて笑っちゃうんだって。

 いやんもう「心に咲く花」とかいいながら「心を裂く花」を咲かせてきやがるぜ……いやホンマ「画面の点滅にきをつけてください」のノリで「こころがよわってるひとはみないでください」という警告が出るのやっぱり草が神すぎる。ヘイおかわり。

このゲームには抑鬱、不安、自殺に関する、プレイヤーによっては刺激が強い恐れのある表現が含まれています。心の問題を抱えている方は、お近くの専門家にご相談ください。

『A Space for the Unbound 心に咲く花』
ゲーム開始時の警告文を転記。太字は筆者による。

 いやそうだけど。そうじゃない。警告なんだけど、警告じゃなくなっちゃってる。けどむしろ「心が弱ってる人こそ」観た方がいいんじゃねえか……? という気さえする。実際そういう人が立ち上がるには、そういうリハビリは必要は必要。骨折した脚を動かすには、癒着した筋肉を剥がしつつ筋力を回復せねばならない。折れた心を動かすには、癒着したうらみつらみを剥がしつつ、表情筋を回復せねばならない。笑えばいいと思うよ。いや笑え。

 タイミングはあるが、いつまでもタイミングは待ってないから。

 だから生きている内に、目を覚ますしかねえ。

 夜をブッ殺して、朝にイキにゃあはじまらねえ。


80%:リアルアンリアル多層世界メタバース


 このゲームの伏線はバカでもわかる考察ができる。それっていいこと。ちゃんとしている。だって別に正解しなくていい。話題の種が芽吹いて、ゲラゲラと草が生えて、お互いの心に花が咲くならなんでもいい。ただしい挨拶をただしく行うのはただしいコミュニケーションだ。しかしまちがった結果を「ワザと」披露しあうことも、ただしいコミュニケーションなのだ。

 ぼくらはともだちだ。だって意味不明な会話ができる。

 それってともだちじゃないとできない。ハッキリわかる。

 エヴァはダメだ。考察がよくわからんからダメ。でも物語はよくわかるようになったからいい。伏線に気づかなくてよくなった。そして解説記事みるとよくわからん考察がおもろいからいい。

 そうしてこう、なんというかこう自己との対話による、健康な自己愛のための自己否定、自己肯定、自己超克……わたしによるわたしのためのわたし以外のためにもなるわたしの旅。それって最高にエグい。けれどピーマンの肉詰めはうまい。だからすぐスマイルするべきだ。子供じゃないならね。

 近年、夢は記憶情報整理デフラグの作業をしているのだと言われているし、走馬灯は生存可能性の最短経路問題を解いている最中だと言われている。そういうわけでココロ・シミュレーション・ゲームは科学であり魔法であってそれを「ちゃんと使え」ということ。逃げちゃダメとは言わないが、暗くなる前に必ず帰って来なきゃ。

 これは自分おまえ自分おまえ勝負ゲームなのだから。

 お~ほしさまキ~ラキラ☆はいいことだが、対向車にキラキラ☆パッシングしてイラつかせたり事故らせたりするんじゃあねえということ。パッシングばかりしているからキラキラの価値が下がるのだ。やめろ。むしろキラキラ好きに迷惑まである。やめろ。

 そうはいってもこれは「どんな最適な計算式ラベルでフィルタリングしようとも、クソはクソ」ということなので。なくならない原罪クソはなくならない。言葉の価値も上昇下降トレンドがあって、賞味期限や消費期限があるナマモノ取引でサキモノ取引なので。シロートが安易にレバレッジに賭けたらご破算だ。

 ゲームと言うカタチで心をシミュレーションする、仮想現実の仮想体験はそうやって致命的なダメージを学習回避予行演習するためもののであって、そこに沈んで水死体になるためのものではない。夢は見るもので、夢に死ぬものではない。

 "女の子が世界を動かすのさ"

 そんな無邪気なキラッとするセリフがゲームの中で飛び出してくる。どこまで本気なのか測りかねるが、過去の予言だったのか未来からやってきた預言なのか。しかしADVに限らず全ジャンルの「おれのスキを食らえ」というスキがすぎるのでわからない。

 だって絵本とメンヘラと格ゲーとタイムリープしてにゃんこ大戦争というの合わさらないでしょ常識的に考えて。ジャンルの多層構造がメッタメタにクロワッサンしとるやないかい。でもやっぱり光と闇が合わさりすごくうまいんだなこれが。なぜなのか。

 無理なものが無理やりくっついてしまう。カオスなジャンル同士をイチャコラに接着くっつけじゃい! というメタ・ラブコメの気合を感じる。キャラとキャラがチュッチュしてるだけじゃすまさねえ。

 ホラーとギャグを、空想科学すこしふしぎ幻想魔法ファンタジーを。ぜったいに接着カップリングしてやるぜ。異なる概念、対立概念さえも融和くっつけさせたらぁボケカスという。中指おったてて魂のTMPをおったてる。うるせえ絶望を超えてハッピーエンドにすんぞ。希望は絶望を愉しむスパイスで、絶望は希望で爆笑するための前座であれと轟き叫ぶ。

 "あなたの冒険はどうだった?"
 "最悪だったよ"

