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一人、『明日』に来てしまったぼくは
10/29。
2:45起床。
天気は晴れ。
*
良くない気がする。
何が良くないのかと訊かれれば、上手く説明できないんだけど、良くないんだ。……頭の調子が。
月に何度かそういう時期があるのは、よくわかっているんだけど。何かあったわけでもないのに、様子がおかしくなるなんて理不尽だ。
でもその理不尽さは、ぼくの頭に由来しているので、誰に文句をいうわけにもいかない。
うちにいれば、ずっと眠っていたくなる。外に出れば、二度と帰りたくなくなる。どこにも行きたくないし、どこか遠くへ行きたい。ぼくは、やじろべえよりも不安定。
今朝なんて、妙な時間に起きてしまった。床(布団?)に耳をすませると、階下から賑やかな声が聞こえてくる。
あの人達にとっては、今の時間はまだ『今日』なんだろうか。ぼくは、すでに『明日』を迎えてしまったのに。まだ眠っていたかったのに、体がいうことを聞いてくれないよ。
なので、こうやってPCを開いている。何か、ざわざわするものがあるから、それを書き出さずにはいられない。日記とは、得てしてそういうもの?
昨日……昨日の夜、寝る前後のことをあまり覚えていない。坂口安吾の『白痴』を読んでいたことは、覚えているけど。そのまま寝落ちしたのか? でも、起きたらちゃんと布団の中にいたし……。ううん、わからない。
だが、気違いと常人のどこが違っているというのだ。違っているといえば、気違いの方が常人よりも本質的に慎み深いぐらいのもので、気違いは笑いたい時にゲタゲタ笑い、演説したい時に演説をやり、家鴨に石をぶつけたり、二時間ぐらい豚の顔や尻を突いていたりする。
――坂口安吾『白痴』p44-45より引用
慎み深い……とは……。Weblio辞書によれば、「遠慮がちで控えめである」ことです。
でも、上記の例は「遠慮がちで控えめである」のか? ぼくがそれを理解できていないだけなのか? ……こんなことを考えていたら、それは記憶が飛ぶ気がする。
こんなことを考えるのは、つまるところ、ぼくはぼくを『気違い』だと思っている? 少なくとも、『常人』だと周囲は認めてくれまい。何をしなくても、頭の調子が悪くなるぼくのことなんて。
もう一眠りしたいのに、眠気は未だにやって来ない。階下の人達は、静かになった。ぼくだけが、もう『明日』の中にいる。
*
「僕だけが、鳴いている」
これは、
ぼくと、ドッペルゲンガーのドッペルさんの話。
連載中。
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