アドミ仕事は見た目の通りの事務屋だからその仕事の深さも自明の理?
私の住む浅草も、桃の節句が過ぎる頃には桃の花が咲き綻び、なんてことはなく、いろいろな花に囲まれてはいるものの残念ながら桃の木はどうも見つかりませんでした。でも、我が家でお願いしている宅配野菜にこっそり入ってきた桃の枝にお水をあげていたら、こんな花が咲きました。あまり花が咲かないので雰囲気だけ楽しんでくださいね、なんてディスクレイマー、いや断り書きがあったのですが、運が良かったのやら。
梅もも桜、というけれど
さて、前回の記事で梅の花のことを書きましたが、考えてみると梅の名所というと天神様と相場が決まっておりまして、浅草周辺といえば、藤でも有名な亀戸天神と共によく知られたのが、この時期の受験生のメッカでもある湯島天神さん。とはいえ、ここはお隣の区ですので、我が台東区を出ないで他に梅の名所を、と思ったら、湯島に程近い上野公園があったではないですか。と思って、この間仕事で随分と遅くまでオフィスに缶詰にされた後に、この記事のネタにすべく、確かこのあたりに梅の木がそこそこあったはず、なんて上野公園を歩いてみたら、もうお花見のために立ち止まってゴザ敷いて場所取りやって酒飲んで、ってことをさせないための遊歩道の準備が着々と進んでいるのは見られたのですが、夜目が効かないからか、それとも、全部サクラに植え替えられたのか、あったはずの清水観音堂の周辺で見られることがなく、梅園稲荷もなんとなく、なので、写真に留めることなく終わってしまいました。
上野の山には知らない想い出がいっぱい
で、なぜそんなことを思い出したか、と言いますと、我が母校たる東京都立上野高校という学校が動物園の、今のゴリラの森の壁の向こうにありまして、ぴちぴちの高校生の時分にはよく上野公園を通りましたものですから、随分と公園の中も整備されたこともありますが、昔見た風景を思い出した訳ですが、まぁ、ここは旧制中学でも二番目に作られた、今でいう日比谷高校の次の学校なんて輝かしい歴史はあるのですが、私がいたことはまぁ。。。勉強以外が楽しい学校でしたので、なかなか今も過去の栄光なんてのが遠い昔みたいなところのようでして、とはいえ、案外著名な先輩方というのもいるのが古い学校のいいところでもあり、例えば、かの北野武監督、というかビートたけしのお兄さんの北野大さんなんかがパッと出るものの、他にもWikipediaなんて覗くと色々最近の人とかもいらっしゃるのですが残念ながら私の名前は載ってません。とはいえ、その著名な卒業生の中で、私が高校を無事卒業して、そのあとの大学ってところで算数なんてやっていたものですからその研究室に入った時に、出身高校の話になった時に担当教官から「矢野健太郎先生の後輩か」と言われたのです。とはいえ、勉強せずにテニスばかりやっていた私からして、「矢野先生?そんな数学科の先生いなかったなぁ」という感じなのですが、実はこの矢野健太郎先生、旧制中学の頃のご卒業の方ですからまぁ、当然縁がないはずなのですが、「解法のテクニック」というお世話になったはずの有名な受験参考書の著者でかつ、入った研究室の専攻分野である幾何学の日本の大家で、アインシュタインと仕事をしたことのある数少ない日本人、というその筋では超有名人でしたから、まぁ、雲の上どころか成層圏のはるか上の存在な方、なのですから、まぁ、「矢野先生?」って感じです。
数学者以外の憂鬱
で、今更ながら、たまたま矢野先生のいわゆる、世の中の皆さんに数学ってものを身近に感じてもらうということで書かれた「すばらしい数学者たち」という1981年に刊行された文庫本を手にする機会があって読んだのですが、個人的にはサイエンスライターになりたかった私的にはよく書けている本だよなぁ、と思うような軽快な文章と、それぞれの数学者の特徴を捉えたお仕事とかエピソードがたくさんあって楽しいのですが、多分算数嫌い、数学アレルギー、理系の7割の人たちからしても、ただの奇人のカタログと意味不明の数学の問題が並んでいるようにしか見えないんだろうなぁ、と思ったのです。
というのも、数学者のいいところであり、その他の人たちにとって悪いところなのは、「これは自明の理である」と言って解き方の一部が省略されてしまうこと、なのです。これのおかげでか、数学の問題がわからなくて、その答えを見て理解してみようとしたら、解説のない別の問題を解く羽目になった、と思ったあなたは多分数学が嫌いですよね(笑)まぁ、問題を解くのに明らかにわかるというのは飛ばしたいのは人の常、省エネ時代にフィットした省ページなのです。いわば、わかるあなたと私はお友達、同類、仲間、ご近所さん、ってあれです。とはいえ、それがわからないとまぁ、解きたくなりますよね。文庫本の問題なのに思わず解いちゃいましたが、多分そんな私なので研究室の別名、幾人会に学生時代は所属できたのかも知れません。
