ラプンツェルの君へ(お題「キャンプ、灯り、悪魔」)
「がっかりよ」と、彼女はいった。
そんなこといわれても。
僕は、焚き火の中に薪をもう一本放り込んだ。ぱちぱちと小気味のいい音が鳴る。盛り上がる炎は、風を巻き込みながら、僕の顔を照らす。彼女の顔は照らさない。
「こっちへおいでよ。寒いでしょ」
もう何十回とくり返したセリフを口にする。
「遠慮しておくわ」
彼女も、決まったセリフしかいわない。
「私は、悪魔だから。……明かりに晒されたら、死んじゃうわ」
*
「がっかりよ。……あなたが自殺志願者じゃなくて、ただのキャンパーだなんて」
「紛らわしくてすみませんね、ええ」
「そうよ、樹海にひとりぼっちなんて……」
縊死以外、ありえないわ。彼女は、本当に悔しそうにいった。
「イシ……首吊りか。ごめんね。ビギナーだから、ロープの持ち合わせはなくて」
「ナイフはないの?」
「刃物なんて、はさみ以外持ったことないよ」
「じゃあ睡眠薬は?」
「毎晩熟睡できる人間には、処方されないよ」
役立たず。
彼女は、その場に座り込んでしまった。
「ごめんね、いじわるみたいになっちゃって。……でも、悪いけど、僕はもう死ぬ気はないよ」
「『もう』?」
彼女は、伏せていた顔を勢いよく上げた。
「ここにキャンプしに来たのは、本当だよ。でも、その気になったら、死のうと思ったのも、ウソじゃないよ。……まあ、生きるための道具は持ってきても、死ぬための道具は持ってきてないけどね」
僕は笑おうとしたけど、上手く笑えなかった。こんな場所でも道化を演じている自分に、気付いてしまったから。
こんな場所……。僕を悪者にした人も、除け者にした人も、ここにいないのに。僕は、人ならざるものの前でも、取り繕ってしまうのか。
「どうして?」
彼女は、また立ち上がっていた。
「どうして、私を悪魔だと信じてくれたの?」
薄闇と暗闇の、微妙な境目に立っている。僕を見下ろすその顔は、やっぱりよく見えないけど――。でも、これだけはわかった。彼女の目に、救いを求める光が宿っていることは。
「何だ、そんなことか」
僕はいった。
「ここは樹海だよ? 幽霊もいれば、悪魔もいるだろうって。それだけだよ」
焚き火は、すっかり下火になっていた。辺りはまた、暗闇に還ろうとしている。彼女は、胸の前で両手をきつく組んでいた。何かに必死に祈るその様は、悪魔とはほど遠い姿に思えた。
「もしかしてさ、」
祈りの途中に口を挟むのは、無礼に当たるだろうか。それでも、構わなかった。僕は、神なんて信じてないから。
「君も、死ぬためにやって来たの?」
彼女は、ハッとして僕の顔を見た。
「……どうして」
「だって、樹海を訪れる目的は、たった一つなんでしょ?」
「私は……」
彼女が口を開いた瞬間、炎が最後の煙を吐き出し、沈黙した。辺りは、完全な暗闇に包まれた。そういえば、今日は新月だった。街灯もないし、本当に何も見えない……。
「おいでよ」
でも、彼女の気配はまだ消えていなかった。
「もう、君を脅かすものは、何もないんだよ」
下生えにつまずかないように、すり足で近付く音。僕は、徐々に大きくなっていく音に向かって、腕を広げた。彼女は、気を失ったように僕の胸に倒れこんだ。か細くて冷え切った体が、小さく震えている。
「ひとりで死ぬのが、怖くなったの」
彼女はあえぎながら、煮えたぎったように熱い涙を流した。その熱は、僕の左の人さし指に落ちた。僕も、その熱には覚えがあった。
「僕もだよ。……だから、死ぬのは止めたんだ」
彼女の濡れた頬に、涙の乾ききった自分の頬をつけた。彼女のソレが僕の頬に移り、彼女に出会う一時間前の僕の再上映になった。
そして僕も、自分自身の涙を流した。それは、彼女の頬にも移り、どちらがどちらの涙なのかわからなくなった。
「死にたくないよ」
どちらからともなく、僕らはいった。
「寒くない?」
「……うん」
死ぬことを諦めた僕らは、二人仲良く毛布を分け合った。お互い泣き疲れて、ややこしいことはもう考えられなかった。
「朝になったら、どうしよう」
彼女がいった。
「まあ……誰かに見つかる前に、どこかへ行こうか」
「どこへ?」
「わからないけど……でも、大丈夫だよ」
死ぬことも生きることも、もうひとりぼっちじゃ出来ないから。
他人の死の匂いが満ちる中、僕らは眠りに落ちた。二人きりで、息を潜めて。それでも僕らは、生きていた。
生きていたいと、願っていた。