(3)Creating Worlds for my Music to Exist: How Women Composers of Electroacoustic Music Make Place for their Voices by Andra McCartney

Wende Bartley

ウェンデ・バートレーは1978年からトロント大学で作曲を学んだ。そこでは器楽音楽しか手掛けなかった。

当時は電子音楽をやるなんてとんでもないと思っていた。周りの環境の問題でもあったけれど、私にとっては(作曲の)基本手法以外に電気とか別のパワーを使うなんてひどいことだと思っていた。とにかくテクノロジーを使わな いことを信仰していた。

しかし1980年にRoyal Conservatoryの電子音楽のコースを取ることになり、彼女はすぐ電子音楽を気に入るようになった。

以前の作品はひどく頭でっかちで、様々な数学的な形や関係性を使って譜面上で作曲したものだった。スタジオでは音とともに演奏して、演奏自体の結果で作品を進化させていくようになった。

面白いことに、この作品が最初のフェミニストとしての作品になった。タイトル はミ・ホモでこれは女性に反してという辞書から見つけた言葉だ。魔女狩り の裁判からの引用をたくさん使って、マラベル・モーガンのトータルウーマンと いう本からも引用した。この本はキリスト教原理主義者のグルーブの本で良き妻でいるためにはどうするべきかが書いてある。夫をいかに王様のように扱うか、全裸でセロファンだけ身に付けて玄関で夫を迎えるようにとすら提案している。

私にとってこの作品はとても感情的な作品となった。即興演奏による作曲の有機的なプロセスが、私にこの作品との強いむすびつきを感じさせた。この 体験でとても興奮して、電子音楽を続けられるようにマギル大学の作曲コースをとることを決心した。

マギル大学でウェンデは初期のデジタルシンセサイザーであるシンクラビエを使うようになった。当時コンピューターに関する経験はまったくなかった。

私はコンピューターについては何も知らなかった。ハードウェアとソフトウェアの違い、フロッピーディスクすら知らなかった。

私は11人の男性と教室にいて彼らは全員何が起こっているかよくわかっているようだった。対抗意識がうずまいていてーでも今思えばあの頃彼らだって そんなにコンピューターに詳しかったかどうか疑わしい。1982年でMIDIもパソコンもなかった。なんとか私はその環境を乗り越えて、シンクラビエの使い方を何時間もかけて学んだ。かなり使えるようになって、実はその頃CBCニュースにデモさえ送ったことがある。

この論文の冒頭でも触れた通り、ウェンデ自身、彼女の女性性に注目した活動が 賛否両論だということに気がついた。彼女は大学の外に出ることと、女の友人と交友を深めることで活動をつづけた。

マギル大学の2年目に別の女性がスタジオに入ってきた。クラスは違ったけれ どスタジオで話してお互いを知るようになった。ヘレン・ホール、今でも良い友達であり、同僚。サポートという意味でとても重要だった。別のサウンドレコー ディングのプログラムにいた女性とも仲良くなった。彼女はミキサーの使い方について教えてくれて、今もよい友人だ。すごく孤独感を感じずに済んだのはこういった友情があったからだ。彼女たちはそこに行って、苦しくなった時にクールダウンさせてくれるような場所を提供してくれた。

最初の1年はものすごく大変でひとつも作品を完成させられなかった。2年 目に最初の年に始めた作品を完成させて(ブロークンストランド)ライジングタイドオブジェネレーションズロストを作り始めた。これはミ・ホモに続く作品で、女性の声、文化的な女性の声の表現をするものだった。母音、子音、 音節のささやき声から始まって、小節や言葉や文章のささやきに移っていく。これをやった時とても良い評価を受けて、マギル大学の電子音楽部門エリックアワードを受賞した。

