花火は江戸の代名詞。じゃあ、ファンドの代名詞は?プロセス管理!
私の住む浅草も、7月の終わりといえばコロナ明けの4年ぶりの隅田川花火大会で盛り上がったようでして、聞けば103万人が押し寄せて花火を見ていたそうです。まぁ、すごいですよね。知っていますか?台東区って人口21万人程度、向こう側の墨田区も28万人ですから、両区の人口の2倍の人が、暑い中隅田川沿いに押し寄せては、どこから見たらいいのか、と人でごった返す通りを彷徨っては、夕方からだんだん複雑になる交通規制のおかげで行きたいところにはいけず、毎年あまり知られていない恒例の夕立に合うわ、やっと見られるいい場所かも、と思った場所は「そこは立ち止まり禁止です。立ち止まらないでください」、なんて言われてどんどん押し出されて、でも周りはまだまだ明るいし花火は始まらないし、喉が渇いても近くで売っているのは出店だから微妙に高いし、コンビニも超混んでるし、やっと始まった、と思ったら落ち着いて止まってみられないから途中途中ビルに隠れて見えないし、終わったー、と思って駅に行ったら大混雑で地下鉄の駅の中にすら入れず長蛇の列、家についたら深夜をとうに回ってくたくたな一日だった、って、まぁ、みなさん、大変だったのではないでしょうか。毎年この繰り返し、ですよねぇ。。。実際、花火大会が近づくと、知人や知り合いから(ファンド業界ならAIMA Japan Forumにタダで呼んでよー、仲のいい友達でしょー、と、その時期が近づく時だけ都合のいいお願いにくる、遠戚のおばちゃんくらい遠い知り合いくらいの仲なのに)、家に呼んでよ、ダメならどこかよく見えて、でもゆっくりできる秘密の場所って教えてよ、と聞かれるようになるのですが、年々、東京スカイツリーをはじめとして、新しく、背の高い建物が出来ているのは浅草はじめ隅田川周辺どこも一緒ですので、そんな場所が仮に今年見つかったとしても、来年も見えるか、という誰にもわかりません。つーか、私は知りませんし。といって、朝の5時から隅田川ぞいの公園や、浅草の裏路地にブルーシートを敷いて場所取りをして、暑い中ずっと水分補給しながらスマホを眺めて時間潰しして花火を待つ、なんて人も結構多いので、まぁ、そんなに都合のいい話なんて、ビジネスに王道なしと同じく、そうそうない、のです(キッパリ)。
といって、近所に住んでいる私たちも、そんな一日を家で優雅に、ゆったりと見られるわけでもないんですよ。花火が始まれば風向きによっては火の粉が屋根に落ちてくることもあるし、そんな日は花火の煙で見えづらいので、もうその日の見ごたえは運任せ、しかも、それだけ近いところに住んでいれば自宅の周りは「危ないので」立ち入り禁止地域ですから午後4時半以降はバリケードが立って住人とそのゲストだけしか中には入れませんので、「お腹が空いたし、冷蔵庫も空だから、◯ーバーイーツやなんちゃらピッツァで持ってきてもらおう」なんてことはまず不可能。朝から大量の食材と(当然お酒と)買い込んで深夜までの籠城のための兵糧の調達の搬入、間違って知り合いとかお得意さんのお客さんなんか呼ぼうものなら、大晦日の大掃除をクソ暑い中やらねばならないから、ゴミ置き場には普段の数倍のゴミが持ち込まれるのでどこにゴミを置いておこうか悩ましいくらい。当然、夕方の明るい時間からバリケードの外に行けませんから、出来ることなんて飲んで食べるだけ。しかも、花火が終わっても駅周辺の大混雑は毎度のことですから、毎年来ていたようなお客人は慣れたもので、今、駅に行っても無理だから、とひたすら飲み続けますので、在庫の酒は全部飲みきり、そんな頃には大酔っぱらいですから酒の味なんてわからない状態なのに、隠していた大事な美味しいお酒まで水のように飲まれる、そして、翌朝の朝食は、前日の残りものの食べきれずに冷めたピッツァと人気のなかった茄子のおひたし、外に出てみたら風の都合で花火の燃え滓と、どういう訳かそんな危険地域に入り込んで花火を見に来たマナーの悪い人たちの置いていったマナーの悪いゴミが落ちているのでお片付けせねば、なんてなるわけですから、地元に住んでいて家で見られていいよねー、なんて羨望なんて意味がわかりません。
