書く、ということ
昔から、書くことが好きだった。
小学校の宿題「自主学習2ページ以上」には
オリジナルの物語を 毎日連載 という形でかいて、「自主学習10ページ」をこなしていた。(これを自主学習として認めてくださっていた当時の先生方本当にありがとうございました…)
最初は10ミリ方眼ノートだった自主学習帳も、学年が上がるにつれ5ミリ方眼になり、5年生になる頃には買い与えるのが面倒になった母親からA欄のキャンパスノートを5冊組で買ってもらうようになっていた。
方眼ノートは1マスの大きさが決まっていて、次の字を書くときもある程度間隔を空けて書かなければならない。だから湧き出てくる文章を書くにも、1文字ずつ「待て」と言われているような気がして、少し突っかかるものがあった。でも罫線しかないキャンパスノートはひたすらに書き続けることができた。これによってわたしの書くことへの執着はどんどん増し、キャンパスノートまるまる1冊1つの物語書き上げることが増えていった。
こんな感じなので、小学校低学年の頃、行事ごとに書かされる絵日記は文章を書くところが少なすぎて嫌いだったし(そもそも絵も苦手だった)
高学年になり日記になってからも最後の行の最後のスペースまで書くことが当たり前だった。
中学に上がったある日、思春期あるあるの「何事もめんどくせぇ、たりぃ」の風潮がクラスを覆った。行事ごとに書かされる日記も小論文へと変わり、文字数の上限も下限もぐんと跳ね上がった。そうなると中学生は"下限ギリギリを攻める"ことに全力を注ぐようになる。そして余った時間で次の時間の小テストの勉強をする。まだ字を書くことが好きだったわたしも、成績に直結する小テストへかける時間が惜しくなり下限ギリギリマンへと変わっていってしまった。
一度ついた癖はなかなか離れてくれなくて、エスカレーターで上がった高校でもその癖を存分に発揮した。そもそも小テストの予定は学期のはじめに出てるのだから、もっと前々から勉強すれば良いものを、「明日2限小論か!早く終わらして3限の英語小テスト勉そこでやるべ!」になってしまった。文章を書くことよりそもそも文字を書くことが億劫になってしまい、あれほど湧き出てきた物語も、英単語と古語と地理の暗記でキャパを失った脳からは出てこなかった。そもそも書くことがもう嫌いだった。結果、大学受験も小論文を避けて学科試験しかないところを後期試験でも選びかなり苦労することになった。
大学に入っても、バイトとサークルに明け暮れ、テスト期間に友達からノートを拝借して一夜漬けで挑む日々は変わらなかったが、就活となるとそうもいかなくなった。
なあなあに就活していたため全然決まらず気づいたら夏に。流石にまずいと遅ればせながら焦りだし、自分の考えをまとめるために自分の思いをWordに打ち込んだ。それでもピンとこなくて今度はもっと考えてそれを紙に書き出していく。するとどんどん溢れる感情に身を任せ、今まで思ってもいなかった自分の大切にしたいことが文章となって溢れ出てきた。
自分の大事にしたいもの。自分が本当に思っていることは書こうとしなくても手が動く。
逆に本音ではないことを書こうとすると、書こうとしないと手が動かないし、文字の形も違ってしまうことに気づいた。
文字を書くことは、自分の中に溜まっている文章を吐き出し、本音を可視化させてくれる物だった。
就活が終わり卒論真っ最中の今も、手でもパソコンにでも、文字に起こすことを大事にしている。
そのあと図を書いたりより見やすく可視化することでどんどんすっきりしていくからだ。
一時は嫌いになった書くことは、本音を可視化するツールとして、わたしの元に戻ってきた。
就職してからももっと大切にし、いろんな人の本音を可視化できる文章を書いていきたい。