この作品の内容が気に入られたとは思えないが、テクニックが評価されたの かどうかはっきりとはわからない。マギル大学でシンクラビエの講習を依頼され たことがある。MIDIサンプラーが普及していなかったその頃ほとんどの人にとって初めてであったサンプリング素材の例をいくつか使用した。私が使った素材 は女性達の体験の挿話を語るもので、歴史の上での女性の体験、魔女狩りや婦人参政権などをいつくも引用したものだった。それでいくつかのサンプリングテクニックを素材を使ってやってみせてから作品の1章を流すということを した。そのことに対して何人かの同僚から強い反応を受けた。そのうちひとりはかなり取り乱して「なぜあなたが作るのはこういう作品でないとならないの?」と言ってきた。

私を支えてくれたのは友人たちとマギル大学を離れた外部の女性グループだった。このグループはあるテーマの研究をしていてそれは私に私が音楽で伝 えたいことをしっかりと根付かせてくれた。私は危険なことをやっていると感じていたけれど、その恐れを私の音楽表現の妨げには絶対にしないと思った。

マギル大学卒業後、ウェンデはトロントに戻り、自分の所有するヤマハDX7とローランドS550をマッキントッシュのソフトウェアで使用するようになった。彼女にとってこれ らの機材はシンクラビエほどは満足のいくものではなかった。

音はシンクラビエに劣るし、MIDIでの作業はシンクラビエでしていた時よりもっと楽器的に考える必要があった。もっとトラディショナルなやり方で考えないとならない。そ れにマルチテープレコーダーはもっていなかったしマギル大学に合ったような大きなミキサーもなかった。

そのすぐあとでウェンデはサイモンフレーサー大学のバリー・トルアックス教授のグラニュラーシンセシスについての講義を聴く機会があり、これを使わせてもらうよう手配した。

グラニュラーシンセシスはサンプラーでするように素材のスピードを変えられるだけでなく、引き伸ばすことができる。3-5秒のサンプル素材はピッチを変え ずに5分に伸ばすことができた。通常素材のスピードを落としたら音は低く聞こえる。しかしこのグラニュラーシンセシスはピッチをそのまま保つことができる。 あとは音を入れ替えることができる機能もあったが、それはオプションでテク ニックの本筋ではなかった。

この引き伸ばし機能を使って、元の素材を小さな時間の増幅にすることがで きる。小さな音の粒が作られる過程で、設定された秒数でもって周波数が倍増されていく。粒ごとの長さや粒と粒の間隔も設定することができ、 設定は最小から最大までリアルタイム に変更することができる。

素材に対する引き伸ばしの割合もリアルタイムで変えることができる。どうなるかというとすごく小さな調整がとても長いグリッサンドになったりする。それは 小さくわずかなニュアンスも表現し、ほとんど感じ取れないほど速く変換され る。これらのテクニックでニュアンスが聴こえるようになり、複雑な表情を作る。

ウェンデはマッキントッシュコンピューターの交流環境であるMAXを通してコンピュー ターミュージックとライブパフォーマンスの交流とtimbreをさらに発展させた。彼女は ヨーロッパ発祥の伝統的なルールを超えさせてくれる機材を使うことを好むという。

それこそがわたしの関心です、テクノロジーを使わなければ作れないサウンドを作ることが。

近年、Banff CentreとSimon Fraser Universityでの仕事を通して彼女はインタラクティブコンピューターシステムを使用し始めた。

従来のテクノロジーの信条としてはデバイスは常に確かで信頼できる素材し か読み取らなかった。これは多くの場合あいまいな情報を排除することになっ た。アーティストとしての表現とは往々にしてあいまいな瞬間の探索に頼る 必要がある。したがって、性能の良い機材で純粋に芸術としての演奏を作 り出そうとするところに常にジレンマが生じる。しかしながらこういった従来の body(あいまいなものを表現する芸術性)とtechnology(数値的) 解釈が他の可能性を遮断しなければならないという理由があるだろうか? もっと建設的に言えば、bodyの別方向の解釈は、機械と人間の関係性にどのような変化をもたらすだろうか。


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