とはいえ、今年も花火自体は良かったですねぇ。およそ20,000発が使われると言われる隅田川花火大会ですが、テレビで放映されるのは上流の桜橋の近くで行われる、花火屋さんのコンテスト。まぁ、創意工夫の施された作品がいくつもいくつも打ち上げられていくので、見ていて楽しいでしょう。でも、個人的に好きなのは、第二会場の1時間一本勝負の花火ショーのような構成です。ま、こちらの方が見やすいから、というのもあるのですが、20,000発のうち半数以上が注ぎ込まれて、午後7時半、とやっと暗くなった時間から徐々に色々な音と光を見せる花火を使ってこ気味よいリズムで盛り上げていき、最後の10分に、これまでの花火の打ち上げを凝縮したような、これでもかという、光と音とで圧倒するようなクライマックスでエンディング、という、ストーリー性のある展開に毎年、これだよ、これこれ、と思って自宅のベランダから見上げているのです。花火ですから、光と音、といってもパターンに限りがありますが、それを巧みに組み合わせて強いインパクトのあるストーリーを作る、というのは本当に職人技のなせるところ、なのだと思います。
じゃあ、って、まぁ、いつものこじ付け、ですが、ファンド運営でも、やっぱりストーリーではないですが、仕事のフローというかプロセスの構成力とその管理能力が、その運営上の効率や正確性、柔軟な対応力などにも大きく影響がある、といったらどうでしょう。
ファンドの運営はプロセス管理が命
特にプライベート資産に投資するファンドでは、その取引の個別性が高いためどうしても投資するためのプロセスは確かにいつも同じではないので、過去の経験でいかに案件をクローズしてその後のモニタリングなどのフェーズに移行できるか、がファンド投資の巧拙を左右する、というように思えてきますよね。他方で、日々の事務管理から超めんどくさくて悪口しか言いたくならないような監査対応まで、言ってしまえば、「枯れた」プロセスなのだから、いつの時代もどこに行っても変わらないのだからできて当然、ミスするってただの下手なの?どういうこと?くらいに、高学歴で頭でっかちの妄想癖で、そのくせ自分で経費精算の手続きができないのに、こんなことをするのは俺の時間の無駄だから、と生きていくのに必要なスキルがないことを隠すように人に押し付けるようなタイプの誰かさん(よくいますよねぇ、特に投資サイドに移ったばかりで、投資対象の目利きがファンドで一番、とかイキっている奴あたりは。あ、誰が、って念頭に置いた人間はいませんからね。でも、これ自分だなー、と思ったら反省してくださいね。)、あたりは思うでしょう。一言、言わせてください。こほん。
バカなの?何も分かってねーなー、どこかで勉強したんだろ〜よ。
投資のプロセスも、事務のプロセスも、ファンド運営で等しく求められるのは、「プロセス管理スキル」です。それがたまたま「資産取得」だったり「資産売却」で大きな金額が動くのか、はたまた、「費用支払い」とか「投資家様に対する財務報告」とかの地味であまり目立たない、かもしれないけどむちゃくちゃ大事な作業か、であっても、ファンドが経済行為を行い、その関係者に対して働きかけを行う、という意味では動く桁が違うかもしれませんが、何も違いはないのです。その意味では、お高く止まったそんな誰かさんに払う成功報酬を「キャリードインタレスト」と称して超過収益のキャピタルゲインのおこぼれを支払うのも、銀行手数料を払うのも、根源的な「ビークルの事務」という意味では何の違いもない、のです。もしそんな超過収益をその彼だか彼女だかが作り出せて、その後に個人の税務申告で 税務当局との楽しい会話でhappy painを味わえれば、の話ですが。>な、そういうイキった輩ども(あ、大事なことなのでもう一回言いますが、誰が、って念頭に置いた人間はいませんからね。でも、これ自分だなー、と思ったら反省してくださいね。)
プロセス管理の基礎
