ガランド(お題「顕微鏡、クモの巣、いしのなかにいる」)
僕のおじさんは、クモの巣が大好物。クモがせっせとこしらえたそれを――まだ何のエサも捕らえていない内に――ぱくっと食べてしまう。
おじさんはパパの弟で、パパとは十五も離れていたから、僕とはそんなに離れていなかった。パパは、僕が生まれる前からおじさんを嫌っていたらしい。
ママもパパに同意していたけど、僕は違った。「おじさんの家には近寄るな」って言い付けられているけど、僕はしょっちゅうおじさんに会いに行っていた。
僕がクモの巣を食べなくても、おじさんは甥である僕のことはかわいがってくれ、時々顕微鏡を触らせてくれた。おじさんの愛用の顕微鏡。僕以外に、触らせたことはないんだって。
大事な大事な顕微鏡。
僕はそれを使って、たった今、おじさんを殺した。
*
どうしてこうなったのか、覚えていない。
いつも通りおじさんの家に行って、おじさんは採れたてのクモの巣を口に入れるところで、それで……どうなったんだっけ。
おじさんは、血がべっとり付いた後頭部をさらして倒れている。ぴくりとも動かない。僕は血まみれの顕微鏡を握っていて、なぜか息が上がっていた。
「何で?」
この状況に。
この状況の中、落ち着いている自分に。
僕は冷静だった。悲しみも憤りも、ましてや焦りもなかった。まるで別の次元から、この現場を眺めているみたい――。
「そりゃ、そうだ」
「え?」
おじさんが喋った。くるみ割り人形のように、顎がかくかく動いている。
生きている? いや、違う。瞳孔は開いているし、何より、さっきの声はおじさんじゃない。
「ご名答。俺は、お前のおじさんじゃない」
おじさんの口の中は、食べかけのクモの巣でべとついている。今の状況を説明してくれるものがあるとすれば、もしかしてコレ?
「俺は、クモの巣じゃない。それに付いていた石っころだよ。正確にいえば、その石の中にいるんだけどな」
「石の中……」
「危うく巣ごと食われるところだったから、お前に止めてもらったわけだ。見ての通り、俺は手も足も出ないんでね」
「僕に……」
つまり僕は、何かこのよくわからないもののせいで、叔父殺しになったというわけだ。
信じがたい話だけど、信じるしかなかった。だって、何も喋らなくても、思考が先読みされているんだもの。今だって、現在進行形で、僕の考えていることはお見通しなんだろう。僕の感情が死んでいるのも、そのせいなんだろうか。
「不服そうな顔するなよ。そうだな……お前は命の恩人だから、礼と言っちゃなんだが、面白いものを見せてやる」
「面白いもの?」
『俺』(と呼ぶことにした)は石の中にいるけど、その石は裸眼では見えないくらい小さいらしい。だから、おじさんの口の中にあるクモの巣ごと、プレパラートに乗せた。(『俺』は、犬歯の辺りにいたらしい。)もちろん、顕微鏡で確認するために。ついさっき凶器にしたばかりだから、使い物にならないんじゃないかと思ったけど、思いのほかちゃんと機能してくれた。
「慣れてるな」
「最近、授業で使っただけだよ」
レンズが汚れるから、あんまり近付けたくなかったけど「ちゃんとぎりぎりまで近付けろ」と『俺』からお達しがあったので、仕方なく従うことにした。
クモの巣の繊維くらいしか見えないんじゃないか。そう思っていたけど、案外すぐに、件の石は見つかった。
レンズを通して見る石は、それでようやく小石と呼べるほどの大きさに見えた。石と言われなきゃ、埃だと言われても肯づいてしまいそうだ。
「もっと倍率を上げろ。もっともっと」
「いや、これ以上は……」
そう言いかけたとき、僕はそれを見つけた。石の中心にいるそれを。
『俺』は「中にいる」と言っていたけど、どちらかといえば、「中にある」の方が正しい気がした。まるで、虫が閉じ込められた琥珀だったから。自分の意志に反して、巻き込まれてしまった――。
僕はそのとき、違和感に気付いた。倍率を上げたとはいえ、どうしてこんなにはっきり見えるんだ? どうして、その姿がだんだん大きくなっているんだ? どうして――。
「最後の一仕事、ありがとよ」
気付けば僕は、周りを白い何かに囲まれていた。自分よりもずっと大きいから、その何かはわからない。それに、体が動かない。まるで、琥珀に囚われてしまったように。
あれ?
あれ?
「それにしても、お前の叔父はたいそう旨そうに食っていたな」
『俺』の声が、地鳴りのように響く。……『俺』の声? このセリフは、たしかに『俺』が言っているけど、でも、この声は。
「お前は、一度も食ってやらなかったらしいな」
さっきまで白くて明るかった周囲が、一瞬で真っ暗になった。僕は、ここがどこなのか知っている。暗くなるその刹那、この前治療したばりの虫歯が見えたから。
「ああ、最悪だ」
それを言ったのは、僕なのか、『俺』なのか。
「もう、何もわからないや」
プレパラートが、嚙み砕かれた。