 その返しが最高にクール。

 "成長するのってこんなにつらいんだ……"
 "それって生きている証。生きていれば楽しいこともある"

 いやクソワロタwww
 こんなに立派になって……母さん泣いちゃう。

 "けど、つらいことも書くんでしょう?"
 "それが私の物語だからね(笑)"

 せやねん。夢も希望もないところから夢と希望が生えてくるんや。生きておればよ。おまえがおまえの物語を書け。他人に与えられる物語を受動的に待って拗ね散らかしとるクソガキが大人になれるわけもなかろうが。ウケミは投げられたときだけにしとけ。おまえは他人に与えられた物語を読むだけでもいいし、リライトしてもいい。

 おまえが主体的能動的に受け取りさえすればいい。

 おまえが選んだ自由が不自由なら自由じゃなくていい。

 そして変身ヒロインとか「第三形態」とかそういうの最高で「ククク……これが私の真の姿だ……」「この姿を見せたのはおまえが初めてだ……///」などと言いながら分裂した力が統合し、自律神経が失調した調子が復調したこのわたしは最高なのだ……という。戦闘力がたぶんすごいあれ。

 少年漫画と少女漫画がはじけてまざってカオスにやべえ。真面目に考えてもちゃんと救われるし、斜めに考えてもバカすぎて笑いこけてやはり救われる。これぞ隙を生じぬ二段構えの二刀流。ひとりより、ふたりの方がつよい。イーッヒッヒッヒ! おまえのようなちっぽけな存在はこうして合体してつよくしてしまおうねぇえ!!

悲運に弱りヘラって、ふたつに別れちまったメンがよ…
苦難の闇を乗り越え、強く統合しひとつになってよ…
ぱあっと光り輝き、心に咲く花ってヤツぁよ…
てぇてぇ(尊ぇ)のよ

 ──という大人になるガールを見送る、二度と時が動き得ないさよならボーイのエンディングを見ていると、いやもうこれMAKOTO・SHINKAIやろ? ともなり、BGMもさることながら歌は謎にちゃんと収録されており打ち込みが悪くはないが打ち込みのよさみと生演奏のよさみと生歌のよさみのすべてを盛りに盛ってきやがったというわかりみがSHINKAIに達してしまう。腐海は不快で深いだね。

 そうしてオープニングとエンディングがちゃんとつながって円環の理を成している。うむ。本当にキラキラが逆にエグい。黒い星の輝き。黒曜石は美しくよく切れる。関係のない夜空の星々をつなげて、星座の輝きを遊ぶ。

 ベタなことはお約束。汚いベタベタはご遠慮であるが、ちゃんと果たされる約束はベタっとしない。サラッとしているものだ。ベタなのに、サラッと。油なのに、脂っこくない。こってりなのにあっさりのこっさり。スイーツなのに、あまさひかえめのケーキ。そうじゃなきゃあ「おいしく」ないってこと。

 知り過ぎてしまったわれわれ。輪廻転生を繰り返した物語たち、万象矛盾のメタ構造クロワッサン色々と喰らいつくしてきてしまった人々。つらみ理解わかるほどに、とうとみ理解わかる。他人の怨嗟を自分の楽しみに換えようと、自分の絶望を他人の笑いに代えようと、それは意志次第で自由に制御できうる可能性を持ち、その自由を手にするプロセスが自由への挑戦の道。

 だからこれは意味不明だけど、すべてのスキを込めた作品。

 すべてのスキをそこに置いてきたという意図を感じるのだ。

100000000%:インテリジェンス斬捨御免デバッファー


 しかし一方で思うのである。いかにここまで「ワザと」カオスに書いてきたとはいえカオスがすぎる。ダイレクト脳味噌ダンピングすなわち脳内ログ垂れ流しライブ配信に近しいもの。人間のライブ会話はカオスであるが。それでいいのか。あまりガチで読まれても昨今のインターネットは面倒がすぎるから、読みにくいことはいいことなのだが。

 たしかに名作は名作だ。青空文庫も読めば都でベートーヴェンも聴けば都。スペースチャンネル5は踊れば都。それはそう。合わないものは合わない。それもそう。

 エンタメが介護になっていてええんかというのと、そもそもエンタメのメタバースが過ぎているから進化の方向性がメタるしかなくなっているのか。古いコンテンツに新しいメタのガワを着せ替え人形して恋をする。それでええのか。

 インドの映画は踊る、ならばインドのゲームは踊るはず。ちょうどこんな風に。常識がそうはならんやろと思っても、現実はわりとそうなっとるんや。世界はもう踊ってる。踊ってないのは常識おまえだけ。

 さて、自分が忘れないために貼っておこう。大陸の向こうにひそむ、馬鹿と阿呆おともだちの愛を。次なる踊りの舞台を。さあクソのようなプライドをいつまでも後生大事に掲げているのを止めて。ムダに賢しらにふるまうのを止めて。クスりとも笑えない麻薬的インテリジェンスにデバフをかけてデトックス。

 死ぬのは一瞬。小賢しさが痛みを感じる暇もない。

 誰か介錯されることなく自分で解釈する。セルフ・サービス。

 ヨゴレた心の新陳代謝をやっていこう。

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aizuk
われわれが深淵を覗くとき、深淵もまたわれわれを覗いているのだ……