(2)Creating Worlds for my Music to Exist: How Women Composers of Electroacoustic Music Make Place for their Voices by Andra McCartney

Elma Miller

エルマ・ミラーは1973-77年トロント大学で作曲と電子音楽をグスタブ・シアマガ氏のもとで学び始めた。
トロント大学で彼女が思い出すことといえば、かなりの数の女性ミュージシャンたちが子供を産むために大学をやめることに対して教授たちが不満を漏らしていたことだ。
エルマは特にデビッド・ミスカという学生の作品について語った。

私はデビッド・ミスカは本当に素晴らしい職人だと思った。彼が床に転がっ たリールでしたこと、それを録音して作品に使用したこと、素敵、本当に素 敵だった。わたしは何人かの学生たちは(彼のように)限界までテクノロジーを使いこなしていると感じた。

テクノロジーで自分が何をできるかを見つけられれば、スタジオ自体は大き
な問題ではない。何をできるかさえわかれば、機材の中で手を動かしてい
るのではなく、機材が自分の指先のように感じることができるだろう。
その感覚の中に、もう検証されているアイデアとかみんなに知られているア
イデアでなく、個人の作曲の信念を持っていかなければならない。そうすれ ば、空瓶だろうが、コンピューターだろうが、素材は問題にならない。そして テクノロジーは手の中の強力なツールとなる。

デビッド・ミスカは現在ウェスタン・オンタリオ大学で電子音楽を教えている。
エルマは学部賞を受賞し、それが海外留学を可能にした。彼女は1978年のスタンフォード大学のサマープログラムを選び、レランド・スミスとジョン・チャウニングのもとで学んだ。

何故だかわからないけれど私はコンピューターミュージックが好きで魅かれている。小さいポータブルシンセサイザーがこういったおかしな音を出せることを 知って凄いと思った。観客と私、私と演奏家の間のフィルターを取り除くことができ、全てを自分の手でコントロールできるということに大きな可能性を感じた。
ライブでは何が起こるかわからない、それも理由のひとつだ。私はアコースティックの作品にも電子音楽のアイデアを持ち込むことがある。この取り合わせ、ミックス感、音のみで作られる作品。

このコースには16人の学生がいて2人だけが女性だった。しかしエルマは性
差による大きな障害は感じなかった。

私が関わっていたのはとてもハイエンドな人たちで、エンジニアとか、科学 者、NASAから来た人たち、ロジャー・レイノルズやデビッド・コープ、彼らは問題がなかった。性差別のようなものは全く感じなかった。私が鈍感だったからかもしれないけれど例えば彼らはこういう冗談ー「ここにはあまりたくさんレディー達がいないようだね」「あら、私も”紳士”は何人いるかよくわからないわ」が通じる人たちだった。ユーモアがなくてはならないし、根性もいるし、感覚も鋭くなくてはね。
時には差別意識は女性側にもある。単に男性として扱わなければならない時もあるし、また頭が悪くて下らない存在とする時もあるし、平等に扱う時も ある。私自身、性差別する男性と全く同じになるのは簡単だと思う。

エルマはスタンフォードにいる間に作曲のスタイルが変わったことに気が付いた。音を 音符としてではなく色として捉えるようになった。

スタンフォード時代譜面上でのことは考えなかった。全ては音の流れで、音 色であり色彩であり、分、秒、が重要だった。カナダ人で似たようなことをしたのはハリー・ソマーズで、彼は作曲の下書きに色を使用した。それはわたしがスタンフォードでしたのと全く同じだったけれど誰にも言えなかった。私はクレヨンを使っていて、持ち運びに便利だったから、深夜とか午後の時間に作業した。

基本的にやっていたのは音を色で書き出すことで、木管楽器、金管楽器、 低い音色にそれぞれ決まった色を割り当てた。音を種類分けして、パレットの色を制限した。ちょうどオーケストレーションで楽器や声楽の種類と数を決 めてそれをもとに曲を作っていくのと同じように。それは文字通りカラーパレットのようなものだった。

エルマは”コンポーザーズインザスクール”プログラムに参加したことがある。ダンダスの高校へ行った時、とうとう誰かがやってきて彼女に話しかけるまで一人で座っていた「女性の作曲家なんて一度もきたことがなかったからどうすればいいかわからないんだよ。彼らはあなたがクラスを間違えているんじゃないかと思っているよ」
彼女は似たようなシチュエーションを女学校でも体験した。

女子大学であるアルマ大学で演奏したことがあるけれど、観客の中の年配の女性たちは実際少しばかり性差別者だった。すごい体験で驚いた。自分が堂々と作曲家と言えるかどうか、自分の曲が流れるまで苦しい時間があった。彼女たちはただただ私を(作曲家だと)信じていなかった。この体験は私が男性だけでなく、女性も性差別する世界にいるんだということに大きく気づかされた出来事だった。

エルマはまた、オーケルトラ曲を手がけた時も演奏家の中に敵意を感じることがあったが、これは彼女が女性だったからかどうかは明らかではない。

最初のオーケストラ作品を演奏することになった時、メンバーの中の16人が 作品をやりたがらなかったという体験で私は本当に鍛えられた。簡単ではな かった。でもどの演奏家に演奏してもらうにしても彼らは違和感を感じるだろうし、よろこんで演奏してもらえるとは思っていなかった。だから、これが私が女性だからかどうかなんて、どうしてわかるだろう?

さあ、でも私はやりきった。とにかく作品が物を言ってくれると信じて、その通りになった。もし作品自信が彼らの敵意とか厳しい視線に物を言わなかったらその時は私の作曲家人生の終わりだと思った。でも奇跡は起こると思っていた。

優秀であるためにはこういった体験を乗り越えなければならない、そうでなけ れば競争には参加できない。競争に参加するだけの能力は身に付けなけ ればならない。

エルマ・ミラーにとってオーケストラ音楽を続けることは重要である。なぜなら彼女の作曲家としてのアイデンティティはオーケストラ奏者として始まっているからだ。彼女はクラリネット奏者として音楽を始め、このことを電子音楽の面でも楽器音楽の面でも有利であると考えている。

オーケストラの楽器は全て学んだ。演奏したし、くまなく観察した。ピアノは私の中で一番の挑戦だった。でもほとんどの人にとって彼らの楽器こそがメインの楽器であり私はそれを少しもったいなく感じる。なぜなら楽器が彼らの可能性を制限するから。彼らがMIDIを好むはこれが理由だ。「すごい、オーケ ストラみたいだ」となって使いこなすようになる。でもそのできることがたくさんあることが問題で、基本に戻ることを忘れてしまう。そしてその基本こそが演奏の本質的な感受性である。
ゴミ箱にたくさんゴミが入っていたらどうなる?それがテクノロジーの問題。とにかくたくさん素材があるけれど、そのすべてがあ なたにバナナブレッドを(良い作品を)作ってくれるってわけじゃない。


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