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aiumiのアタマノナカ#3「吹奏楽編①」
#1、#2とエレクトーンについて語ってきま
したが今回からは吹奏楽編になります。
私は中学時代から大学時代まで吹奏楽を十年間
やっていました。そう考えるととても長い期間
ですね。
と言うわけでその十年間をギュッと数回に分け
て載せていきます。今回は主に中学時代を話し
ていこうと思います。
クリエイティブとはを知る
中学時代は吹奏楽人生で言うと初期で
私が先日投稿した「始まりの音」を基準にす
ると今回の話は「始まりの音」0話ですね。
「始まりの音」はこちらから↓
この0話がとにかく面白かったし、私のエン
タメの面白さはここに詰まっていると言って
も過言ではありません。
私の通っていた中学は新設校でした。伝統
なんてものは存在しないまっさらな状態で
した。吹奏楽部は第二音楽室の倉庫に購入
したての楽器がしまわれ、自分達が最初に
この楽器を吹くのだと思うと胸が高鳴った
ことをよく覚えています。
ただ、伝統がないと言うことは“全て”自分
達で考えて作らなければなりません。
部則、演奏会までのToDo、練習の流れ等
そもそも楽器も初めて触る人がほとんど
の中学生にできるのか。当時の私は不安
でした…。
と言う訳でもなく割と皆意欲的に取り組
んでいたし私は何なら楽しんでいました。
やらないと出来ないからやる精神
先輩もいないので、教えてくれるのは顧問
とGoogle先生のみです。
ただ顧問も割と生徒の考えを尊重してくれ
る本当に最高な先生でした。
そういう環境だと生徒は
「私達がやらなければ、何も始まらない」
と言う気持ちになります。気づけば自分達
で話し合いの機会を申し出て演奏会の内容
を決めたりしていました。楽曲はレベルや
編成に合わせてある程度先生が候補を出し
てくれていたので演出を中心に決めていま
したがこの経験が本当に今でも役に立っ
ています。
大人になっていくにつれて、受け身と
攻めの姿勢の塩梅を調節しがちですが
結局は自分が選択し動いていかないと
本当にやりたいことは巡って来なかっ
たりします。
中学時代にこのことを学べ、そのよう
な空気感にしてくれた顧問や仲間は
本当に宝です。
教えるために上手くなる
演奏の方面でもこの環境ならではの
考え方が養われました。
私は部員の中でも音楽経験がある方
だったからか、どういう風の吹き回し
かは一旦置いておいて中学2年生当た
りから演奏面におけるリーダー的な
立ち位置であるコンサートミストレス
(コンサートマスター)になりました。
たかが吹奏楽経験2年目の中学生が
同い年と後輩の演奏を先生と仕切っ
ていくという行為は未知の領域でした。
ただ、それこそやるしかないとで色々
相談しながら取り組んていたある日、
後輩に合奏後に私がちゃんと進行できて
いたか、聞いてみたところこんな返答が
帰ってきました。
「先輩の言葉だから納得できます」
これは本当に嬉しかったです。
同時にもっと私自身技術を磨かなくては
と思うようにもなりました。
人にアドバイスをしたり、人をまとめ上げ
る立場に必要なことは「説得力」だと思い
ます。どんなに素敵な言葉や行動をしても
説得力のあるものを本人が持っているかど
うかで受け取り方は全然違ってきます。
きちんと言葉が伝わるように自分が人一倍
頑張るようになったのはこの時代があった
からであることには間違いないです。
0から生み出した充実感は持続する
ここまで色々試行錯誤した様子を簡単に
書いてきたましたが、これらの過程全て
演奏会のためであることに間違いはない
ですが、結果的にこの積み重ねが「伝統」
になっていきました。演奏会のスタイル
は私の代が卒業しても続いてたみたいで
すし、私自身の人生にも大きな影響を与
えてくれました。
Noteを始めたのも少なからず影響してい
ると思います。
極論クリエイティブとはそう言うことだ
と思っています。元々あるレールを歩く
よりも自ら開拓していった道を進む方が
大変でもどこへでも行くことができる。
クリエイティブにはそう言う力があると
思います。
aiumiのアタマノナカ#3まとめ
今回は吹奏楽編①中学時代の吹奏楽について
お話しました。環境による影響って凄まじい。
次回は中学の吹奏楽部時代で出会った曲を
お話しようかなと思います!
では次また覗きに来てください!