「死んだように生きる」方がましだって話
10/6。
6:01起床。
天気は曇り。
*
「おいで」
といったら、まだ半分寝ているパートナーがこちらにやってきた。
(ちなみに、今朝は布団の中でこれを書いています。)
ぼくの肩におでこを寄せると、ぐりぐりとすりつける。
「ここにいますよー」って。
そんな朝です。はい。
なんだか、『ひどい夢』を見ていた気がする。でも、そんなことはどうでもいいことなんだろう。『ひどい夢』なら、忘れてしまった方がいい。『ひどい現実』も、できれば忘れてしまいたいけど。
まあ、『ひどい現実』の中にぼくはいないんだけど。……少なくとも、今だけは。もしかしてこの今は、つかの間の休息だったりするのかな?
『ひどい現実』なんて、もうこりごりだ。けれどまた、次から次へと押し寄せてくるんだろう。
ああ、怖い。
それなら、『ひどい夢』を見続ける方がましだ。……いや、そんなことはないな。ひどかろうがなかろうが、覚めない夢ほど恐ろしいものはない。
結局、『ひどい夢』だろうが『ひどい現実』だろうが、ぼくはどこへも逃げられないんだ。
ああ、怖い。
『ひどい夢』も『ひどい現実』も付いてくることができない場所は、ないんだろうか。夢を見ることもなく、現実を生きることもなく……。そんなの、自分で自分を殺すしかないじゃないか。却下。
「実際に死ぬ」
「死んだように生きる」
この二つは似ているようで、大きな違いがあるのだよ君ぃ。
「死んだように生きる」っていうのは、ことばのあやみたいなもんで、生きていることに変わりないんだよ。でも実際に死んだら、「死んだように」も「生きる」も全部無くなってしまうんだ。
それなら、死んだ魚の目をしたまま、生きる方がましだろう。
……なんの話だっけ?
『ひどい夢』にうなされ、『ひどい現実』にはうめき声を上げ。「死にたい、死にたい」が口癖のぼく。本当に死んでしまおうとしたことも、一回や二回じゃきかないけど。たぶん、これから先も、本当に死んでしまおうとするかもしれないけど。
でも、パートナーに「おいで」ってできるのは、生きている内だけだから。「そんなことかよ」って思われてもいい。それが、ぼくの生きるよすがになっている。
そんなよすがは、今日は休み。ちょっと良い朝食でも、作ってあげようかな。
*
「僕だけが、鳴いている」
これは、
ぼくと、ドッペルゲンガーのドッペルさんの話。
連載中。