Elma Miller
エルマ・ミラーは1973-77年トロント大学で作曲と電子音楽をグスタブ・シアマガ氏のもとで学び始めた。
トロント大学で彼女が思い出すことといえば、かなりの数の女性ミュージシャンたちが子供を産むために大学をやめることに対して教授たちが不満を漏らしていたことだ。
エルマは特にデビッド・ミスカという学生の作品について語った。
デビッド・ミスカは現在ウェスタン・オンタリオ大学で電子音楽を教えている。
エルマは学部賞を受賞し、それが海外留学を可能にした。彼女は1978年のスタンフォード大学のサマープログラムを選び、レランド・スミスとジョン・チャウニングのもとで学んだ。
このコースには16人の学生がいて2人だけが女性だった。しかしエルマは性
差による大きな障害は感じなかった。
エルマはスタンフォードにいる間に作曲のスタイルが変わったことに気が付いた。音を 音符としてではなく色として捉えるようになった。
エルマは”コンポーザーズインザスクール”プログラムに参加したことがある。ダンダスの高校へ行った時、とうとう誰かがやってきて彼女に話しかけるまで一人で座っていた「女性の作曲家なんて一度もきたことがなかったからどうすればいいかわからないんだよ。彼らはあなたがクラスを間違えているんじゃないかと思っているよ」
彼女は似たようなシチュエーションを女学校でも体験した。
エルマはまた、オーケルトラ曲を手がけた時も演奏家の中に敵意を感じることがあったが、これは彼女が女性だったからかどうかは明らかではない。
エルマ・ミラーにとってオーケストラ音楽を続けることは重要である。なぜなら彼女の作曲家としてのアイデンティティはオーケストラ奏者として始まっているからだ。彼女はクラリネット奏者として音楽を始め、このことを電子音楽の面でも楽器音楽の面でも有利であると考えている。