痛くて、青くて、痛い(拝啓。皆さま/plenty)
久しぶりにplentyを聴いている。
バンドが解散して3年(2017年)、ボーカルの江沼郁弥がソロ活動を始めて2年が経った(2018年)。
そして、1st Album『拝啓。皆さま』がリリースされてからは、10年以上(2009年)。
彼らの存在を知ったとき、ぼくは高校生だった。当時、熱心に購読していた『ROCKIN'ON JAPAN』で、まだ無名だった彼らは、異例と言える扱いで取り上げられていた。
彼らが紹介された次の号には、ロング・インタビューが掲載されていた。(無名のバンドがロング・インタビューなんて、異例もいいところだ。)彼らのことばに、編集部の熱のこもったディスク・レビューに、興味を持った。
YouTubeには、『拝啓。皆さま』から2曲MVが投稿されていた。無名のミュージシャンのCDを買える状況になかったぼくにとって、大変ありがたかった。
動画を再生した瞬間、ぼくはすぐ引き込まれた。
ボクのために歌う吟/plenty(2009年)
特徴的な声だった。きれいなのに、「きれい」と形容するのは憚られる。肺を圧し潰すことで、ことばを吐き出している。そんな声。
その歌に、慰めや容赦は一切ない。自分自身に向き合わざるを得ない、圧倒的な力。痛い、痛い、痛い。でも、イヤホンを外すことが出来なかった。
そっとしておいてほしいの。あ、そう。そうやって泣いてろ。
――plenty『よわむし』より引用
醜くて弱い自分を、他ならぬ自分に見せつけられている。目を逸らさずにはいられないそれらの存在を、改めて思い知らされた。
そして、大学生になったぼくは、念願叶ってCDを買った。歌詞カードを何度もめくった。ラジカセで何度もリピート再生した。
ギターが趣味だったぼくは、plentyを弾き語りで歌うようになった。特に、『東京』を好んだ。明るい曲ではないけど、歌っているとなぜか安心した。
東京/plenty(2009年)
社会人なってから、今度は自分じゃなくて他人に、理不尽を押し付けられるようになった。けれど、彼らは理不尽を理不尽と思わず、「お前が弱いからだ」と口を揃えて言った。
プラス思考
それが流行り
社会の役に立て
そんな言葉背負って
――plenty『東京』より引用
ぼくは、大好きな音楽を聴くことが出来なくなった。
好きなものに触れる気が起きなかったし、それに、ぼくなんかが触れたら汚れてしまう気がして。
でも、あれから何年も経った。
今なら、聴ける気がした。
ぼくは数年ぶりに、『拝啓。皆さま』をラジカセにセットした。
あの頃をなぞるように口ずさんでいると、涙がこぼれた。
ぼくの痛み。
ぼくの青春。
全てが、まだそこにあった。
拝啓。皆さま/plenty(2009年)