さて、その「プロセス管理スキル」ですが、以前、白クマちゃんのホットケーキの回でも触れていますが、基本的には次の項目の積み上げであり、それぞれを遂行する能力の掛け算がスキルの総合力の高さにつながります。
プロセス遂行のために必要なタスクへの細分化と、その(並列処理も含めた)適切な順序
それぞれのタスク完了に必要となる情報と時間の割り出し
それぞれのタスクに関係する関係者とのコミュニケーション能力
タスク間の情報の受け渡し方法
これが正しくできたなら、まずこのプロセスはどれくらいの時間が掛かることがある程度予想が出来るので、今から始めればいつ頃に終わるので自分の休暇の予定が立てられるか、もしくは、締切から逆算することで、今からならあまり関係者を急かさずにできるのでプロセスの当初くらいは穏やかに関係者と準備の調整ができるかな、とか、色々と考える余裕すら作ることができるのです。
よくある話ですが、ファンドで〇〇したいのだけど、ざっくり(でも、「ドタカン」で、とか色々な言い方ですが、要は、本人たちはその場ではそうは言わないものの、後々お前これくらいで、って言ったじゃないか、と責任を負わせるために聞き出そうとする言い方で)どれくらいかかる?という質問をする偉い人、会社の中なら某社長だったり、外だったらプロジェクトを通じでお仕事をくれそうなクライアントだったり、がいます。ぶっちゃけ、これってモラハラですが、とはいえこの質問に対して、上記のようなタスクの細分化と、それぞれのタスクに掛かる時間の(当然にコンサバで妥当な)目測、あとは不測の事態に対するリスクバッファーのための時間(例えば、ちょうどお盆や夏休み、クリスマスから年末年始に、そんな質問者だけでなく、自分や関係者も適切な長期休暇を取れるようにする時間)を乗せて(かつ、質問者の期待値とリクエストしたタスクの難易度を適当にコントロールするように)答えて、当然その期限より早く終わらせるのが、 #カリスマファンドアドミ や #史上最強のコントローラー の能力の一つ、ともいえます。
案外見落とされる話ですが、それぞれのタスクに必要な関係者を見誤って、もし入れ忘れていると、後から「なんでこの問題を先に潰さなかったの?」と、そんな偉そうな奴に偉そうに言われる羽目になるのはマジで腹が立つし、逆に関係のない人間を入れてみたら余計なことを言われて混乱するので、必要不可欠な関係者を炙り出すのは絶対にせねばならないのです。
また、あなたにとって大事なプロジェクトであっても、みんながみんな、あなたと同じくらいの熱量や重要性を持っているわけではありません。としたら、縁側に座って「おい、あれ」でお茶が出るなんてことを期待せずに、「これを渡すので、これをベースで、何をどのような形で、いつまでに、どのフォーマットで」デリバリーしてね、と明確にお願いしないと、「あなたが毎日おやつの時間に縁側で楽しむ、ちょっと熱めの緑茶にと〇やの羊羹一切れ」がスケジュール通りには出てこないのです。
かくいう私の最近の反省
さて、ちなみに、弊社で最近ちょっとこれをとあるプロセスでやってみて、と頼んだことがありました。今はいい時代ですね。プロセス管理のソフトウェアがあるので、そこにこのプロセスをタスクに分解して入れてみて、と指示してみたのです。
うちのスタッフのネガティブな話をブログなどの形でいうのは〇〇ハラ、と揶揄されそうなので気をつけねばならないのですが、プロセス管理ソフトの上には、「ざっくりと」細切れにされたタスクがいくつか出来ていたのですが、ざっくり過ぎてもっと細分化が出来る程度に粗かったり、ざっくり切ったせいでタスク間のオーバーラップや抜け落ちたタスクがあったり、さらには、これは確かにこのタスクを遂行する際に行うことだけれども、このプロセスには無関係なタスクが入っている、など、要は、このプロセスの細部に対するこのスタッフの認識度合いというのが可視化出来てしまったのです。
