Cinema(お題「夢の音、あなたを盗む、鼓動する」)
いつも、同じ夢を見る。
まず、夢の中で目を覚ます。私は、夢の中でも眠っているのだ。体は起こさない。起こしてくれる人が現れるから。
身じろぎせず、じっとしていると、とくんとくん、鼓動が聞こえてくる。私のじゃない。私の心臓は、しんとしている。
ソレは、まるで足音のように、だんだん近づいてくる。そして、ごつごつした『彼』の手が、私の頬に触れる。
この人、この人は――。
私は、顔を上げようとする。でも、そこで必ず目が覚める。今度は、現実の中で。夢でも現でも眠っている私だけど、すぐに判断はつく。
現実の私の耳は、聞こえないから。
*
生まれつき、聞こえなかったわけじゃない。ある日突然、聞こえなくなった。『ある日』がいつだったのか、忘れてしまったけど。病院では、異常なしと診断された。健康時と何一つ変わりないらしい。
「心因性のものじゃないか」とも言われたけど、失聴するほどショックなことが、私にあったんだろうか。わからないけど、そんなにショックだったのなら、簡単に思い出せるものじゃないのだろう。
耳が聞こえなくなっても、私の生活はあまり変わらなかった。(さすがに、仕事は変えたけど。)聞こえないことで不安になることは、まったく無かった。
そのことについて、主治医は私のことをよく心配した。突然聴覚障害になって動じない患者は、なかなかいないと。本当は、不安で不安でたまらないんじゃないかと。そんなことを言われても、不安なんて一切ないのだから、しょうがない。
けれど、自分がおかしくなりつつあることは、自覚していた。
*
夢の中で聞こえる鼓動が、私にとって『音』の全てだ。彼に触れられるのは一瞬だけど、『彼』の鼓動を聞いているこの瞬間は永遠に思えた。
現実の私の耳は聞こえないけど、夢の私の耳だって正常とはいえなかった。この耳は、『彼』の鼓動の音しか拾わない。自分の胸に触れてみる。聞こえないからなのか、自分の鼓動を感じられない。
夢の中の私は、いつも横たわっている。もしかしたら、死んでいる設定なのかもしれない。動こうと思えば動けるから、違うかもしれないけど、死んでいても動くことは、ないことじゃないだろう。
突然、頬に何かが触れた。
『彼』だ。いつの間に……。
あんまりびっくりしたから、顔を上げることも忘れて、私は固まってしまった。『彼』も、私の頬に手を添えたまま、動かなかった。きっと、私が動かない限り、動かないんだろう。
「私は、死んでいます」
私は死んだ。そういうことにした。元々そういう設定だったかもしれないけど、自分からそういうことにした。
「だから、ずっとここにいます」
『彼』は、何も言わなかった。何か言っていたかもしれないけど、私には聞こえない。私に聞こえるのは――。
ふいに、私は顔を上げた。いや、違う。持ち上げられた。『彼』の方に向かって。私の目は、『彼』を捉えた。けれど、意味はなかった。深い翳りで、『彼』の輪郭すらつかめない。
「現で、お会いしましょう」
そして、私は目を覚ました。
*
現実に戻って早々、私は異変に気付いた。
寝巻きのまま、髪の毛もろくに整えず、私はうちを飛び出していた。靴も履かなかった。
太陽が真上まで来ている。通りすがる人達が、私を見て何か言っている。でも、そんなことは気にしていられない。何を言われても、私には聞こえない。
鼓動が聞こえる。私のじゃない。夢の中でしか、聞こえなかった音。現実には、存在しないはずの音。それが、すぐ近くまでやって来ている。
「やっと会えました」
私は、『彼』の腕の中にいた。いつ抱きとめられたのか、わからない。そんなことは、どうでもよかった。私は、『彼』の胸に自分の耳を押し当てた。ずっと前から知っていた音に、耳をすませて。
「会いたくなかったです」
私は言った。『彼』は自分の顔を見せるつもりはなく、私を腕の中におさめたままだった。私も、『彼』の顔は見たくなかった。現の夢から覚めてしまわないように。互いが出会うことの意味を、私達は知っていた。
「僕も会うつもりはなかったんです。……奪うつもりもなかったんです」
「奪う?」
毎晩頬に触れている手が、私の耳をそっと包んだ。まるで、何かを押し戻すように。
「ごめんなさい」
その瞬間、ひどい耳鳴りに襲われた。
*
次に目を覚ましたとき、私は自分のベッドの上にいた。日はすでに暮れかけていた。私は寝巻きのままで、でも足の裏は傷だらけで泥だらけで――。あれは、夢? それとも、現実?
そして私は、すぐに違和感に気付いた。
聞こえる。
聞こえるのだ、何もかも。
私は、思わず耳をふさいだ。以前は日常の一部にすぎなかったものが、こんなにうるさいなんて。
自分の耳に触れ、『彼』に触れられたことを思い出す。『彼』のが移ったのか、それとも自分のなのか、耳はとても熱くなっていた。その熱は、私の『彼』がいたことを証明する、唯一の望みだった。
それから、私が『彼』の鼓動を耳にすることは二度となかった。
*
お題提供者:真島こころさん(@KIMINOOTO_PIANO)