「大人しくしといてよ」(お題:「禁忌、収束する君、無機質な愛」)
「大人しくしといてよ」
それが、彼にとっての「おはよう」です。
「だって、君は大人なんだから」
私は、まだ未成年です。でも、彼がそう言うなら、私はもう大人の女なのです。私の考えなど、ここではどうにもならないのです。
そして、彼は仕事に出かけます。大人なので。社会人なので。彼の中では、私も大人なのですが、バイトに出かけることも、ましてや学校に通うことも、許してはもらえません。
私に許されているのは、彼が用意してくれたロールパンを食べることくらいです。少しだけ生えてしまったカビを取り除きながら、私はそれを食べます。
いつものように、彼の今までの『彼女』達を眺めながら。
*
いつからこの生活が続いているのか、忘れてしまいました。彼が毎朝大量に吹きかけるコールドスプレーでも対処しきれない『彼女』達の腐乱臭にも慣れてしまいました。
その内、私も『彼女』達の仲間入りをするのでしょうか。それとも、このまま彼に愛され続けるのでしょうか。もう戻れない生活を思っては、「あれは、全て夢だったのだ」と自分を納得させます。
「大人しくしてた?」
彼はいつも同じことを訊ねます。それは疑問形ではありますが、導かれる答えは常に一つです。
「大人しくしていました」
そして、まるで子どものように抱きつく彼の頭を、私は撫でるのでした。
*
「戻ってきてくれたんだね」
彼と初めて会ったとき、そう声をかけられたのを覚えています。見知らぬアパートの前で、見知らぬ男性に話しかけられたので、私の体は硬直してしまいました。
彼はそれを肯定だと思ったのか、私をスタンガンで気絶させ、自分の部屋に連れ帰りました。
その日から、私と彼の生活が始まったのです。
「戻ってきてくれたんだね」
このことばは、私以外の女性にも言ってきたんでしょう。彼の部屋に山となっている『彼女』達が、何よりの証拠です。きっと『彼女』達は、彼の望む『彼女』ではなかったんでしょう。
では、私はどうなんでしょう? 彼が望む『彼女』だから、生かされているんでしょうか?
*
彼は、今日も私を愛でます。『彼女』である私を愛でます。私自身が愛でられているわけではないのです。
日が経つほどに、私は私でなくなる感覚が強くなります。私は徐々に『彼女』になっているのです。もうすぐ、『私』という人間はいなくなるのでしょう。
「大人しくしといてよ」
彼はいつものように、私に言います。
だから、私も言ってやりました。
「愛してるよ」
彼はそれを訊くと、『彼女』を、私を、押し倒しました。ようやく、×してくれるのかと思いました。
でも、彼は私に縋りついているだけでした。私がどこにも行かないように、まるで子どものように、いつまでも泣きじゃくっていました。
*
お題提供者:めだまさん(@pandora_nh)