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エモレポ「ドキュランドへようこそ セルフポートレート-拒食症を生きる-」

海外のドキュメンタリー番組を紹介するETV「ドキュランドへようこそ」。選りすぐりの週1本だけあって秀逸な内容が多いのでタイトルが気になったらとりあえず録画して観ています。今回は予想外に深く、思うところが溢れまくるので、期限のある勉強をそっちのけにして書いてしまいました(^_^;)

11月6日放送分はノルウェー発、
「セルフポートレート-拒食症を生きる-」
2019年10月に他界した写真家、レネ・マリー・フォッセンの生涯と作品
のエッセンスを紹介したもの。

拒食症は命にも関わる病なので、好奇心を誘うようには扱ってほしくないと思い、チェックするつもりで観たのですが、2回観てもまた何度でも観たくなる印象的な言葉、美しい写真と映像にあふれた映画のような1本でした。
「-拒食症を生きる-」はNHKで追加されたサブタイトルで、原題は「Self Portrait」。番組の中でレネは、自分を拒食症の女性としてではなく写真家として観てほしいと望んでいますが、同じ病を患う方にもぜひ観てほしいという紹介者の願いかなと思います。

でも、もしもこの番組を観て、絶望感や虚無感が残ったなら、少し時間を置いて落ち着いてからでも、オンデマンドなどでぜひもう一度ゆっくり観て、自分の心でゆっくり消化してみるといいのかなと思います。
情報の受け取り方は色々ですが、特にテレビ番組は観っぱなしになりやすくて、自分が受け取りたい部分を無意識に選択してそこしか覚えていなかったりします。たまたま視た時の感情に左右されて情報の一部分、一要素だけを受け取り、後で確認もできずに記憶が曖昧になって、自分の思いとミックスされたり誤解した情報を再発信してしまうこともあるので、元の情報や制作者の意図を間違えて伝えないよう、私自身気を付けたいと思います。

エモポイント

レネは病人としてではなくアーティストとして紹介されることを望んでいたけれど、レネと拒食症を切り離しては語れない。拒食症である自分の姿をさらけ出した作品が多くの人の心を動かしたのだし、その奇異さが注目を割増したのは多分事実。でもそれはそれで、それだけのこと。
私も最初はその異様な姿に目を奪われたけれど、作品を見ていると次第にレネが本当にみてほしかったのだろう、誰にでもある心の葛藤や感情が伝わってくる。
番組のエピローグになっている、きっとレネ自身が一番伝えたかったこと、その太く短い人生から導き出された詩が心に響いてます。私は、
人が生きることへの賛歌、生きる辛さに寄り添うこと を受け取りました。レネさん、ありがとう。

アート鑑賞

レネの作品は自画像だけでなく、ギリシャの街の人々の表情を撮った作品もとても美しかった。でも似たような写真は多くの人が撮ってきたし、一生残るほどの印象ではなかったかも。やはり圧巻は自画像。
髑髏を抱えた肉のない躯体、それと一体のような廃墟の背景が醸し出す美しさは、今まで一度も観たことのない、静謐さ、余計なものを全て削ぎ落した魂だけのような純粋さを観るようで、強烈な印象。レネ自身が自分の写真に似ていると語るレンブラントの絵画のようで、それよりももっと何か、真実の神聖さのようなものが映し出されているように感じた。

被写体としてのレネも、ただ悲しみ、孤独、苦しみを纏っているのではない奥深くで呼吸する生命力と美しさを自然に表現できているところが、ノルウェーを代表する写真家モルテン・クログウォルに「天賦の才能」と称賛された表現者の魅力の一つだと思う。
もし別の病だったとしても自分の身体を使って表現していたのではないかな。唯、自分にできる最高の表現をされたのだな、と芸術家魂に感嘆。

番組の最後で、その作品のメッセージ通り、拒食症患者としての彼女も最期まで生きることをあきらめなかったのだと分かり、
「レネ・マリー・フォッセン」という作品の完成を観たようで心がしばらく震えた。

食べることと病について

レネが食べることを拒んだ理由は、大人になりたくなかったからだと言っています。拒食症、摂食障害になる理由も経過も十人十色だと思います。
レネは「10歳の私に食べ物の愛し方を教えてほしかった」と言っていますが、私は「食べなくても生きていける方法を教えてほしい」。
私も子供の頃から食べずに生きられたらどんなにいいだろうと思ってきました。でも私はただ面倒なだけ。食べることよりしたいことが沢山あるから。レネとは理由の純粋さが全く違います(笑)

地球人として生まれた以上、科学的に生命と食べることを切り離せないことは理解しているし、食べること全体が学びであり修行であるとも思ってる。更年期の今は1日概ね2食、なるべく農薬や化学肥料を使わない野菜を食べ、毎食後に果物と自家製ヨーグルトを食べ、輸送技術が発達したとはいえポストハーベストや運搬で環境負荷の大きい輸入食品を避け、無駄に食べないように気を付けてはいる。食べ物はすべて命。愛しい命たち。それを私のカラダに取り込み、活かし、別の形でお返しする循環の一部。地球と物質的に濃くつながることで地球を知る。地球の美しさに感動して少しでも地球の環境を守ることに貢献したいと思った25年前、仕事も変えた。それくらい、地球が好き。きっと私なら食べなくたって地球を愛せる―
なわけはなく!(笑)、現実には、お腹が空くから食べるし、頑張りすぎると辛いので、添加物と原料の産地をチェックして買った加工食品やお菓子を食べることもよくある。忙しいと「ま、いっか」と即席ものを”ながら食べ”もする。美味しいものを戴き、感謝をしているけど、楽しいわけではない。私にとっては食べることは日日の修行以外の何ものでもない。だから続けなければならないし向上していきたい。向上とは?…食べる修行にゴールがあるとしたら、霞で生きていくことかな?(笑)

そして、私は拒食症ではないけれど今年再発したアトピーも、重症になると命を脅かすことのある病気、という意味ではレネの病気の苦しみも少しは理解できる気がします。病む場所は違っても、重い病は何にしろ辛い。でも、せっかく生まれてきたこの地球を心ゆくまで愛でるため、地球生活を堪能するために、生きるんだ。

「レネ・マリー・フォッセン」のエピローグ

ここではレネの光の部分ばかりをご紹介しましたが、番組で紹介された彼女の人生には辛いことがたくさん起き、紹介されていない日々も撮影以外の時間は苦しみの中にあったように想像されます。その分、レネには晩年、まばゆい光が当たったのだろうと思います。
私のように何をやってもそこそこで、そこそこの苦労とほどほどの喜び、明暗も薄い人生にあって、波の激しい人生の光の部分だけを見れば羨ましく思えたりもするけど、その半面の闇の深さに私はきっと耐えられないから、そこそこ・ほどほどの人生が私にはちょうどなんだな。
どんな人生であれ、自分の旅。
最後にレネの言葉をもう少しだけ紹介させていただきます。

「人生はすばらしくて謎に満ちた、壮大な贈り物だと思う。
だけど手に負えない。望むまま自由に生きるのは難しい。」

「私の中に、恐怖、怒り、悲しみが渦巻いている。
今まではそんな感情を閉じ込めてきた。
箱を開けたらあふれ出しそうで怖かった。
それを解き放つことが回復への道だと思う」

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