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演劇とは。を考える【自主公演ココロオドルに向けて】

今回自主公演をするにあたって、個人的に苦悩している部分。
それは「演劇ってなんだ?」ということです。

演じる、とは似て非なるものだと感じています。
演じることは、演技は意外と日常生活であふれていると思っていて。
例えば、仕事でプレゼンしたり上司や取引先と話したりするときの自分と気心知れた友人と話すときではまるで違うということはよくあります。
さらに言えば一人でいるときはほかの二つとも違ったりします。

それはどこかで場所をわきまえて一枚仮面をかぶるように自然と演じている部分があるからだと考えています。

ただ「演劇」となるとそれを「フィクション」と分かっている上で第三者が受け止めます。
これが簡単なようで難しい。受け止めてくれることがわかっているからこそどう見せるか考えすぎてしまうんです。ただ自己呈示をするだけの方がよっぽど楽ですが、舞台に立つときは「別人」として存在していなければいけない。

とても苦手だと感じました。
今月の頭は特に「嘘をついている」という感覚になって、つらくなった時がありました。

ところが先日とある番組で俳優さんが「どうしても性格が合わない人と作品を作り上げなければならないときどうしますか?」とMCに聞かれたときの返答に「割り切りますね。この作品上でのお相手なだけなので。」と答えていました。続いてMCが「稽古時のそういうのも含めて…」というと「はい。そういうのも含めて演劇ですね。」と答えたんです。

腑に落ちました。演劇の場合、稽古中でさえフィクションの世界の一部だと。そう思うと少しだけ体が軽くなりました。

私はずっと音楽をしていますが、音楽は割とリアルさを大事にする気がしていて、フィクションな世界観の楽曲も聴き手にそれがリアルかのように没入させるところも音楽の特徴だと思っています。

演劇も勝手に近しいものかと思っていましたが、違うんだな。
と面白い気づきを得た今日この頃です。

自主公演「ココロオドルVol.1」まで1ヶ月を切りました。
私は当日舞台で別人としてどのような人生の一部をお見せできるのでしょうか。私にも予想は不可能です。

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