鏡よ、鏡。
何かの本で、だったか、どこかのサイトでだったか、どなたかのブログだったか。
ずいぶんと昔のことで、おぼろげな、こんなかんじのことだったなぁという記憶。
それは、
鏡にうつる自分の目を見て、「私は大丈夫。」とか「今日もハッピーな1日だ!」とか、話しかけるといいよ。自分に暗示をかけるみたいに。
といった内容の文章だったと思う。
私はもともと、他人の目を見て話をするのがどちらかといえば苦手だ。
目を見ることを意識することが少ないし、相手の目を見ようと意識すると余計に見れない。つまり、私が意識する・しないと、私の行動の結果は一見まったく関係ない。
それでも長く生きてくると、人と視線を合わせて話している瞬間を意識することは何度かあって、それは「ちゃんと目を見て話すぞ!」と勇気を出しての結果だったこともあるし、たまたま視線が合って、逸らさずに話を続けられたということもあった。
実際に相手と目が合いながら話している時、もちろん恥ずかしい。でもぜんぜん嫌じゃない。むしろ、嬉しい。ちゃんと時間や会話や空間を共有できてるような満たされた気持ち。
数年前から、そう思うことが増えて来たな、と思う。
とはいえ、長年の苦手意識はなかなかしぶとくもあって。
冒頭に書いた「鏡にうつった自分の目を見て、暗示をかける」というのも、ぜんぜんできなかった。当時。
鏡越しで、まして他人じゃなくて自分自身なのに。目を見れない。なんで?だった。
自分と目を合わせられないことと、人と目を合わせられないことは、同じ…?
そんな疑問がね、数日前に突然ふっと湧いてきてもうずっと頭から離れないんです。
で。
まずね、自分と目を合わせていこう。と決めました。
鏡越しの前に、鏡と向き合う自分を自撮りしてみた。
鏡とスマホ、2段階を介してみると、なんか、今までよりも自分をちゃんと見れた。
気がした。
スマホ画面の自撮りの自分も、最初はぜんぜん自分じゃないみたいで受け付けなかった。
その次の日、まったくおんなじ環境でまた鏡とスマホ越しの自分を見ると、昨日より、私がうつってる気がした。画面の向こうの私を、好きかも、とちょっと思った。不思議な感覚。なんだこれ?昨日と何が違うのさ。
試しに、しばらく同じように鏡越しスマホ越しの自分を記録してみることにした。
自分の目を、見る。
これって案外、すごいことだぞ。
今は鏡越しのスマホ越しだけど。
鏡よ、鏡。は、私よ、私。だ。
そして、私よ、私。は、あなたよ、あなた。だ。
私は、私自身ともいろんな人ともモノとも、しっかりじっくり繋がりたいのだと思います。