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奈良、大和郡山の遊郭
最近(といってももう少し前になるが)某アニメの影響で遊郭に注目が集まっています。私は某遊郭編は見ていませんが、遊郭について色々調べていると私のイメージより各所に遊郭はあり、しかも比較的最近まで現役だったことを知りました。
私が住む奈良県には3大遊郭と呼ばれた洞泉寺遊郭・東岡町遊郭・木辻遊郭があり、前2者は大和郡山、最後は奈良市に存在していました。1956年の売春防止法(売防法)により営業を終了しています。(東岡町遊郭はコッソリ営業していたようですが、警察の手入れで廃業したようです)
木辻遊郭はその痕跡をほぼ留めていませんが、大和郡山の2者は在りし日の姿を偲ぶことができます。今回はその2者を回ってきました。
洞泉寺遊郭
まず、洞泉寺遊郭を訪れました。こちらは売防法施行後は下宿に転業したとのことで、郡山高校の生徒などが多く入居していたようです。こちらは大和郡山市による整備保存なども行われているため、非常に良好な状態を見学することが可能です。
こちらは遊郭の名前となっている洞泉寺。大和郡山城主であった羽柴秀長(秀吉の弟)が守護神として源九郎を祀って創建されたお寺です。このすぐ隣には源九郎稲荷神社があります。その名の通り、こちらも源九郎を祀る神社です。洞泉寺と源九郎稲荷は一体であったのが、明治時代の神仏分離により分離したものです。源九郎稲荷は日本三大稲荷にも数えられる(こともある)そうです。(諸説あり)
源九郎稲荷は小ぶりな稲荷社ですが、少し奥まったところにあり、趣のある神社でした。
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洞泉寺に至る道には二階建ての遊郭建築が残っています。現在はネイルサロン・電気工事屋さんとして利用されているようです。
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その筋を右に折れると三階建ての木造建築が目に入ります。
手前に見えている寄棟屋根のが山中楼、奥に見えている切妻屋根のが川本楼です。
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山中楼ですが、2020年3月に解体されているはずだったのですが、路地が狭すぎて重機が入れず、そのおかげで現在でも外見だけでも拝めるようです。
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こちらは川本楼。大和郡山市が資金を投入して修繕して町家物語館として公開されています。これだけ個性的な建物なんだからもう少し目立つ名前にしても良いと思うのは私だけでしょうか
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なんで斜めからの写真しかないかと言うと、狭い路地に3階建ての巨大な建物が立っているので正面からは写真に収まらないからです。
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川本楼に入ると土曜日にも関わらず、自分以外に見学者はいませんでした。案内人のおじさんが「勝手に見て回るか、2-30分かかるけど案内聞くかどっちがいい?」とおっしゃるので当然案内をお願いしました。
まず、玄関入って左手のこの壁には遊女の写真が貼られていたそう。写真があるのはベテランだけで新入りは名前だけだったとか。その下の池は郡山らしく金魚が泳いでいたらしい。
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表に面した窓です。遊郭といえば粗い格子から遊女が顔を出して客を引く光景が浮かぶかと思いますが(張見世というそう)、ここの格子は細かいです。もともとは粗い格子だったのですが、張見世が禁止されたので先述の写真を選ぶシステムになったそうです。
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料金表がありました。お泊り15円は大学初任給基準だと現代の4万円に相当するそう。しかし、大学全入時代とこの頃で大学初任給って単純比較可能なんでしょうか?よく分かりません。
遊客名簿もありました。近鉄(当時は大軌)郡山駅が近くに出来たことで大阪からの利便性が高く、客の多くは大阪から来た旦那衆だったそうで、高級志向の遊郭だったみたいです。今の感覚だと客の名簿あるのすごいですよね。
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レジ。右奥のスペースは電話機を置いていたそうです。100年前に電話をおいているところは多くなかったでしょう。
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左側のふすまには猪目の窓がついています。ここから玄関が見えるので、これで客の出入りを覗いていたとのこと。面白いですね。
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1階はレジ等と主人の生活スペースがあり、2・3階が商売の場でした。かつての遊郭や赤線で一般的な構造として入り口と出口が分かれていて客同士が廊下で対面しないようになっています。ここでは玄関は一つですが、階段が上りと下りで分かれており、一方通行の動線になっています。
上りの階段を登った先には洒落た丸窓があります。その奥に見えているのは3連猪目窓です。
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猪目窓は寺社仏閣などでよく見られる図柄で、縁起が良いとされています。
