随筆でも手紙でもなく(前篇) 『ヴィンセント海馬』10
図書室が国語室に変わるには、1日も必要なかった。
国語室は5つのエリアに分かれている。生徒は自分の好きなエリアに向かい、自分の伸ばしたい『国語力』を鍛えることができる。
(1)詩歌エリア
(2)物語エリア
(3)随筆エリア
(4)対話エリア
(5)学習エリア
(1)詩歌エリア
さまざまな定型詩、自由詩を創作するエリア。歌詞も含む。
(2)物語エリア
絵本から小説まで、物語を創作するエリア。朗読も含む。
(3)随筆エリア
日記、感想文、学級日誌、部活ノートなどの製作。手紙も含む。
(4)対話エリア
テーマにそって仲間と対話。他者の思考を知り、己の思索を深める。
(5)学習エリア
漢字や語句、論理学、修辞法、古文、文学史を学ぶ。
4月14日土曜日の4時間目。教室でのガイダンスが終わると、美月先生に率いられてみんなで廊下を歩み、3階の奥の国語室へ。出来たての新教室。高校生たちは予め狙っていたそれぞれのエリアへ駆け出し、さっそく創作を始めた。
オレたちはもう子どもじゃない。自力で自由を手に入れるんだ。
オレたちの国語室はそのために在る。
オレたちの美月先生がすべてをかけて創ってくれた部屋だ。
オレたちは飛べる。想像よりもずっと高く、遠くまで飛べる。
このメッセージは国語室で書いている。
国語室にはAIが在る。
AIを使って、オレたちは能力を飛躍的に高められる。
オレたちは飛べる。想像よりもずっと高く、遠くまで飛べる。
13日の夜、ヴィンセント海馬はクラスのみんなに、シンプルで力強いメッセージを配信した。自分で日替わりの制服を作ってしまう、しかも習得したスキルを活用し、他校の制服を製作、それを売りさばき100万円以上の売上げを得たことはウワサになっていた。ヴィンセントにアドバイスされた美南という子が、学校に通いながら写真を撮る仕事を始めたという話も拡がっている。彼の想像を超えた行動力は、高校を中学の延長上と考えていたクラスメートたちに刺激を与えないはずはなかった。
さらに個別にひとりひとりへ向けてメッセージを送ったらしい。たぶん、そのメッセージは驚くほど具体的で、親密で、魅力的だったろう。結は海馬くんに出会った最初の朝が忘れられない。
なんでこの人は自分のことを知っているの?
しかも、とんでもないところまで詳しく——
見ていないようで見ている。
あらゆる情報を大切にしている。
別世界にいる人のように映っていた銀髪の少年。
そんな少年が自分だけに個人的なメッセージを送ってくれる。
うーん、ちょっと悔しいし、あまり想像したくないけれど・・・
みんなが創作へ駆け出すのも道理だ。
結はてっきり超考堂——AIの芥川龍之介——が、将棋で言うところの多面指しのように、みんなの物語づくりを手伝ってくれるのかと思っていた。この教室においては、小説執筆はメインではなく『物語エリア』の1つのパートになっている。超考堂以外にも、海馬くんがプログラムしたAIがいるようだがよくわからない。前にチラっと言っていた松尾芭蕉のAIでもいるのだろうか?