見た目地味なお仕事、ファンド事務
さて、見た目でパッと、ああ、そうだよね、そんなもんだよね、超楽ー、と、手を動かすことなく頭でっかちに判断しちゃうものは仕事の世界でもそこそこあるわけでして、前回からやるぞ、と打ち出した #カリスマファンドアドミまたは史上最強のコントローラー の世界というのも、ぱっと見はただの事務屋でしょ?事務屋が何を偉そうに書いてるんだよ、と、書いた私が地味で引きこもりだったお陰でSNS上での炎上こそしなかったものの、そんな微妙な反応に、だよねぇ、事務屋、だから地味で基礎的で誰でもできそうな仕事が多くて、家に帰れなくて、でも給料安くて、っていうイメージなんだろうな、という民意を受け止めました。ええ、喧嘩上等、この仕事、ファンドの運用と負けじ劣らない知識と経験と能力とが問われる、ヒップでクールなビジネスだってことをこれから始める養成講座で証明していきましょう。
ということで、まず、こんなプレゼン資料をご用意しました。私の個人的なブログを読んでくださっている方にはお馴染みのフォーマットですね。プレゼン資料で話の大筋はわかる、でも細かい話は記事を辛抱強く読まないとわからない仕掛けです。え?知らない?じゃあ、まずは拙著のブログを一通り読んできてから戻って。。。あ、#みやたべろぐ からクレジットカードの正しい使い方、年金入門、そしてファンドのイロハについて、など総勢450を超える記事数でしたので全部読むと大変なことになりますから、まずはこちらから。。。
ファンドはお金を取り扱う。まず基本
さて、ファンドって煎じ詰めてしまえば、あちこちの投資家さんのお金を集めて、投資先にお金を投じては投資した資金を(運が良ければ色を付けて)回収して、投資家さんに返しつつその手間賃とも言える運用報酬や成功報酬、ファンドが公明正大に運営されるための運営費用などを関係各社に支払っていく、そういう資金の流れを作るものですよね。となると、お金の動きを管理する、いわば、受け取って無くならないように見守っては支払う、の繰り返しをしつつ、投資した資産も同じようにお金の代わりに受け取っては無くならないように見守っては受け取るお金の代わりに受け渡す、のです。その意味では、まずは、お金とモノの流れを管理するお仕事、なのです。
お金やモノを動かすって簡単?
ん?お金なんて銀行口座や証券口座を開けて置けばあとはオンラインであれしたらあれするから全然余裕じゃん、なにを偉そうに、と思ったあなた、個人のお財布でなら当然そうなりますが、個人と一緒にせんといて、と強く言いたい。OPM、other persons money、要は人様のお金を預かるって「善良な管理者の注意義務」、という自分の資産以上に要求の高いプロとしての責任に基づいて管理する義務を負っています。あ、今日の生活費がちょっと足りないからちょっと数日の間ここのファンドの口座からお金を拝借、あとでちゃんと返すからいいじゃん、なんて、子供のお年玉を、ちゃんと大人になったら全額渡すから、といって子供から預かっては生活費に回す親と一緒で、まず「ダメ、絶対」です。
それに、お金を送金する、と言っても、Pa○p○yのQRコードで飲み会の割り勘ができるくらいだから送金なんて秒でできるよ、って思われていますが、海外送金については今話題のSWIFTを利用して送金指図を行うことになりますが、実際のところ、その仕組みとSWIFTで使われているメッセージの意味するところというのを銀行員ですら全員、正確に理解できる訳ではないのです。それをしてSWIFTには闇がある、なんていう人もいるのですが、ちゃんと仕組みさえわかれば大丈夫、ということで、拙著「SWIFTの闇」ってほんと? – お金が国境を越える仕組みを改めて考える が、なぜか今、「SWIFT 闇」で検索すると最初にヒットしますのでぜひこちらをご覧ください。とはいえ、じゃあ、中央銀行を軸にしてSWIFTのインフラを使った送金インフラが高くつくし面倒だから、decentralise されたfinance、DeFiな暗号資産で送金したらコストも下がるんじゃないの?と思われがちですが、為替の変動リスク以上の価格リスクを負うことや「送金 = 為替」としての信頼性に対する利用者の理解を踏まえて、ファンドの参加者全員が暗号通貨を利用して送金することで、(最近のアンチマネーロンダリングのための手続の面倒さがあるのはどのルートであっても同じではあるものの)1回の送金で10,000円近く、と安くはない手数料がかかるものの為替リスクなく、信頼性について「枯れた」技術を使った海外送金の代わりにする経済的合理性と本来の投資を行うこととの本質と折り合いがつくのか、という案外重くて根本的な問題が待っているのです。