まぁ、これはまさに、私が縁側に座って「おい、あれ」と言ったので「ちょっと熱めの緑茶に〇らやの羊羹一切れ」ではなく「昨日食べて美味しかったけどちょっとクリームとスポンジの味に不満の残る苺のショートケーキに、これを飲んだら夜寝られなくなりそうなエスプレッソをダブル」で持ってきたようなものです。その意味では私が反省すべきところなので、責任をもって出されたものをおいしく頂く #でぶ先輩 のような巨大な胃袋くらいの寛容さが必要ですが、もう一つの学びとして、このプロセス管理の話は実はプログラム開発と似た話でもあって、人が異なるとその人の思考パターンに依存したプログラムのソースコードになるので、後から別の人がソースコードを読んでも理解するのに時間がかかる、という問題と同じことがある、ということです。よく、仕事でExcelを使うから、といってマクロまで書かれたら、後から来る人がついていけない可能性があるからやめなさい、という、あの原因です。
昔も今も、職場では引き継ぎのことも考えて仕事のマニュアルを書きましょう、とか、最近では文字やスクリーンショットを貼り込んでマニュアルを作っても、作る努力ほど見ないよね、ということで、手軽にスクリーンを動画で撮って、それをマニュアルにしましょう、というアプローチなど出てきています。実際、このブログを書くのも随分と久しぶりですが、動画で喋って一発撮りしている(ええ、実は私の夜の独り言は一発撮りなのです。一発撮りで30分近く話し続けるって、ちょっとした能力、と思ってほしいところですが、世の中の評価はそうじゃないですよね?)方がタイプしながら面白いことを思いついて書いては、いや、これはこうじゃない、と推敲を重ねるよりも全然早いですし、情報としても文章を読むより動画を見る方がより受け入れやすいのは、日経ウェブの記事を読んでいても疲れるなぁ、とふとYouTubeやInstagramを立ち上げて、目に入ってきた可愛く転がっているネコの動画を見つけてshortをダラダラと見始めたら、ついつい3時間経っていた、という普段の怠惰な生活ですでに体験されている通りだと思います。実際、これを書いている最中、何度「ヤッホー、ハーレム、 #KTです。」という最近売り出し中のFJDラッパーのバースに現実逃避したことやら。。。
閑話休題: ファンド運営の目指すべき形って?
ホットケーキとコーヒーの問題の時に触れたように、プロセスを適切なステップワイズにタスク化するのも大事ですが、一歩踏み込んで、その進捗管理を可視化・共有化するというのは、普段の事務から社運を賭けた大プロジェクトまで、ファンド運営から会社運営まで共通して必要であるわけですが、ということは、タスクの積み上げで遂行していくプロセスが第三者にも理解できるように説明できるようにもしていかないと、プロセスの再現性や可搬性、要はファンド運営であれ、会社運営であれ、いかなるプロセスにおけるリスクを含めた管理体制も向上しないし、常に例外対応という名前の新しいことをし続けることになるので、日々の仕事が常に車輪の再発明(もしくは記憶障害で見るものすべてが新しいものだらけ)、という過去の資産を活用できず無駄しか起こしていないことになるのです。
それって、要はそれが出来ないと、常に大きな山を狙う一発屋で終わるということですよねぇ。ビジネスとは、収益性が維持される一定の期間において、そこから収益を繰り返し上げるもの、ですので、このようなプロセスの再現性が重要になるになる、ってどこかのMBAあたりの教科書に書いてあるはずですよね?MBAなんて高尚なところ行ったことないので読んだこともないのですが。。。
といって、過去の遺産に座り続けられるほど21世紀は穏やかではなく
ただし、です。もし、ビジネスが同じプロセスを同じように繰り返し回すだけのものだとしたら、私の大好きなビジネスモデルである、マク〇ナルドじゃないか、と前述の「高学歴で頭でっかちの妄想癖」あたりが出てきてしたり顔をしそうですね。
