傑作『約束の菜園』は渡辺徹さん最期のナレ回でした。
自然農・自然農法・自然栽培をされる方、昆虫、小動物、生き物が好きな方、NHKスペシャルの「超・進化論」が好きな方はご覧になったかもしれません。
少し前の作品になりますが、2022年11月26日放送のEテレ「地球ドラマチック」の作品をご紹介させていただきます。
渡辺徹さんの最期のナレーションになったことで少し話題になった作品でしたが、ドイツとフランスの Langengrad Filmproduktion, Grenouilles Productions が2022年に共同制作したその内容は、放送直後に録画で観てから、そのうち必ずご紹介しよう、と消さずに温存していた素晴らしいドキュメンタリーです。
タイトルにある "約束" とは、もちろん渡辺徹さんの2枚目のシングルのタイトルではなく、野菜とハーブを育てるとある家庭菜園の主とそこに暮らす生きものたちとの間に交わされたもの。
映像も音声もとにかく素晴らしく、虫が苦手なわたしも目を逸らすのを忘れ、その素晴らしい "生きものたち" に観入ってしまったほどです。
自然栽培を虫の役割を少し学んだわたしもまだ知らなかった豊かな虫たちの世界、その個性豊かな特性と、"生"のための多様で直向きな営みに、驚きと興味が視聴後にもさらに広がっていきます。
ヒトの耳では拾えないような小さな昆虫のゴソゴソと動く音、普通にはありえない複数のアングルのカットで切り取られた貴重なシーンの数々。
定点カメラを使うにしても、どこに何台据え、何百?時間の編集をしたのかと想像するだけで、クルーの素晴らしさに感動しますが、同時に、
神様が創った生き物たちの芸術性に改めてため息が漏れます。
このクオリティーでならまだギリギリ、フェイク映像と区別のつく時代だからこその感動とも言えるかもしれません。
フェイクもこのような本物の映像あってこその技術ですので、創作するにしても素晴らしい資料だと言えると思います。
機会があればぜひご覧いただきたい、夏休みの子どもたちにも農家さんにも特におすすめできる一本でした。
Eテレ「地球ドラマチックー“約束”の菜園 〜虫と野菜のハーモニー〜」
テレビでの再放送の予定は今のところないようですので、以下に一部を少しだけご紹介させていただきます。
そら豆とアブラムシとアリの三角関係だけにあらず
そら豆がアブラムシに覆われると、そこにはアブラムシが分泌する甘い液体を報酬にアリが集まり、アリはアブラムシを捕食するクサカゲロウの幼虫からアブラムシを守っている。
それでもクサカゲロウ軍が数で勝り、最終的にそら豆は無事に立派な実りを主にもたらす。
オオモンシロチョウの大量の幼虫に食い尽くされそうになったカリフラワー。
その葉から放たれた微かな香りのサインを嗅ぎ付けるコマユバチ。幼虫軍の反撃に一見、敗退したように見えて、静かで恐ろしい時限爆弾が…。
虫目線で捉えられたその攻防の様子もサバンナで繰り広げられる動物同士のそれと変わらず、熾烈。
最後はその「菜園」の主として共生するヒトにもたらされる大きな実りの恩恵に注目するわけですが、
一寸のハサミムシの子育ての甲斐甲斐しさや、マルハナバチの女王の孤独と働きバチの役割を終えた後の潔さ。
そんな、見ているようで見たことのない足元の世界を詳しく知ってみれば、一寸の虫の魂も、わたしたちの魂も大差ないのだと氣づきます。
そして、それでも、本来のわたしたちヒトには、彼らと比べれば壮大な選択肢があるはずだということにも氣づかされます。
選択を楽しむ
ついでの余談ですが、
わたしは3年前までは家にいるときは常にTVを点けている人でしたが、現在は毎週録画予約で録れている番組から視たいタイトルのものを視たい時に視聴して、見終わればTVを消すようになりました。
情報中毒なので、電気代だけで延々と垂れ流される甘辛い蜜に自分が絡め取られていると氣づいてもなかなか抜け出せませんでしたが、
コロナ直前の3年前にマスメディアの大方の情報の出し方が異様に操作されたものだったということをYouTubeで学んでからやっと、新聞を止め、TVを消すことができるようになりました。
代わりにYouTube中毒のようになりましたが(笑)、TVのそれとはやはり異なります。
ゲームなどと同じかもしれませんが、無駄を省いて一つのテーマに集中し続けることが容易な分、やり尽くす(見切る)までの期間が圧倒的に短くなりました。
いまのところのわたしの関心事では、YouTubeの情報も大方見尽くして、YouTubeから離れる時間が増えてきました。(有料講座の復習が溜まっているからでもありますが。。)
現在はTVもYouTubeも視ますが、どちらでも、時々、素晴らしいと思う出会いがあります。
テレビもネットも同じですが、玉石混交の中からキラリと光るものを見つけるのも、また乙なものです。
時々刻々、四季よりも早く、わたしの中の世界もうつろいゆきます。