3つ並んでいるのは非常に珍しいです。その名の通り、イノシシの目の形から来ているそうですが、イノシシの目あんまり似てないと思います…
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事が行われていた部屋は2階に上がって曲がった先の廊下に並んでいます。
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広さは3畳+板畳。ここの遊女は住み込みだったのでここは商売の場であり、生活の場でもあった訳ですね。
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部屋の窓際スペースはツーツーです。これ隣に音丸聞こえだったでしょうね。
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ちなみに格子が荒い部屋と細かい部屋がありますが、これはもともと向かいに別の遊郭があったかなかったかの違いです。たしかに向かいから見えてたら嫌でしょうね。
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下宿屋になっていた痕跡。あちこちの部屋に洗濯干しがついています。
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各部屋の鴨居の上に付いている板は部屋の名前板かなと思い、尋ねてみるとブレーカーを取り付ける板とのこと。なるほど。
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廊下の窓枠にポツポツと穴が空いていますが、これは逃亡防止の為に鉄の柵を嵌めていた穴だそう。屋根伝いに逃げられそうなところに付けられています。戦中に金属の供出で持っていかれて現在の木の格子に変わったそうです。
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浴室。天井に三つ柏の家紋があしらわれています。おしゃれな浴室ですが、冬はかなり寒かったそう。
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トイレ。各部屋の窓が松竹梅の図案になっています。そして、にわかには信じがたいのですが、ここの板張りはかつて厚いガラスになっていて、その下を金魚が泳いでいたそうです。すごすぎる。そのガラスの一部も見せていただきました。
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炊事場&ダイニング。天井が空いてて吹きさらしに近いのでかなり寒かったでしょうね。
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遊女さんの食器入れ。名前が残っています。
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ここからは主人の居住スペース。ブレている写真が多くて残念。
希少な桜の丸太や縄文杉の木材など建築のプロが見ると、非常に希少な建材がふんだんに使われているのだそう。(私にはよく分かりませんでした)
各所の格子など派手ではないですが非常に手の込んだ美しい木工が施されています。
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最後に中庭。町家の中庭って初めて見た気がします。狭めで3階建ての建物に囲まれているので採光性はそれほど高くないのですが、却ってそれがいい雰囲気を出しています。
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案内してくださったおじいさんにお礼を言って洞泉寺遊郭を後にしました。「また友達と一緒においで」とのこと。遊郭独特の歴史と建築を楽しめる素晴らしい建物でした。
東岡町遊郭
洞泉寺遊郭と異なり、東岡町遊郭は保存など行われておらず、廃墟化・解体が進んでいます。
最も目立つ建物がこれ。トタンで補強されていますが、サビサビです。側面はツタが這っています。かなり古そうなエアコンの室外機が付いているところからも売春防止法施行後も使われていたことがわかります。
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割れていた窓からちらっと中を覗いてみましたが、内部は崩落が進んでいてこの建物がなくなるのは時間の問題でしょう。
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それともう一つ石造りの立派なファサードを持つ3階建てがありました。個人の表札が出ていましたが、小さい部屋ばっかりあってあんまり住みやすくはなさそうですね。
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他にも元は遊郭であったと思しき建物が散在していました。
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他にも見るからに売春宿であったろう旅館跡も見られました。これらも現在は使われていそうな様子はなく、警察の手入れで一掃されたのでしょうか。
おわりに
遊郭はその場所の性格ゆえにあまり観光地としてプッシュされることはなく、私もごく最近までその存在を知りませんでした。暗い一面もある場所だとは思いますが、その独特の建築・その歩みは非常に興味深いものです。機会があれば、ぜひ訪問してみてくださいね。