証券決済、実は見た目ほど楽ではなく
個人で証券を取引するのに証券口座を開けて、そこで証券を保有し、その証券さんを通じて取引所での売買をお願いする、ってしますが、ファンドで証券を売買する時には、特定のブローカーさんに売買を集中させないようにする、という投資運用業としてのルールなんてものがありまして、言い換えると、証券を保有する口座を管理するカストディと、売買執行を行うブローカーとで役割が異なります。とすると、ブローカーさんを通じて取引が成立したら、その取引情報に基づいて、自分で証券と資金の出し入れの指示をカストディに指示することになります。これがもしヘッジファンドのようにプライムブローカーさんを使うことになると、さらに何を誰にどう指図するのかややこしいことになります。そして、その裏側では、ブローカーをつなぐ取引所で証券取引が成立するように、カストディをつなぐ証券集中保管機関で証券とお金の決済が成立する、のです。
まぁ、上場株や債券の世界はそれでも取引所からブローカー、カストディにプライムブローカーまで、電子的に繋いで情報をやり取りする手続きやフォーマットが整っているからまだいい方です(でも発注から決済まで、スケジュール管理をしなければいけませんから、やることはひたすら続きます)。未上場株式の取引だとどうなるでしょう。当然、証券集中保管機関なんてものは存在しませんし、取引所がその売買の間を取り持ってくれるなんてありません。ということは、そこで管理してくれる「証券の所有者」は誰かが管理していているし、売買契約はオンラインで指値して放置なんてあり得ず、契約書を一から作って受け渡しの条件から、本当にそれを持っていて受け渡すことに法的にも関係者的にも問題がないことまで、いちいち確認することになり、契約も締結して受け渡したら、その所有者を管理する「株主名簿管理者」なり、不動産なら法務局の登記変更をする、など取引インフラがない分自分達、要は業務担当者がその権利を保全すべく一つ一つの手続きを間違いなく執行することになるのです。
お金もモノも、そこにそのままあるわけではなく
さて、どうもお金もモノも動かすことが比較的関心を持って見られることが多いのですが、そこにあることが確認できるようにすること、そして確認したらそれがあること、も大事です。これ、自分で動かさなければ増えることも当然のことながら、減ることなんて有り得ない、と頭で考える人たちは考えがちです。いわゆる局所的な、もしくは物事が差分の積み上げだけで出来ているという考え方です。確かに数学の世界のように、摩擦係数もなければ関係当事者以外の重力の影響もない二人だけの世界、みたいにあり得ないくらい完璧な世界ならばいいのですが、銀行ならば利息やネガティヴ金利のチャージがあれば、送金手数料や監査のための口座残高証明書発行手数料のようなものが常に発生し、株式なら株式分割や併合で保有株式数は変動し、種別株や転換社債は時と場合で普通株に化け、先物やオプションは限月落ちで影も形も消えて(マージン額が変動して)しまいます。これらはまだいい方です。ファンドの持ち分なら、そのファンドの管理が悪かったら、持分に関わる情報が自分達の認識と異なるなんて当然に起こり得ます。常に#カリスマファンドアドミや史上最強のコントローラー がそこにいるわけじゃないですからね。金融商品ならまだ数値だけ、とかデータで、って話ができますが、建物なら地震や災害などで跡形もなくなくなればいいものの、瓦礫が残ったらその廃棄処理の手配と保険対応、費用の支払いなどなどが待っています。船舶や飛行機、絵画あたりを保有しているなんて言ったら、今どこにあるか追跡しておかないと困りますよね。誰かが勝手に予定外の利用をしているなんて要は盗まれてるようなものじゃないですか。もちろん、銀行口座や証券口座、仮想通貨口座まで、セキュリティを掻い潜って第三者が入り込んで口座から資産を動かすことだってあり得ますから、この手の話は資産ごとにいい悪いという話ではなく、大事なことは、いまそこにあるものが必ずそのままである、とは限らない、という前提を置いてモノを管理する必要がある、と考える方が色々と都合がいい、ということなのです。
活動は記録する。健康のための運動も、もちろん経済も