ここで、事務屋、というプロセス管理のプロな私が語りますよ。ファンドの世界では日々同じことを繰り返すことが大事な場合も(特に日次で純資産価額を算出しなければいけない、世の公募投資信託のようなケースも)ありますが、そんな日々を繰り返すことほど、プロセスの改善は必要です。考えてみてください。もし毎日繰り返すとあるルーティンが30分かかるのを 20分に縮めるように改善したら、年間250営業日としたら、年間で 250 x 10 = 2500分、ということは、41時間10分、1日8時間勤務としたらざっくり5営業日分改善できたことになります。ちょうど労働基準法で最低でも会社は5営業日はお休みを付与して強制的にでも休ませねばいけないことになっていますから、この1日10分の作業時間を縮める改善は労使関係にすら福音をもたらすかもしれないのです。
じゃあ、その10分ってどこから捻り出すの?一つ、最近あった興味深い話をご紹介します。この間、とある運用会社さんが、その会社の通知文に代表者の電子署名をつけた文書を、その顧客全員に対して世界で最も利用されていると思われる電子署名のプラットフォームから一斉に送信する、ということをしていました。電子署名のプラットフォームなので、プラットフォームを作った人たちは、複数社の、ある意味限定された数のメールアドレスにのみメールを送ればいい、と利用方法を想定していたように思います。ですが、まさか、こんな形でそこそこグローバルに展開する運用会社からの通知文書、なので、送付先もそこそこ多かったはずなので、大量のメールが、しかも、そのプラットフォーム上で誰が読んだかどうかすら把握することができ、必要に応じてフォローアップを入れられる形で送られるなんて思いもつかなかったと思います。開封履歴が分かるなんて、ある意味メーリングリストの管理システムかCRMでしか出来なかった機能ですからね。。こんなプラットフォームの柔軟な利用方法は顧客とのコミュニケーションのプロセスをそれなりに大きく変えた可能性はあるでしょう。
まぁ、その柔軟さで、ちょうど書いている今日、フィッシング詐欺のメールが飛んできた、というとんでもない話もあるので注意も必要ですが(苦笑)
また、最近のAIの発展が実は、基礎研究的には既に80年代くらいには終わっていたものの、PCのマシンパワーの向上が追いついたことで、やっとそこで期待された力技での計算(言い換えると、手当たり次第計算しまくる)を可能にした、という話があるように、日々色々なものがコンピュータの機能の進化の結果として実現されたり、生まれて来ています。また、以前私の個人的なブログで紹介したことのある、クラウドサービスをつなぐノーコード・プログラムのプラットフォームでも最近は、クラウドサービスからのアウトプットをみんな大好きなChatGPT4に繋いで仕事をさせて、そのアウトプットを有効活用する、という、PythonとAPIの使い方を知らなくても、また、チャットを使わなくても、ChatGPT4をエンジンにした柔軟な利用方法も今後たくさん広がっていくようです。としたら、プロセスの改善と高度化、というのは世界が常に変わるように、色々な方法で生み出していくことが可能なのです。
まとめ:ほら、江戸の花火とプロセス管理はこうやってつながったw
江戸の頃から、花火というテーマは何も変わっていません。江戸の頃は、夕方に隅田川にかかる唯一の橋であった両国橋のたもとで、毎日夕涼みのために、ゆっくりと数発上げられていたに過ぎません。でも今や、一晩に100万人を超えるひとを集めて、20,000発を打ち上げ、その打ち上げ技術も年々進化しているので、打ち上げている1時間の盛り上げ方も当然に進化しているのです。残念ながら立入禁止区域に毎年いるのでその外の変化(と見るための努力)を知ることはできませんが、見るための環境というのは高い建物すら増えているので改善はされない一方で、だからこそ花火の日の雰囲気を楽しむ方法は多種多彩になっているでしょう。
としたら、よほどのことがなければ立入禁止区域なんてないビジネスの領域で、プロセス改善を止める理由はないですよね?むしろ高く打ち上げてみてもいいんじゃないですか?あとはその結果を眺めて楽しめばいいのですから。ということで、一緒に打ち上げる人、募集中です(これ、今回の記事で一番大事なメッセージです!)
お後がよろしいようで。