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送料との戦い 敗れざる愚か者たち

人間とは「送料」に対して異様なほどの敵意を抱く生き物だ。これは心理学的に説明がつく。「損失回避の法則」によれば、人間は得をすることよりも損をすることを強く嫌う。送料は「余計な出費」として認識されやすく、たとえ実際には同じ額を支払っていても、それが送料だと不満が募るのだ。

例えば、友人Aがネットショップで靴下を購入したケース。値段は980円。しかし、送料が500円と書いてあるのを見た瞬間、彼は凍りつく。いや、ありえない。980円の靴下に500円の送料?お店で買えば無料なのに。ここでは、実店舗に買いに出かける交通費や時間のコストは計算外だ。

そのうち、彼の脳内で別の計算が始まる。「送料無料は1500円以上の購入で適用される」という条件を見つけた彼は、あと520円分の商品を追加すれば送料をゼロにできることに気づいた。これは「フレーミング効果」の影響だ。「送料として500円を払う」という選択肢と「商品代として520円を払う」という選択肢では、後者の方が「お得」と認識されるのだ。

彼はすぐに商品を探し始める。消しゴム?いらない。でも安い。ボールペン?もう10本ある。でも送料無料になるなら必要だ!
結果、彼は本来買うつもりのなかった文房具やお菓子を追加し、合計金額は1680円に。送料無料達成!見事に送料の呪縛から解放されたのだ!

しかし、支払う額は本来より700円も増えている。結果、彼は「送料500円を払うのは嫌なのに、余計なものに700円使うのは気にならない」という「認知的不協和」に直面することになる。送料を避けるという目的と、無駄な買い物を増やしてしまった現実の間で矛盾が生じているのに、それを正当化しようとしているのだ。

これは彼だけの話ではない。先日、友人Bが「送料無料にするためにタオルを10枚買った」と得意げに語っていた。タオル10枚!?彼女は美容院でも経営してるのか?
彼女もまた、「利用可能性ヒューリスティック」によって判断を誤っていたのだ。過去の送料無料経験が強く印象に残っており、「送料無料=お得」という単純なルールで意思決定をしてしまったのだ。

送料無料というワードが我々を支配するのはなぜなのか?送料は明確な金額として表示されるが、商品として買えば「何かを得た」という気持ちになるからだろうか。この心理は「授かり効果」によるものだ。人は一度手に入れたものを「自分のもの」として強く認識し、それを失うことに心理的な抵抗を感じる。そのため、追加で購入した商品を単なるコストではなく、価値のある所有物として受け入れてしまうのだ。

送料という見えない敵と戦いながら、不必要なものを増やしてしまう我々は何と愚かなのだろう。
それでも我々はまた、送料無料を求めて、無駄な買い物をする。なぜなら、送料を払うのは「負け」だからだ!

送料との戦い2  そこに真実はあるのか?|AiYo



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