さてさて、モノや金が動く、ならばそれを記録して、その結果ファンドがどういった状態にあるのか判るようにする必要があります。まぁ、世の中ではこれを「帳簿につける」と言って普通の企業だと経理のおb。。もとい、おg。。。いや、お兄さまお姉さまが、「これは経費でおちないわよぉ」なんて小言を言いながら領収書を睨みながら帳簿に何やら書き込んでいる、って風景を思い浮かべる方もいるとは思います。で、じゃあ彼女は何をしているか、と言えば、例えば銀行口座の出入りに合わせて、なぜ銀行口座が増えたのか(大抵の場合は、企業さんなら、売掛金の入金があったのか、補助金が払い込まれたのか、役員のために入っていた保険金が入ったのか)減ったのか(同じように、仕入れのための買掛金の支払いなのか、はたまた、社長の持ち込んだ謎な請求書なのか)、と同時に、売上が上がった時に請求書を発行すれば売掛金を立てるし、業務委託契約に基づく報酬の請求書がくれば経費処理を立てるし、給与支払い関係の結構面倒な処理を毎月こなし、役職員から預かった源泉徴収は納付する、儲かっていれば法人税の支払いもする、などなど、銀行口座が動く時にはそれなりの理由がないと帳簿につけられない、のです。
これはファンドだって同じです。他人様のお金を預かる以上、お金が出て資産を保有し、お金が入る代わりに資産を手放す、のように投資行為と表裏一体となって動くこともあれば、費用等の支払いのように契約に基づく役務対価として支払う、もしくは受け取る、というようにファンドの存在意義とも言える投資行為に紐づいた経済的な行為を記録する、という意味で帳簿を記録し、その積み上げが財務諸表というファンドを評価する成績表と言えるものが出来上がるのです。とすると、その記録の仕方、積み上げ方に一定のルールを持って行わないとその形が崩れてしまう可能性があります。例えば、資産を保有するのは、契約締結した日なのか資金決済をした日なのか、によって、その年度で取得したのか次の年度で取得したのか、という取り扱いが変わる可能性があり、資産として計上するのは資金決済した金額なのか、その取引に付随した費用等も加えていいのか、によって、資産売却時のリターンが微妙に変わってきます。同じ議論で支払った費用は一括計上か、それとも費用の支出に対応した期間按分するか、それとも設立コストだからと5年間かけて償却したか、という選択肢を自由に都合よく選べたらその年度の費用計上が恣意的にされる可能性がありますよね。さらに言えば保有する資産を期末に値洗いするのか、取得価格のままにするのか、という評価方法も考慮する必要があります。これらの経理処理のルールを会計基準と呼んでいて、まぁ、よく JだとかUSだとか呼んでいるのがGAAP – Generally Accepted Accounting Principle 一般的に公正妥当と受け入れられている会計基準、であったりアイファスとかイファースと呼ばれるのは IFRS – International Financial Reporting Standard – 国際会計報告基準と呼ばれる会計ルールなのです。
記録の仕方や手続き、本当に大丈夫?
さて、事務 = 会計・経理、と考えられてしまうのが、この辺りの作業がメインに見えるから、なのですが、ちょっと待ってください。経理処理をするには、その裏付けとなる契約が必ず存在することになります。資産取得や売却するような「重要な判断」をするならば、ファンドはそれなりの権限を持った人が判断するプロセスを経ないと問題がありそうですね。他方で、費用を支払う、と言ったときに、じゃあ、簡単な話だから、何の裏付けもなく支払って良いわけは当然なく、経理部のおgもしくはおbが「これは経費で落ちません」というようにファンドの運用に関係のないものは当然払ってはいけない、のです。ということは、経理処理をする、のはその裏付けも正しく残し、年に一回受ける会計監査の時をはじめとする、投資家に対する詳細な説明に耐えられる判断プロセスと行動、そしてその一連の記録が必須であり、その際の記録、は一目見れば全てがわかるようにも思われがちな、経理処理やその結果としての財務書類を監査しただけでは足りない、のです。ほら、望遠鏡で覗き込んでいるようですよね。。
ということで、#カリスマファンドアドミまたは史上最強のコントローラー の仕事、というのは、この一連のプロセスの構築を行い、そのプロセスを日々回し、改善し続けること、なのです。
まとめ
ということで、お金周りのファンドアドミやコントローラーの仕事を垣間見た、のですが、まぁ、地味、ですよねぇ。でも、これを支えるのに必要なスキルはそんなに単純ではなく、時々ある、会計バックグラウンドさえあればなんとかなる、という感じではない、というのが見えて頂けたなら、今回の授業の成果は既に出た、ということになります。次回は、これらをもう少し掘り込んでみますが、その頃には隅田公園で少しは桜が咲き始めているのか。個人的には人だかりの出来る、自己主張の強いサクラより静かに咲いている梅の方が地味で控えめな私の性格に近いし人もそう集まらずに大人しく眺めていられる、と思っていましたが最近では梅の良さが評価されたのか、天神様あたりには結構な人だかりが。ファンドアドミの商売も同じように評価されればいいのですが。
お後がよろしいようで。