海馬くんには、IT関係、電気関係、建築関係、インテリア関係の大人の友だちがたくさん(それも本当にたくさん)いるらしく、金曜の深夜~土曜の朝の突貫工事で、図書室は驚異的な早着替えを完遂。あっという間に魅力的な国語室へと生まれ変わった。
室内の変貌ぶりに結は目を丸くする。昨日と同じ個所を探す方が難しい。海馬くんが来てから驚いてばかりだ。今週驚いた回数は、今まで生きてきた15年の驚いた回数を軽々上回っている気がする。
「たった1日で・・・ほんとすごい! ねぇ、ほら、美月先生も嬉しそう」
「1日じゃないよ。この部屋を思いついたのは先週の土曜日だから。そこからいろいろな人と交渉したり、依頼したり、発注したり、結構大変だったよ」
クールな海馬くんが「大変だ」と構って欲しがるくらいだから、すごく大変だったんだろう。お金もきっといっぱいかかったんだと思う。でも結はそれについては聞かないことにした。そこは考えない。うまくいくようにプログラムされているんだ、きっと。常識を超えた、人間には思いつかないような最善手だから、人の心やお金が集まって来るんだ。
「海馬くん、超考堂と同じ手が浮かんでいたんだね。しかもずっと早く」
「先週の金曜の朝にね、家庭科室に美月先生が来てくれたんだ。オレがひとりでミシンをやっていたらさ、そばに来て言ってくれたんだよ——」
大丈夫? 手伝おうか
明日は最初の現国があるから休まないで欲しいな
「オレ、誰かに手伝おうかなんて言われた記憶はないよ。休まないで欲しいなんて言われたことも。もう学校に来ないでくれって言われたことは何回もあるけど」
「わかる」
「おい! わかるとか言うなよ」
「だって海馬くん・・・なんていうか学校なんて要らなそうだし。教える方が気を遣いそうだし、友だちとも能力が違い過ぎるし。わたしだったらやりにくい」
結のホンキとも冗談ともつかぬセリフに少年は一瞬言葉を失う。ぼさぼさの髪の下に在る少年の眼は、笑っているのかそうでないのか見分けがつかない。
「先週の土曜は休むつもりだったけど、先生の誕生日だったから・・・でも先生は教室で辛そうで哀しそうだった。あれはかなり不自由で、違和感がある光景だった」
結ももちろん、その授業を受けていたけれど、そんな感じは受けなかった。いや、正確には新学期、いきなり始まった授業に遅れないようにしようと精一杯。先生の話にひたすら耳を傾けノートをとっていた。先生の心中を推し量る余裕なんてなかった。
「だから、すぐに浮かんだ。これは国語室が必要だって」
そもそも——
先生が悩むことがあるなんて想像もしたことがなかった。
「海馬くんは、どのエリアに行くの?」
「結は?」
「わたしは、小説のとこ! 物語を書いている先生、楽しそうだったから。昨日から早く4時間目にならないかなってずっと思ってて。朝のホームルームから楽しみ過ぎて美月先生に笑われたよ」
「ああ、昨日、なんか2人とも小説書くの楽しそうだったね」
「見てたの?」
「昨日も言ったよ。超考堂の眼を通してぜんぶ見てたって」
「あ、そっか」
もう海馬くんには、ぜんぶ見られている前提で行こう。
ていうか海馬くん、どんな小説を書くんだろう?
ちょっとというか、だいぶ興味がある。
「ねぇ、海馬くんも物語エリアに行かない?」
「オレは・・・うーん、まぁ・・・」
「あれ? 何で恥ずかしがってるの?」
海馬くんが恥ずかしがるのはとても珍しいことのように思えた。
「どこ行くの? 教えて」
「あ? いいじゃん。はやくあっちに行きなよ」
「どこ?」
「まぁ、ええと・・・随筆エリア」
「随筆?」
意外だ。ん? なんで意外なんだ?
結は考える。
あっ
たぶん——
言葉よりも行動だから。
海馬くんは言葉よりも行動を大切にしているからかな?
なのになんで随筆?
「随筆って、何を書くの?」
海馬くんは「うーん」と言い淀んだ後、苦々しく言った。
「書かなくちゃいけないものがある」
「あ、わかった。当てていい? もしかして」
結はささやかな希望を込めて予測した。
だって、わたし
まだ、もらってないからね——
「わたしに何か書いてくれるの?」
「ん?」
「海馬くん、みんなにメッセージを送ったんでしょ? でもわたしもらってないよ、海馬くんのメッセージ。もしかして直筆の手紙?」
「は? だって結とはメッチャ会ってんじゃん」
メ ッ チ ャ
あ っ て ん じ ゃ ん
「それに結、国語室のこと知ってたじゃん。今さらメッセージいる?」
「いる! 海馬くんの字、見てみたいし、欲しい」
「バカ、オレ、字なんて書かないよ。手書きの手紙とかムリ。そもそも思考のスピードに手が追いついて来ないのがイライラする」
「ヴィンヴィン、カッコつけすぎだよ」
結はフォトグラファ美南の真似をして、海馬をからかう。
「まあいいや、出来たらあとで見せてね。へたっぴな字でも、がんばって読んであげるから」
結は海馬と別れて物語エリアへ向かう。
銀髪の少年はため息をひとつつき、随筆エリアのテーブルへ。
こういうのは賑やかなところじゃないと逆に書けなそうだ。手書きとか面倒くさいな。ヴィンセント・VAN・海馬は久しぶりにペンを執り、用意していた紙を睨む。
わ た し に な に か
か い て く れ る の ?
結に向けてという部分は当たっている。
でも——
書くしかないか。
ヴィンセントは結に向けて書き始めた。
彼が書こうとしているのは、随筆でも手紙でもなく——遺書だ。
(後篇へつづく)
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